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オカンのタッパー弁当

母親のことをなんて呼ぶか、というのは世の中のあらゆる息子にとって5番目くらいに悩ましい問題だ。ウチで面と向かって呼ぶのにはなんでもよくて、僕も「お母さん」と呼んでいるのだけど、高校生くらいになると人前で「お母さん」と呼ぶのがムズムズしてくるようになる。

女性には理解されにくいかもしれないが、友達に「お前のおかんなにやってんの?」と聞かれたときに「うちのお母さんは〜」なんていうのは、ひどく小っ恥ずかしい。感覚としては、幼稚園から小学校に上がるときに「僕」という一人称を使わなくなり、「俺」といい始めたのに近い。「僕」というのがなんとなくお行儀のいい坊ちゃんのように思えてきたこと、ポケモンのサトシに感化されたことが理由だったのは鮮明に記憶に残っている。今の小学生がポケモンを見ているかどうかはよくわからないけれど、男子というのは単純なのである。

純粋無垢な小学生男子の心を忘られない「俺」は、高校生から始まった「お母さん」アレルギーをこじらせ、いつしか人前で「お母さん」と呼べない身体になってしまった。そこでいつしか「オカン」という言葉を使うようになった。「オカン」は友達と母親について話すときにとても便利だ。カッコをつけすぎず、かと言ってマザコンな感じもでない。問題は、「オカン」を「オカン」に面と向かって言えないことで、「うちの息子、私の呼び方変えたわね」と思われるのは避けたいのである。だから、初売りのデパートに駆り出されたときは、見失った「オカン」を呼ぶのにいい言葉が見つからず、仕方なく小さい声で「お母さん...」と言ってしまうのは愛嬌というものだろう。

前置きが随分と長くなってしまったが、今回の話は「オカン」の弁当の話である。

ウチのオカンは、料理上手だ。
どれくらい料理上手かというと、「私のこと褒めてよ!」とオカンが言ってきたら「子育てが上手だね!」か「料理が美味しいね!」と褒めるようにしているくらいだ。オカンもアレなのだが、息子も「オカンの息子ここにあり!」と言わんばかりに育ってしまったものである。

そんな子育て上手なオカンの弁当に、小学校5年生から高校を卒業するまで、ほぼ毎日お世話になっていた。小学生の頃は受験勉強のため塾で夜もお弁当を食べていたし、中高では高くて不味い学食を食わず、お弁当を食べた。

当時はオカンが作ってくれる弁当を「うちお金ないからなー」というくらいにしか思わず食べていたが(オカンの口癖は「ウチお金ないから!」だった)、一人暮らしを始めるとよくもあそこまで手のかかるものを毎日作ってくれたな、と感心するばかりだ。

弁当にはパターンがあった。黄色は卵焼きかゆで卵、赤色はプチトマト、緑色はブロッコリーかキュウリにマヨネーズ、メインの茶色は肉ときどき魚。特に気に入っていたのは揚げ鶏のネギソース添えで、片栗粉で一枚揚げした鳥もも肉に醤油ベースの青葱ソースがたっぷりかかった代物である。確か唐辛子も少し入っていたような気がする。こいつがタッパー弁当に入っていると、蓋を開けた瞬間に鶏と葱がマリアージュした暴力的な匂いに襲われて、コメ!揚げ鶏!コメ!揚げ鶏!と、たとえ2時間目と3時間目の間の小休憩でも、無限に食いたくなってしまうのである。

ウチではタッパーを弁当箱として使っていた。ふくらみのある円錐を切って逆さにしたような形の半透明のタッパーに、ひよこ豆色の蓋がついていた。そのタッパーが2つ。1つはカラフルなおかず詰め合わせで、もう1つには白米がぎっしりと詰められていた。おかずと同じように白米にもパターンがあり、ごま塩、梅干し、シャケ、炊き込みご飯なんかがよく入っていた。それがないときには、大量の米を消費するためにノリタマかゴマふりかけを持って行っていたのだが、塾の友達に大変ありがたがられ、さけるチーズとこっそり交換なんてしていた。お気に入りのごまふりかけは中学に上がる頃に見かけなくなってしまったのがとても残念である。

成長期の頃の男子の食欲は恐ろしいもので、弁当の白米は年々量が増えていった。小学生の頃なんかはおかずと同じサイズのタッパーにふんわりと米がよそわれていたのだが、中学に上がるとギュウギュウ詰めになり、部活を始めると一回り大きいタッパーになった。高校に入ると大きいタッパーにギュウギュウに詰めるようになり、その量は2合。まあよくもあんなに食えたもんだ、と今は思うが、きっと当時のオカンも驚き「あーもうしょうがないわね」と思いつつも、内心息子の成長を喜んでいたのではないだろうか。米二合タッパー弁当を昼休みに入る前に半分は早弁してしまい、昼休みは騒がしく遊んでいたのもいい思い出だ。ありえない量のコメとタッパーは同級生の間でも話題になっていたように思う。

繰り返しになるが、毎朝早起きして、量も質も彩りも考えて弁当を作ってくれたオカンには脱帽するしかない。

こんど実家に帰ったら、柄にもなく「お母さん、弁当作ってくれってありがとう」、なんて言ってみようかしら。


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