29歳になりました。

20代最後の誕生日を迎えました。
家族、事務所をはじめ、日頃お世話になっている方々に感謝する気持ちと共に、まだまだ、すごい人達のついでに観ていただけているに過ぎない未熟な自分を、悔しく思う気持ちもあります。

しかし、感謝すべき幸せな部分を見失いたくないので、気持ちの整理も兼ねて、今日までのことをお話しさせてください。長いですが…


1992年4月7日。北海道釧路市で、予定よりも1ヶ月早く生まれました。未熟児だった僕を救ってくれた母と産婦人科の先生に改めて感謝します。

3歳の頃、周りの人や物事に全く興味を示さない僕を心配して、母がウルトラマンの本を買ってくれました。
それがキッカケで、映画やドラマ、物語の世界が大好きになり、
その後、
『ウルトラマン平成3部作』
『木曜の怪談』、『金田一少年の事件簿』、
『銀狼怪奇ファイル』、『聖龍伝説』、『三姉妹探偵団』など、90年代ドラマにたくさん夢をもらい、

10代に入ったばかりの頃、
NHKさんで放送されていた海外ドラマ
『ハイスクール☆ウルフ』を観て、将来は映画やドラマを作ることに携わる仕事に就くと決意しました。
それからたくさんの映画やドラマを観て、俳優として携わりたいと目標が固まりました。

しかし、そのために乗り越えなければならないことがたくさんありました。
僕が生まれる前から、実家が大人達の揉め事続きで、高校にあがる少し前に両親も離婚し、散々とばっちりをくらってきたのに、長男なんだから、男なんだから、グチャグチャになった家の後始末をしろと当たり前のように言われていました。さすがにそんな勝手な話があるかと反論すれば、人として最低だと言われ、ボロクソ責められました。
その僕の悩みを、自分がカッコつけるために利用しようとする嫌な大人にも出会いました。

高校卒業を間近に控えた頃、
気持ちが負けて、従順になったふりをして就職を決めました。 
たまたま家が裕福だっただけで、目的もないのに都会に出してもらえて、地元に残る僕らを浮かれて馬鹿にしてくる同級生が憎くて仕方がなかった。

社会に出た後、しょうがない、これしかないと毎日自分に言い聞かせる日々が続き、元気を出そうと大好きだった映画やドラマを観ても、涙が出るようになってしまいました。
そんな僕を、問題を起こした張本人達が、現実を受け入れられないヘタレ野郎と馬鹿にしました。
外で明るく素直に振る舞えば、自称・目が肥えてる人たちに、苦労知らずのお坊ちゃんなんでしょ?と言われ…

決して地元にいい思い出がないわけではないし、今でも感謝している人はたくさんいるし、自分自身にもダメな部分たくさんあったと思います。でも、僕っていったいなんなんだろうと、おかしくなりそうでした。

このままじゃいけないと思い、就職先でお金を貯め、唯一の味方である母と姉の助けも借りて、20歳になる直前に東京に出て今の事務所に入り、1人暮らしとお芝居の勉強をスタートしました。

その後は、お芝居以前の人として未熟な部分を、たくさんの方々に叱っていただき、

22歳の時、ドラマ『ごめんね青春!』で駆け出すチャンスをいただき、

それから今日まで、『映像研には手を出すな!』や『24JAPAN』などのドラマ、『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』、『ガチ星』、『僕らのごはんは明日で待ってる』、『ほんとうにあった怖い話2017』などの映画、『シマホ』、『サッポロ  -0℃』、『星のドラゴンクエスト』などのCMに出演させていただきました。

2017年に、NTT西日本さんの『就活生応援MOVIE』で初めて主役をやらせていただきました。

焦って大事なことを見失い、大失敗して監督や共演者に迷惑をかけたり、

いい出会いができたと思っていたら、変な嘘をついて僕のネガキャンをしていた人、差がついた途端に本性を現して馬鹿にしてくるようになった人、苦労も努力もしてないお前なんかと対等だと思われたくない…と勝手に決めつけ軽蔑してくる人たちに悩まされたり(もちろんその人達だって、それだけ辛いこといっぱいあったり、必死なのだと思いますが)

苦い経験もたくさんありましたが、
俳優としての小さな夢が叶ったり、本当のいい出会いが出来たり、
僕自身も劣等感で見失っていた、
そもそも自分は何が好きで俳優になりたいと思ったのかということを見つめ直せたり、
テレビに出る度家族に自慢してるよと恩師から言ってもらえたり…
1歩踏み出してよかったと思えることもたくさんありました。

自分の素の冴えない感じを武器にしたお芝居ができるようになりたい!という一生の課題も見つけ、撮影に挑む時はいつも念頭に置いてやってきました。素を活かしてカメラの前に立つと、芝居してない、何も考えてないと決めつけられることもありますが、最近少しずつ、評価してくださる方も現れてくれています。

いろいろとまだまだですが、1人の人間として、俳優を志すものとして、なかなか濃い人生を歩めているのかなと思います。

29年の間、僕を活かしてくださった皆様に心から感謝申し上げます。

長々と失礼しました。
こんな僕ですが、今後も応援していただけると幸いです。

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