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黄山ー杭州へ。 (前編)


2013年6月、黄山ー杭州 旅の記録。



黄山

日本の山とは傾斜角が違う

 安徽省にある世界遺産。中国十大名山の一つ。
約2000m標高の峰がいくつかあり、それに連なる山峰が並ぶ。
以前、上海に暮らしていた時に旅で訪れたことがある。天気もよく晴れ渡った空に水墨画で見るようなそびえ立つ山々の光景が目に焼き付いている。

常州での暮らしが3年近くになった頃、ふと、もう一度その感動を味わいたくなりレンタカーを借りて(中国の免許証は上海で実技免除の試験を受け取得済み)、
再び黄山を登る。あの絶景をもう一度。。。

 願い虚しく曇り空。
時折、霧雨の中に垣間見る岩山の景色は前回と別物。標高こそ、ほどほどでも、日本の山とは形状、傾斜の違う急勾配。苦労して登るも、足元は真っ白で高さすら感じない、見渡すも他の峰すら見えない。。。残念すぎる。

岩山の迫力 この日は霧が多く

 写真の撮れ高もなく。気持ちを切り替えて、料理人らしく、中国の郷土料理を楽しむことにしようではないか。


” 徽菜 hui cai フイツァイ " 、中国八大料理系統の一つ。

  徽菜といえば、安徽省一帯の各地方、広範囲にわたる料理を指すが、元々山間地方の料理特色が派生したものらしい。 中国で山を登る楽しみの一つは、そこで穫れる食材を使った郷土料理である。普段目にする淡水魚 (広い河川の下流のものや湖の養殖もの)とは違った澄んだ水の魚は本当に美味しい。

“ 徽州臭桂鱼 hui zhou chou gui yu フイジョウ チョウグイ ユュ" 
 その昔、冬に入ると長江の魚売りが鮮度保持のために薄い塩水に魚を浸けて木の桶で揺らしながら運んだのだとか。1週間ぐらいかけて徽州に届いた魚は、臭気にも似た独特の香りを持つが、火を入れ調理するとそれまでにない旨味、風味を醸していた。日本の”京都グジ(甘鯛)のひと塩” にも似た伝統の史実。今でも、鮮度の良い魚をわざわざそのように加工するようだ。

观音豆腐 guan yin dou fu グァンイン ドウフ
  私は旅の中、料理の写真を撮り、気になるものはすぐにメニュー名を記入してSNSに上げていた。その時の記録が” 観音豆腐 "とある。その時は知らなかったが、本来は美しい緑色をした豆腐(豆を使っていない寄せものだが、形状から豆腐と呼ばれる)。観音柴という植物から抽出した青汁を草木灰で凝固させたもの。
” 六月凍 liu yue dong リュウユエドン "、6月のゼリーとも呼ばれ、まさにこの旅6月なのに、不思議な黒。予測するにたぶん地物の黒木耳で作ったオリジナルではないだろうか。。。
 文献的にも、フォトリサーチリサーチにかけても、このような黒い豆腐は存在しておらず、激レアさんに遭遇か。


徽州とありますが、
これは杭州について食したものの写真

“ 毛豆腐 mao dou fu マォドウフ "


 
これを食した場所には目につくところに、この原料の毛豆腐なるものがなかったのでその写真はない。

以前、一度だけ、おそらく杭州の西湖ほとり。人力の三輪トラックにいっぱいの毛豆腐を見かけたことがある。毛豆腐とはその表面に大量のカビを生やしたもので、豆腐の表面から1cm以上の毛のようなカビがフワフワと全体を覆っている。ハッキリ言ってかなり恐ろしい見た目をしている。山積みのそれに出くわした時には鳥肌がたったのを覚えている。とても人様が食う代物ではないとその時は近づくことすら抵抗が。

 時は過ぎ、二度目の遭遇。怖物見たさ?いや人間の成長だろう、真摯に中国の伝統食と向き合う姿勢がある。豆腐一丁をレンガ一枚に見せるぐらいのモヤモヤのカビが目につかなかったのも後押ししてチャレンジする。
『 美味い! 』癖も臭みも一切ない濃厚な旨味をもつ、美味しい豆腐。カビ菌の活動により、アミノ酸(旨み)が増幅している豆腐。

 類似するものにさらに有名な ”臭豆腐 chou dou fu チョウドウフ " があるが、そちらは私は苦手な食べ物。発祥由来、作り方、毛豆腐と重複する食品だが匂いが耐え難くギブアップする。食すと臭気が、洗わず放置した雑巾、動物園の香りのようにワイルドに口に広がるのを感じたことがある(個人の感想)。旨味を忘れる匂い。。。

 ”毛豆腐”  この地において、遡ること明の時代とあるのですでに600年の歴史を持つ立派な伝統食。少し纏わる話を書きたいと思う。

 安徽省出身の" 朱元璋 zhu yuan Zhang ジュ ユェンジャン "(明の開祖、皇帝)は生まれが貧しく、子供の頃に乞食と坊主を経験していた。ある時一度だけ飢えのあまり、人が廃棄した時間の長い豆腐を拾い、洗って油で揚げたら得もしれない美味しさだったという話。

 流浪を経て、彼が成長し、軍の統帥となり各地での戦いに勝ち続け故郷、徽州に攻め入る。この地の百姓たちが夏の暑い日に、彼の軍に大量の豆腐を献上したが食べきれずその場で時間を経て白や褐色の毛(カビ)が生えた。朱元璋は無駄にしないために『それを洗って油で揚げろ』と命令したという。

 徽州を堕とし切り、手中にしたときに嬉しさのあまり、それを皆に振る舞い、その部下たちによってこの地に広まったという話。

臭豆腐の関連記事にも同様のことが書かれていて、由来の同じ食品であることがわかる、私的には食べれる方と食べれない方、臭い方と臭くない方で分類する。

旅の途中、SNSを発信しながらだったが、早速上海で知り合った友人がコメントをタイムリーに入れて来た。『私には毛豆腐を語る権利がある!』、そういう彼女は黄山生まれだ。
『食べ方が違う』、『農家の家庭で食べるのがいい』、『今の時期は少し苦味がある』、『冬のものが一番』とのこと。しかし、苦味は感じなかったし、昔の人は暖かい時期の自然なカビ発生を食したのだから私もコレで良いと思った。すでに黄山を離れていたし。。。
 
 ただ恐れていた伝統の食べ物を食し、納得を得る美味しさを感じたことが良かった。

黄山のビールラインナップ 一度には飲んでません


 ゆっくり旅したかったが、急遽帰らなくてならなくなり、予定を変更した。
せめて、杭州料理を昼食にして戻ろう。

                    ▶︎      ” 黄山ー杭州(後編)” へ続く

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