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【料理の旅人 再現中華7】 孔家红鱼 kong jia hong yu / 孔子の里の鯉料理

【料理の旅人ー再現中華ー】
2023年3月、既に風天を閉め、会社の清算、廃業申請の認可待ち。
帰国寸前に20年間に及んだ中国との関わり、生活の集大成。
ネガティブな問題の蓄積、結果として離れる中国だが、無駄にせずポジティブな経験とすべく、ギリギリまで中国旅をして郷土中華料理に親しみ、中国の素材を使った料理、日頃距離を置いた( 日本食を扱う仕事の為 )中華の技法を独自に学ぼうと試みた。
仕事と違う側面。日本人料理人による、中華への取り組みを記事にする。
日本人的なアレンジは多少あるが、食べて舌から学んだ料理を再現したもの。
旅の料理人としてのアーカイブ。

再現中華ー寄稿に際してのコメント


2023年3月に、常州から約600kmをドライブに出て、
世界遺産、曲阜の三孔 …孔子廟、孔府(子孫一族の住む屋敷)、孔林(一族の墓群)を訪れる旅をした。旅については別に記事を書く予定だが、この地で食した料理の一つを再現してみたので紹介しよう。



孔家红鱼                                                                     2023.4.8


山東省曲阜、かつて” 魯 "の国であったこの地域では、” 鯉 " のことを " 红鱼 hong yu ホンユュ " と呼ぶ。
これは、春秋の時代の曲阜に生まれた儒教の始祖 " 孔子 kong zi コンズ "と関わりがあるようだ。

孔子、彼は19歳で結婚して、翌年に子が生まれた。これを知った当時の魯の君主が、使いをやり大きな鯉を祝いの品として贈ったという。武人の息子であり、当時身分の低かった彼は、国王からの贈り物に感激して息子の名を "  孔鲤コンリーkong li ” (字は伯魚)と名付けた。

 孔鯉は特に才能を開花させず平凡な人生を送るが、彼の息子 " 子思ズスー zi si "(字。名はキュウ )  は儒家の四大経典を書き上げ、王家の賞賛と尊敬を受ける。
子思の地位の向上により孔府では " 鯉 "を祭祖の場に供えないことになった。
生活に儒学影響を強く受ける黄河周辺の人々が、尊敬の念を込めて” 鯉魚リーユュ "を” 紅魚ホンユュ " と呼び、これに倣い鯉を祭祖に用いないようになったという。

もともと黄河周辺は鯉の主産地であり、登竜門の謂れなどもある。
この呼び名は現在に至り、黄河沿川地域では魚を獲るものに限らず、金の鱗と赤い鰭を持つこの魚を、皆が紅魚ホンユュと呼び親しむようだ。





水栗

 ▲  特に繋がりはないが、日本では見かけない水栗みずくり 、旬のようなので市場で見かけて購入した。鯉と同じく淡水のモノ。

生食できるようだが、個人的に淡水に育つものを生食することに抵抗があり、皮を剥いて軽く火を入れる。
食感は” 栗 "ほどの密度のあるものではなく、生のジャガイモ的なシャキッとした食感。少し香ばしく感じなくもない。おひたしにした。


孔家红鱼

特に作り方は、以前別の記事に書いた " 红烧鲈鱼ホンシャオルーユュ(スズキの紅焼ホンシャオ) ” と変わりはない。 

子持ちの鯉であった。
” 鯉 " の子であるから、” 子思飯 zi si fan ズスーファン " と名付ける。
私の勝手な中華創作丼。鯉はよく出世を意味するが、その” "はさらに成功を収めたというダジャレ的発想の、吉祥料理だ。。。



曲阜の孔家紅魚

▲  曲阜の旅中、小さな土菜馆トゥーツァイグァン = 郷土料理屋で食した時の写真。” 魯菜ルーツァイ” らしく、少し塩気のハッキリした味付け。ご飯がよく進んだ。

しかし、謎が一つ。これは鯉ではない

肉質がスズキなどのしっかりした白身魚の類、あるいはホッケのような身の崩れ方だった記憶。身の味が濃くて、味付けに負けない、しっかりとした風味を持っていたのが印象的。。。

曲阜は孔鯉への敬意のあまり、祭祖意外でも鯉を供さなくなったか?
” 孔家紅魚 ”というのは単に料理名であって、普通に” 紅焼ホンシャオ で作った魚料理全般をそう呼ぶのか? 後から疑問が湧いたままだ。参考になるものが見つからず、調べがつかないままだ。

まだまだ、書いていく中国関連の話があるが、そんな記事を書くうちにいつか答えを見つけるだろうか。。。

          
                                 以上

▼  記事の追加しました。曲阜の名物料理を。


 

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