おいしいものと毎日

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最近の記事

旅を通して戦争について考えること

日本にいると、戦争の話題としては「戦争に負けた被害者」という方向で触れられることが多い。 原爆での被害や沖縄での地上戦など、実際に経験をされた方の話を聞くと、本当に苦労をされたんだと心が沈む。 一方で、海外に出ると、話す相手によっては日本は第二次世界大戦の加害者という認識の人もおり、日本の学校では習わなかったことを次々と教えてくれる。 そして、それについてどう思うか?と聞かれる。 こういう話題は急に出てくるし、初めて聞くことなので、どう反応したらよいか分からない。どう

    • 先週、花を買った。 白いバラを10本500円で買った。年々花も値上がりしているから、この金額ならお買い得だろう。 花は気持ちの余裕がないと買わない。というか、買えないのだが、他の人はどうだろうか。 花屋で足が止まれば、そのときの自分はやや上向きで、買えばかなり上向きと捉えている。 自分のために買うこともあるが、社会人になってからは人にあげる機会の方が多い。 1人目は母だ。離れてくらしているから、せめて母の日と本人の誕生日は気持ちが上向くようにと送っている。 もう1

      • 清州

        先日、韓国に旅行に行ったのだが、トランジットで清州(チョンジュ、Cheongju)という韓国本土の中央にある空港におりた。 着陸体制に入り高度が下がると街の様子が見えてくる。この瞬間の山と山の間の民家、畑、片道一車線の道路の感じが、まさに地元鹿児島と同じだった。 鹿児島県民の100人のうち90人は、清州空港周辺を鹿児島だと信じてしまうのではないかと思う。 一番驚いたのは田園で、稲が等間隔に並び、数十の線をつくるところは日本のそれと全く同じだった。 田んぼの淵には溝が深

        • 白米

          水がきれいところで育った米は、うまい。水がきれいならなんでも、うまい。言わずもがな知れたところである。 我が家には、父の命日付近に、旅に出ておいしいものを食べ、少しでも悲しみを癒すというイベントがある。毎年恒例で、今年は熊本の阿蘇に、実家のチワワを連れて泊まりがけで行った。 阿蘇山嶺の水で炊いたコシヒカリは、これ以上ないほどにつやつやとしておいしかった。宿の夕食に出てきたごはんは、おかわりした。朝食の分も完食した。うちのチワワが夕食で残した分も食べればよかった、と思うほど

          ラーメン

          うちは、ラーメンをよく食べに行く家だった。九州といえばとんこつで、福岡生まれの父をもつ私は、真っ白く白濁したとんこつスープに、青ねぎと紅しょうがのったラーメンを食べて育った。 父ががんで余命いくばくもないときに、「あつあつのラーメンが食べたい」とリクエストをもらったことがある。 当時の父は、脳の記憶を司る箇所にまで病変が広がっており、記憶障害があった。数分間しか記憶がもたないので、会話は2、3言で終わってしまう。手はしびれ、足を自由に動かすことができない父を前に、あつあつ