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白米

水がきれいところで育った米は、うまい。水がきれいならなんでも、うまい。言わずもがな知れたところである。

我が家には、父の命日付近に、旅に出ておいしいものを食べ、少しでも悲しみを癒すというイベントがある。毎年恒例で、今年は熊本の阿蘇に、実家のチワワを連れて泊まりがけで行った。

阿蘇山嶺の水で炊いたコシヒカリは、これ以上ないほどにつやつやとしておいしかった。宿の夕食に出てきたごはんは、おかわりした。朝食の分も完食した。うちのチワワが夕食で残した分も食べればよかった、と思うほどだった。

昔から米は炊飯器ではなく、鍋で炊く。忙しいんだから炊飯器を買えばいいと言われるが、こういうことを言う人は米炊きを知らないんだと、半分冗談で半分真面目に思う。浸水ができたか見極め、火にかけ最後に蒸すまで、今までつちかってきた度量を存分に発揮したいと思ってしまうからだ。(ただ1人で家で炊いているだけだけど)

私の米炊きは、アメリカの大学生活時代に始まった。炊飯器を買うと、狭い部屋で荷物になってしまう。ウォルマートというアメリカの地方のなんでも揃うスーパーで深型の鍋を一つ買い、煮込みから炒め物までなんでも済ませた。米は、友達が中華系スーパーに車で連れて行ってくれて買った。

水道水で浸水させ、火にかける。落とし蓋をせよ、と調べた記事にあったので、鍋の形に合うようにアルミホイルの四隅を折って丸くし、真ん中に穴を開けて代用した。こうやって何度も炊いた。

うまいかと言われると、うまくはない。水も米もうまくはないから、うまくはならない。

でも、そんなことは言ってられない。この米を食べなければ、毎日ピザとフライドチキンしか食べるものがないからだ。残った米は、一食分ずつ冷凍して大事に食べた。

アメリカ滞在のとある期間中、お金なさに、ランチがずっと白米だったことがある。冷凍した米を朝取り出し、昼にカフェテリア(食堂)の電子レンジで温める。

カフェテリアに行くと、ケチャップ、マヨネーズ、塩、こしょうは取り放題で、温めた米にマヨネーズと塩をかけた。当時は、ピザやフライドチキンより、このマヨネーズ塩ごはんを格上の扱いにしていた。「日本人はそうやってごはんを食べるの?」と友人が聞いてくると、「そうだ」と答えた。

先日、母がうちに遊びに来た。一緒にごはんを作っていたら「あんたは四角に包むよね」と、私の真似をして、冷凍用のごはんを四角くラップで包んでいた。

確かに私は四角く包む。特に理由はないが、四角い。

アメリカ時代の冷蔵庫が小さくて、精密な整形が必要だったのかもしれない。四角く包む友達が近くにいたのかもしれない。

四角に包むのも、わざわざ鍋で炊くのも、なんだかやらずにはいられない。そんな風になってしまった。

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