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【自己紹介エッセイ3】書くことは死に抗うこと

 小説の寿命は長くてもせいぜい100年、というようなことを講座の先生は言った。(たしかに50年も前の日本語は現代のことばとはやはりどこかちがうし、時代背景も生活習慣も全くちがう100年も前の小説は正直、読めない。)だから何か遺そうなんて、そんな大それたことを考えないで、ただ書けばいいんですよ、小説を書くことの魅力を楽しみましょう、というような文脈だったと思う。

 けれど大それたことを考えたこともなかった私は、その言葉を聞いてかえって、死んでも書いたものは残るよなあ、という当たり前のことを思った。
 洋紙の寿命は100年、和紙の寿命は1000年だというから驚く。HDDの寿命はそれよりずっと短いけれど、ネット上に刻印された文字データの寿命はどれくらいだろう。

 ところで、私には同居している90代の祖母がいる。若い頃から糖尿病を患い、合併症から目も悪く文字を読んだり書いたりすることが困難になりつつある。頭の方はしっかりしていて、わがままや不平を言わず何でも粛々と受け止める昭和の女という感じ。
 そんな彼女がある日大学ノートが欲しいと言うので五冊セットを買ってきた。
 祖母はどうやら、そこに川柳を書き溜めているようだった。太い油性のマジックで、かろうじて見える大きな文字で。
 散歩に出た際に見かけた花のこと、家族の様子、若かりし日の戦争体験、老いていく自分自身をおかしみを込めて詠んだ句も多かった。孫やひ孫の誕生日には、ノートをちぎって川柳をプレゼントしてくれたりもした。

 祖母が元気なうちに句をまとめておきたくなった私は、書き溜めた大学ノートをごっそり借りて、夜な夜なパソコンに打ち込み始めた。
 その一句一句が味わい深く、心に刺さった。
 べつに習っていたとか、趣味で若い頃から詠んでいたとか、そういうことではない。ただの素朴な言葉の連なりでしかないのだけれど、肉親にとっては、祖母の来し方を追体験するようですべてに興味をひかれ、愛おしく感じるのだった。10冊刷って、親戚に配ることにした。
 評判は上々で、長い感想のお手紙をくださった方もいた。毎晩枕元で読んでいるとか、同じ老いた身で気持ちが沁みるとか。タイトルの解釈も皆違って面白かった。

 ところで祖母の部屋にある祭壇には兄弟姉妹と両親、そして夫である祖父の写真が飾ってある。写っている人たちは誰一人生きていない世界で、私はしばし白黒写真と見つめ合う。
 あっという間なんだろうなあ、と感じる。何かにつけてそう思うことが増えた。加速度的に時間がすぎていく。
 川柳を書き残したことは、祖母がこの世から儚く消えていくのを阻止してくれているように感じられた。
 猛スピードで弛みなく流れる河の中に、赤いインクを垂らすような。余韻がひととき波紋を残していくような。

 書くということが、エントロピーの法則に従って滅びていく肉体にあらがう、そういう役割を果たすといい。利己的だなあと思うけれど、それが誰か肉親や、遠く離れた誰かに一瞬でも届けばいいなと、思う。


(次回から)過去の課題作の小説などをアップしていきます。

 


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