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生成AIに色めき立つ人たちを横目に見て

必要に迫られ、生成AIのだいたいの概要を学ぶ。
同僚たちは新しい可能性にワクワクして色めき立っている。
自分でも試してみて、便利であることはわかった。
他部署や派遣スタッフから何度も受ける
同じ問い合わせに回答するときなどには有効だろう。

膨大なデータを学習し、その結果を自然な形で返してくれる。
非常に優秀なブレーンがそばにいてくれるのと一緒だ。
しかし、その結果が必ずしも正しいとは言えない。
参考にする程度ならよいが、それに頼りすぎると
結局は「過去の、大多数の人が言っていること」に
支配されるのではないか、という違和感がぬぐえない。

もうひとつ。
私は兼務の仕事として事例記事を書いている。
長いインタビュー内容から大事な言葉を選び、
わかりやすい表現に変え、構成を考えて作る。
生成AIにお願いしたら、あっという間に作ってくれるだろう。
大枠を作ってもらったうえで自分で手を入れるほうが
ラクなのかもしれない。

しかし。
私は文章や構成を考えることがとても好きなのだ。
頭を使って考えることを生成AIに任せてしまったら、
人間は何をするのだろう。
業務を効率化して、空いた時間でより人間らしいことをする?
それはいったい何?

「気候変動を止めるために会社として何ができるか」
という自分の興味のあるテーマについて生成AIに質問し、
さらに2回問いかけをしても、
まあそうだよね、という回答しかなかった。
それに対してさらに学習させるという方法もあるだろうが、
そうやって学習し続けた後にどうなるのか考えると恐ろしくなる。
人間のコントロール下から逸脱しないと
本当に言い切れるのだろうか。

農林水産業の方々、伝統工芸を作る人々、演奏家、画家、ダンサー…。
自分の身体を使って何かを産み出す人こそが
本当に重要視されていくのだろうと思う。
人の手に宿るぬくもり、心のこもった表現。
私の大好きな、頭を使って文章を考えるという楽しい作業は
生成AIに取って代わられるかもしれないが、
これらは絶対に残っていく。
もっと優遇すべき職業だと心から思う。

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