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与えられた場所で咲きなさい〜置かれた環境が人を変える〜

「環境」が人を育てて成長させる

仕事が面白い。自分の資質や適性と合致しやり甲斐がある。自分が成長している実感が得られる...etc 内発的動機づけの要因となり得るキーファクタは「環境」要因だと思う。本人が能力やスキルを発揮できる環境やポジションに配置されたかどうかで、達成意欲や行動がうまれる。どれだけ素晴らしい能力や特性を持っていたとしても、当人に合った「環境」に置かれないと能力はいかんなく発揮できないからだ。

実力 = 能力 x 人間の置かれた環境

また、環境面とは別の側面になるのだが、取り組む仕事の「面白さ」がキーワードだろう。単に「面白さ」と言っても人それぞれが感じる「面白さ」はまちまちであり、単純ではない。しかし、人生の大半の時間を使う仕事において「面白さ」がなければモチベーションを継続していくことは困難をきわめる。
そうすると、信賞必罰というか、人にはできた分の報酬、できなければ必罰があるという制度設計。個々人の役割と責任を明確化することでそれに集中できる環境を作っていくことが望ましい。

適材適所 vs 適所適材

適材適所なんてもう古い? 広辞苑によれば、適材適所は「人を、その才能に適した地位・任務につけること」だ。一方で、適所適材とは「適した地位・任務に、適材をつけること」です。

「適材適所」は人(人材)が先にあって、その人を適する場所(能力やスキルを発揮できる場所)に配置するという考え方。 これに対して「適所適材」は場所(職務)が先にあり、その職務内容や求められる資質を明確にして、それに合う人材を配置するという考え方。ざっくりと、前者がメンバーシップ的雇用の価値観で、後者がジョブ型雇用の価値観である、という対比で、私は捉えている。

誤解して欲しくないのは、ここでメンバーシップ型がいいとか、いやいや何言ってんの、これからはジョブ型になるでしょ、とか、両者の優劣や善悪を論じるつもりはないということ。

昨今メンバーシップ型でやり玉に挙げられている、終身雇用制度(定年退職制度)も時代背景や潮流を踏まえれば、なぜそういう制度設計になったかが見えてくる。(確かに、終身雇用がかつての日本の高度経済成長にうまく合致していたが、それが「今」と合わなくなっているという指摘のはその通りだと思います)

定年退職のルーツ

ところで、定年退職のルーツ、つまり日本で定年退職って、いつから始まったのか、ご存知ですか。

なんと、1887年(明治20年)東京砲兵工廠(トウキョウホウヘイコウショウ)の職工規定が源流との説です。東京砲兵工廠とは、小銃などの兵器を製造していた陸軍の工場です。ここで働く職工たちは高い技術を持っていたため、まさに引く手あまた。そこで、定年制度を設けて雇用の安心を与え、転職を防ごうとしたのが始まりで、これにより55歳定年が定められたそうです。
驚くべきことに、1880年代後半=当時の平均寿命は、何と45歳ですよ。「死ぬまで雇用します、働いてください」なのだから。

「新しく」与えられた環境で咲く

閑話休題。話を戻します。

何を言いたいかというと、私の実体験から、極端に言えば、「適材適所」この言葉の意味を再定義してもいいのではないか、ということだ。もちろん「適所適材」の考え方を否定する意図は全くない。

私の実体験というのは、約3年前今の会社に中途入社したが、上司との折り合いもつけられなかったりして、これといった成果を2年間弱出せずにもがいていた。昨年4月に別組織の職務、役割(新しい)に配置転換。さらには3回目の正直で、経営トップの起案・判断により、昨年10月末から新しい上司やメンバー、新しい職務・役割を担うことになった。昨年度(2020年度)の下半期は入社以来最も成果、業績が残せたし、「●●さん、(意識や行動が)変わったよね」と言われるようになった。

「適材適所」も悪くない。人材ありきで、その人がハマっていない、うまくworkしていないときに、その人材の資質・知識やスキルが生きる新しい環境(職務、役割と期待する成果をセットで明確にする)を準備する、何なら新しく作り出して再生のチャンスを与えるという考え方である。

結局、人事担当は「一人ひとり作戦」で一人ひとりに向き合う。やることが沢山ありすぎて、とてもそんな暇ないし、時間ないよ〜(時間がいくらあったって)、という悲鳴が聞こえてくるのは分かっています。でも、一人ひとり作戦で新しい「環境」(役割) を与えてもらって、月曜朝からモチベーション高く生き生きと働いている人もいる、ということを知ってもらえたなら、この上ない喜びである。


「置かれた場所で咲く」ということ (hana さんのnote記事)
「置かれた場所に咲きなさい。」
この言葉は、広く知られる渡辺和子さんの名著のタイトルから来た言葉だ。
当時の自分は、まさにその状況だった。
私は望んでいない環境にこれから向かっていかなければならない、もっとできたはずだ、我慢したのに、なんでここに「置かれ」なければならないのか。
(中略)
渡辺和子さんは、「環境の奴隷になってはいけない、環境の主人となれ」という言葉を残している。すなわち、「(置かれた)環境を変えることが出来るのもまた、自分自身である」ということだ。
(中略)
まずは、コロナと戦おう。そして、コロナに一言浴びせてやろうではないか。
「お前を許さない」と。
そして、いつか、全部を踏み台にしてでも大輪の花を咲かせてやる。と誓う。
hanaは、また、咲く準備を始める










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