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父が生きる意味

2週間ほど前、父の容態が急変し、自宅と実家を行き来するバタバタとした日が続いていました。

はじめにお話ししますが、その後、父は目を覚まし、今はやわらかいものを少しずつ食べ、普通に話すこともできます。まだ、ベッドから起き上がることはできませんが、これからリハビリをし、車椅子に乗れるぐらいに戻れるといいねと話しています。

父は今年に入ってがんの薬の副作用によって肺炎を起こし、それ以降がん治療ができなくなってしまいました。その結果、だんだんと手足に力が入らなくなり、6月に入ってからは、自分で歩くことができなくなりました。

4月にディズニーランドに行った時は、車椅子もレンタルしましたが、よく歩いていたので、治療をやめたことで、変な言い方ですが、ちゃんと症状が出てしまうんだなと思いました。

それを感じているのは、もちろん父で、今日できたことが明日はできなくなる、今日動くこの指が明日は動かなくなる、それで実際にそうなるんだよ、と話していました。

日々、自分の体に起こる変化を目の当たりにしていた父は悲しくて、つらくて、悔しくて。起こっていることが、はっきりわかるので、世話をされるという現実を受け入れることはとてもとても辛いことです。

自分で何もできない。生きている意味なんかないだろ。

そんなことないよ。

どんな意味があるんだよ?

こんなやりとりをしました。

父には妻も娘も息子も孫もいる。みんな父に少しでも長く生きていてほしいと思ってる。これだけでは、生きている意味になりませんか。

病気は恐ろしいです。体だけじゃなく心もむしばむのです。

父の体調は日によって変わるようでしたが、いつものように授業の後に実家に行った2週間ほど前、体調が少し良かったようで、夕食もご飯とおかずを半分ほど食べられました。それにテーブルを汚さないで、きれいな食べ方ができたことがとても嬉しかったようでした。とにかく手に力が入らないので、スプーンやフォークで頑張って自分で食べたんです。

少しほっとして、私は自宅に帰りました。

その次の日の朝でした。母から電話がありました。朝方吐いてしまい、血圧が上が60になってしまったと。かかりつけ医が来て、3日ぐらいかもしれないと言われたと。あとは本人の気力だと。

変な時間に来る電話にいつもどきどきしていました。いつかそんな電話が来てしまうんじゃないかと、怖かったです。授業中にくる母のどうでもいいLINEに何なんだと思う反面、ほっとすることもありました。

その日は日曜日だったので、旦那も息子もいました。バイトに行っていた娘も帰らせてもらい全員で実家に行きました。

父は呼びかけにときどき反応して、目が開くことがありましたが、すぐにまた閉じてしまいました。目を覚まさなくても、耳は聞こえているそうなのでたくさん呼びかけましたが、結局その日はずっと目を覚ますことはありませんでした。

いったん自宅に帰り、次の日電話をしてみると、

生き返ったよ!と、母。

なんだかすごい言い方で、笑ってしまいますが、母の声はとても嬉しそうでした。父の気力が勝ったのだと思います。

父はその日のことを全く覚えていないそうです。みんなで行ったこと、ずっと話しかけていたこと、記憶にないそうです。でも、きっと声は届いていたんじゃないかなと思います。

父が目を覚ましてから、毎日のように親戚や友達が会いにきてくれました。毎日来る友達もいます。その間、かかりつけ医やヘルパーさんも来るので、母はくたくたでした。一日に10人来た日もありました。でも、父はやっぱりすごいなと思います。こういう時に、その人がどうやって生きてきたのかが分かるのですね。

父の友達が言っていました。父は本当に生命力が強いと。本当に病気のデパートだよな、でもその度に復活して、今回もちょっとあっちの世界を見に行ったんだよなと。
手を握りあって、本当に感謝しているよ、と友達に言っていました。

今、父は一人で座ることも、足を動かすこともできません。でも、生きている意味なんてない、と言うことはありません。



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