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【わたし:オリジン】わたしを変えた1冊

『僕のヒーローアカデミア』に沼っている、筆折ればななしです。

とくにアニメの第四期、耳郎響香ちゃんのエピソードがやばい。
これについてはめちゃくちゃ語りたいことがあるのだけど、それはまた別の機会に……。


ということでタイトルがヒロアカっぽくなっていますが、ご了承くだされ。

今日はわたしが文学少年になりました起源を語りたいです。


「もうひとつの時間」

掲載  :『旅をする木』
作者  :星野道夫
版元  :文藝春秋
初出  :1999年3月

本作は、旅に生き旅に死んだ男・星野道夫のエッセー集です。
これがなければ、今のわたしは全く別の人生を歩んでいたでしょう。
まさにわたしのオリジンというべき出会いです。


星野道夫について

彼は著名な写真家でした。
アラスカをおもな拠点としてそこに生きるすべての生命を写してきました。
ほっと微笑んでしまうような動物の姿、息を呑むような自然。数多くの作品はいまでも愛されつづてけいます。

しかしながら彼はあるTV番組の企画に従事しているなか、事故によってこの世を去りました。ヒグマに襲われてしまったのです。
とくに詳しいことは下記のウィキペディアをご参照くださいませ。



タイトルに思いをはせる

タイトルに用いられている「旅」という漢字。

人類の歴史に思いを馳せるならばそれはつねに旅でした、特に日本人にとっって。アフリカから追われ、食べ物や土地をもとめて旅をつづけた結果、われわれは極東・日本にたどり着いたのです。
今も、ここではないどこかに向かって足跡をつくっています。

人類の、日本人の、そして私の深層に刻まれた旅のDNA。

私はこう思うのです。
人類が、日本人が、私が、逗まることをしらず〈ここではないどこか〉へとあるき続けている。それは未来とか人生とかいう抽象的なものであれ、通勤や観光という具体的なものであれ。
その意味で常に〈旅〉しているのだから、彼のエッセーは必ず人々に道しるべになるのだろう、と。


本作の魅力と、それによってわたしがどれだけ心救われたか。
そしてわたしの人生を大きく変えたか。
それを語るには紙面がたりません。
だからとくに3つ、わたしに読書のオリジンを与えた要素を紹介します。


世界のひろさと狭さを同時に知る

物心がついたころから、ずーっと不思議に思っていたことがありました。
それはこんなことです。

わたしが教室の窓枠から空を眺めているとき、世界のどこかでは大きな事件が起きているかもしれない。

わたしが寝ているあいだに、シロクマが狩りをしているかもしれない。


同じ時間が流れているはずなのに、同じではないということ。
それがとても不思議だったのです。

ただ、思索少年だった小学生のわたしが、こんなこと誰に共有できたでしょう。この不思議をはなしのタネにするには小学生というのはあまりにも若すぎたのです。

クラスのムードメーカーとして笑いを誘ったり、ドッジボールで遊んでいるときにも、ふとした時に不思議が頭をよぎりました。

そしてこの思いを誰にも共有できないことがとても孤独に感じられたのです。

そんなときに出逢ったのが、この文章です。

大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人込みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている

「もうひとつの時間」

私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない

「もうひとつの時間」

当時の衝撃は今でも忘れられません。
わたしはこの瞬間、真理という翼をえた鳥のように世界の自由さをこの手におさめたかのような高揚を覚えたのです。

同時に世界のひろさと狭さを知りました。

広さとは、無限の想像力をはたらかせて世界を理解できるという素晴らしさのことです。わたしがこの南向きの教室で授業を受けているとき、想像力は北海道へ、アラスカへ、世界へ飛びたてるということ。

狭さとは、積年わたしが不思議に思っていたことを、世界のだれかも共有しているということ。わたしは孤独じゃなかった……!


本という可能性に心うばわれる

この衝撃は本という媒体そのものへも向かっていきました。

半ページにも満たない、ささやかな文章。

それが私の不思議を解消してくれたこと。

それが魔法のように孤独感を取り去ってしまったこと。

それが私に世界のひろさと狭さを同時に与えてくれたこと。

星野道夫という人間がどこにいても、この世を旅立っていても、
文字という情報がそれを私に伝えてくれた。

本というものはなんて素晴らしいのだろう!


わたしの人生観を方向づける

精神の危機に襲われてしまった時、その瓦解をすんでのところで防いでくれたのがこのエッセイでした。

わたしの記事をいくつか読んだことがあるならご存知かもしれません。
わたしは高校生までのあいだに5回の転校を経験しています。
そしてその度に心が不安定になり、自暴自棄になり、無力感に苛まれたことを。

特につらいのが友人との別れでした。
そして何より私に怒りと嫉妬を覚えさせたのが、こんな思いです。

わたしが転校してつらいのに、彼らはいま友人と楽しい昼休みを過ごしているのだろう

彼らは私という存在を失っても、いつか私のことをわすれれ〈元通り〉の時間を取り戻すのだろう


わたしが転校して、縁もゆかりもない土地でアウトサイダーへの視線にさらされて、今後のことなんて何一つわからないで不安でいる学校の昼休み、かつての友人たちは笑ってドッジボールをしていられるのだ。

このことに何度も、ヤスリで心を削られるような痛みを覚えました。

しかしながらそんな私の心に安定をあたえたのが、上で引用した文章です。
この文章が私を励ますことも、心を支えることもありませんでした。

しかし、ある真実を、世界の真理を、冷たく合理的に伝えてくれました。

つまり、

だれもが同じベクトルの時間の流れにいるけれども、決してそれは共有できないということ。


時間はすべての人にとって、同じスピードで同じ方向で流れている。
けれどそれが決して同じではないということ。時間の共有不可能性。

それはアラスカでクジラが飛び上がっているとき、わたしはそれを知らないように……。

それはヒグマが北海道の大地を歩んでいるとき、わたしが南向きの教室の椅子に縛られているように……。


その冷酷で哀しい時間と世界の関係を、わたしは知っていました。
だからこそ、「私がつらい時、かつての友人が笑っている」という残酷さに耐えることができました。
そういうものだと、合理的な把握を可能にしてくれました。

そしてそれは私の人生観にもなります。
・すべてをコントロールしようとは思わないこと
・世界は悠大で、自分は小さいということ
・大らかで寛容な心をもつということ


たった一冊のなかの、

たった一品のエッセイの、

たった一ページの、

たった一行の、

そんな文章に心動かされ、解放され、人生の羅針盤になってしまう。


この経験が私のオリジンです。

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