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【君たちはどう生きるか】原作改変と宮﨑駿がタイトルに託した想い
ネタバレは含んでいません
目安時間:5分(2000文字)
今日の議題
◎ジブリ版における原作改変の是非
◎タイトルに隠されたメタフィクション的問いかけ
君たちはどう生きるか(ジブリ)をみてきました。
その感想についてはあとあと書いていくとして、
原作とは全くと言っていいほどに内容が異なっていて驚きました笑
コペル君どこ〜?
それは一旦脇において、
『君たちはどう生きるか』に対する感想を綴ります。
『君たちはどう生きるか』の歴史(とばしていいよ)
あらためて歴史を整理しましょう。
原作の『君たちはどう生きるか』は、吉野源三郎によって1937年に上梓されました。
およそ100年も昔の作品ですね。それでも鮮やかさを失っていないのは、それだけ普遍的な人生のヒントが隠れているからでしょう。
その後、ぼちぼちとさまざまな版元から出版されました。
原作に関しては岩波書店の印象が強いかと思いますが、実はポプラ社版、未來社版などがあります。
そしてみなさんお馴染みの岩波書店版は1982年に出版されました。ここまでで誕生から約50年を経ています。
2017年、
羽賀翔一によって漫画化された『君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)が出版されました。涙を湛えた少年の顔が印象的ですね。漫画版は普段本を読まない人にも広く受け入れられた感があります。
これによって本作は一躍脚光を浴びる形になりました。
近年の古典ブームや教養ブームはありながらも、80年前の作品がここまでヒットしたのは珍しいような気がします。
そして終に、2023年、宮崎駿による映画『君たちはどう生きるか』が全国にて放映されます。
ジブリ『君たちはどう生きるか』
これが今、ネットを賑わせ賛否両論を呼んでいるわけです。
事前に何も告知しないで期待を煽る戦法も、無駄に火を焚べた一因のような気もしますが…
(私はこれをハルキ戦法と呼んでいます。新潮社がよくやっている一切事前情報を出さずに村上春樹の新作をマーケティングする手段)
私はこの作品はとても良いと感じましたが、どうやら批判も無視できないですね。
「意味がわからない」 「映画ではない、アートだ」
という声が聞こえてきます。
ただ今回は内容の是非については触れません。
吉野源三郎の原作vs宮崎駿のジブリ映画を比べた時の、改変について考えます。
おそらく読書好きが驚いたのは、
原作と違うじゃん!
ということではないでしょうか。
そうなんです。
ジブリ版では、コペル君はいないし、ニート叔父さんもいないのです!
代わりに出てくるのは、
真人という主人公と「君生きバード」(アオサギ)etc…
原作の跡形もないような状態に、期待はずれの感やタイトル詐欺に遭ったと考える人も少なくないでしょう。
だけども、この改変は歓迎されるものだと思います。
「死後の生」を生きるーベンヤミンの翻訳概念
さてここでベンヤミン(*)の著名な翻訳論を抜粋します。
*)ヴァルター・ベンヤミン:ドイツの文芸批評、哲学者。ユダヤ人。WW2時に服毒自殺して幕を下ろした。
生の表出が、生者にはいささかの意味もなくても、生者と密接きわまる関連をもっているように、翻訳は原作に由来する。しかも原作の生、というよりも「死後の生」に由来する。じじつ翻訳は、原作のあとに出る。そして、成立の時期には選り抜きの翻訳者をけっして見いだすことのない重要な諸作品にあっては、翻訳は死後の生の段階を表示するものとなる。
※ここでいう翻訳は言語の越境という狭義でなく、メディアミックスや要約や翻案も含みます。また、「生」とは人間に関わらず、芸術や言語など広義の生を示します。
哲学書をいちいち解説しても労力がかかるので、ここでは宮﨑裕助による明快な解説を引用します。
さしあたって重要なポイントは、
・翻訳はどれほど忠実にしようと、原作の毀損行為である。
・しかしながら毀損によってこそ、原作はあたらしい生を享受するのだ
ある作品の原作は、翻訳を通じて、原作そのものが顧みられなくなった後でも読者を新たに獲得し生き延びることができる。(中略) 翻訳はある仕方で損なわざるをえないが、他方、原作の生はむしろ翻訳によってみずからの生以上のものを獲得し生き延びるのである。(中略)
作品の生はそれ自体として存在するというより、翻訳という、原作をそのままにはしない毀損行為によって、その純粋無垢を汚す一種の暴力によって、要するに原作の死後——原作者の死後に限らず作品が同時代に顧みられない場合も含む——にはじめて、当の作品はかえってそれにふさわしい生を享受するということが生じるのである。
原作改変は許されるのか
ベンヤミンの翻訳論に依拠するならば、原作の改変はかならずしも悪とはいえないということがわかります。
そもそも原作を毀損しない翻訳など不可能なのです(どれだけ忠実に一言一句あわせようにも)。
そう考えた時、少なくとも
「タイトル詐欺だ!」
というような批判は正当性を持ちえないと感じました。
たしかに、原作を読んでいてジブリ映画を楽しみにしていたのならば釈然としないのも納得がいきます。
けれども、その怒りや感情にまかせて作品の評価に偏見をもってはならないのです。あくまでその内容によって作品への批評の眼差しとしたいものです。
ベンヤミンの翻訳論を背景に、タイトルの意味を深読みしてみます。
ものすごく歪曲した考察をするならば、
君たち = 作品
どう生きるか = 死後の生(翻訳解釈)による新たな生
↓↓↓↓↓
原作がどのように解釈を多様化されていくか
と考えることもできるのではないでしょうか。
そう、宮崎駿は
次世代のアニメーター(新海誠や庵野秀明)に、
お前たちはアニメーションをどうしていきたいのか?
という意味で「君たちはどう生きるか」と問いかけているのかも。
あるいは、
「俺(宮﨑駿)はこのように翻訳したぜ。さあ、君たちはこの作品にどんな死後の生(解釈)を与えるんだい?
と視聴者・後継者に投げかけているのではないでしょうか。(ハイパー深読みです。真に受けないでネ笑)
昨今の原作信仰について
自戒をこめて……
わたしは基本的に原作厨だ。
けれどもアニメ化や実写化を偏見の眼差しで批判してはいけない。
冷静になろう。ベンヤミンの翻訳論を鑑みれば、メディアミックスや原作改変によって原作に新しい価値をもたらす可能性を見捨ててはいけない