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先週、花を買った。

白いバラを10本500円で買った。年々花も値上がりしているから、この金額ならお買い得だろう。

花は気持ちの余裕がないと買わない。というか、買えないのだが、他の人はどうだろうか。

花屋で足が止まれば、そのときの自分はやや上向きで、買えばかなり上向きと捉えている。

自分のために買うこともあるが、社会人になってからは人にあげる機会の方が多い。

1人目は母だ。離れてくらしているから、せめて母の日と本人の誕生日は気持ちが上向くようにと送っている。

もう1人はアメリカの大学時代にお世話になった教授だ。毎年誕生日に花束を送る。だが、その恒例行事は7年目で終わりを迎えた。

きっかけは、花束を送った後に教授から連絡が来なくなったことだ。毎年ショートメッセージなり電話なりあったのだが、何も来なくなってしまった。

たまたま何かあったのかもしれないと、そのときは深く考えず翌年も送った。

連絡はこなかった。

ただの一介の生徒が、大学を卒業しているにも関わらずここまでするのには理由がある。

1つは本当にお世話になっていたので、感謝を示したかったからだ。友達も親戚もいない環境で、一緒に食事をし友人になってくれた。

初めて交わした会話を今も覚えている。「あなたの苗字はなんていうの?」「長いんですけれど」と、紙に書いてみせると、「あら、私も長いのよ」と紙に書いてくれた。

こんなに優しい接し方があるのだと、知った。

私が18歳でアメリカに行ったように、教授も18歳のときにアメリカにきている。

当時の私は、英語の力が不十分で自分の気持ちを伝えることが難しかった。それを踏まえて、一緒に食事をとり、あなたは十分にやっていると言い続けてくれた。

私が大学を卒業したときに、この世のどれだけの人が大学を最後まで通い卒業することができるのか、それがどれほど恵まれて幸せなことかについて話したことがある。

アメリカの大学では自分で授業料を払って5年、6年と時間をかけて卒業する人がいる。留学生は現地の学生と肩を並べて単位を取ることができず、いつの間にか退学をすることがある。

有名大学ならまた話は違うだろうが、私が通った公立の地元の子供が通う大学では、こういうことがよく起きる。

だからこそ、教授が話の途中で言った "As a college graduated woman" というフレーズは響いた。

女性で大学を4年で卒業するというのは、世界を見渡してみると誰にでもできることではない。

本人の取り組みと周りのサポートや女性でも勉強して良いとする環境がなければ、成し得ることはできない。この世の皆が皆、これらを手に入れられるわけではない。

私が教授に花を送るもう1つの理由は、教授の亡くなった息子の代わりに何かできることをしたいと思ったからだ。

教授の息子は20代半ばで亡くなった。もし、あの優しい彼が今も生きていたら、母親の誕生日にはプレゼントを送っただろうと思った。

その息子は、教授の誕生日に近いタイミングで亡くなっている。だからその日が近づくと、自分の誕生日どころではない、という気持ちになるのは想像できる。

私からの花は嬉しいが、ありがたくはない。そんなところかもしれない。

花を送る。送らない。

毎年教授の誕生日が近づくと、親不孝をしている気がしてならない。

#創作大賞
#エッセイ部門

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