見出し画像

『向き合うこと』についての僕の理解

皆さま、新年あけましておめでとうございます!

見習い心理カウンセラーのフミです。

今年一発目のブログ。

去年の振り返りでも書いてみるか!と意気込んでいたのですが、振り返りよりも書きたいことがあることに気がついたんです。それがこのタイトルである『向き合うこと』。

2023年は【心が大きく動いた年】でした。

これまでの人生でトップ1、2ぐらいで心が動いた年だったんじゃないかな。そんな風に感じています。

心が動いた。
それは、たくさんのことに向き合ってきたから。

今、何気なく言ったこの『向き合う』という言葉。実は僕の中で、ずっと疑問に思ってしまいました。具体的にどういうことなんだ?と。
心理学を勉強し始めた今だからこそ、頻繁に使うこの言葉。いざ説明しろと誰かに言われても、うまく言語化できないよなーなんて思ったんですよね。

なので今日は全く新年ぽくない内容になりますが(笑)、この『向き合うとはどういうことなのか』について、その大切さも含めながら僕なりの理解を書いてみたいと思います。

「向き合う」とは

結論から言うと、『向き合う対象(家族、パートナーなど)への想いやイメージを書き換えること』なのかなと、今の僕は思っています。

もう少し噛み砕いてみると、、

向き合う対象へ抱いている想いやイメージが、どうしてそうなっているのか?という視点で過去を掘り下げていく。掘り下げていく過程で、向き合う対象へ湧いていた昔の自分の感情(または意図的に感じないようにしていた感情)を”今の自分”が感じてあげる。そして、そこにはどんな愛があったのかを見つけ出して、その愛を頭ではなく心で理解していく。そうすることで、”今の自分”が当時の自分を客観的に理解・肯定できるようになり、その対象のものへの見方やイメージが変わる。要するに解釈を変えること。

なんだか難しいですね…笑

例えば僕の場合。
去年ずっと向き合ってきたのは母でした。僕の自己肯定感が低く、感情に蓋する癖がついたのは母のせいであり、母をずっと毒親だと思っていました。
9歳の時に父親を亡くし、その頃から過干渉になった母。毎日押し付けてくる指示や命令に従うしかなく、僕は自分を押し殺し、母親の期待に応えようと一生懸命生きてきました。その結果、自分の気持ちや感情がわからないまま大人になり、自信もなく、他人や世間を軸にする生きづらい人生になっていました。

しかし、心理カウンセリングや本などを通して母親と向き合い始めてみると、当時の自分だけでなく、母の状況や気持ちなどを大人になった今の僕が心で理解することができたんです。

先日、心理学講座で一緒に学んでいる同期(ミハルさん)とカウンセリング実習をしたのですが、その時に

『9歳のフミくんは、感情を殺してまでもお母さんを守りたかったんだよ。そこまでしてお母さんを守ってたこと、気づいてる?』

と言われ、涙してしまいました。

それから数日間、ミハルさんの言葉が心の中で響き渡り、心にゆっくりと染み込んでいくような感覚がありました。

「自分の感情を殺してでも守っていた人がいた」

否定的だった幼少期の自分を一瞬で肯定的に見れるようになり、解釈が変わった瞬間でした。すごいことを成し遂げていたんだなと。そして同時に、母親に対するイメージも「子供の気持ちを踏みにじる毒親」だったのが「僕が命をかけてでも守りたかった存在」へと変化。昨日は元旦だったので、母とLINE通話したのですが、だいぶ柔らかい目線で話せた自分がいたように思います。

これが母親と向き合った結果の一例です。

どうして向き合うのか

向き合うことは、決して簡単じゃない。怒りや憎しみ、悲しみや悔しさなどネガティブな感情をたくさん蘇ってくるかもしれません。それだけ辛い思いや気持ちを抱えて生きてきたのだから、言ってみればそれは当然のこと。

というか、別に向き合わなくたって生きていけるし、向き合うことは強制じゃない。知らんぷりして一生を終える人だって世の中にはいるし、気づかない人だっているわけで。

でもどうしてそこまでして向き合うのか。
どうして勇気を振り絞って向き合おうとした自分がいるのか。
なぜわざわざ嫌な過去のことに向き合う選択をするのか。

その理由は、

『向き合った先に幸せがあることを知っているから』

だと僕は思うわけです。

とても感覚的な話ですが、向き合おうとする人の心には「幸せになりたい」っていう気持ちがずっと強くあるんだけれど、それを無意識レベルで必死に抑えているんだと思うんです。罪悪感やら無価値感という自己防衛するツールを使って、必死に抑えないと生きていけない状況にいた、が正しいのかもしれません。そして、その無意識下にあったそんな気持ちが、何らかのきっかけ(失恋など)でポコっと顕在化する。つまり自分でちゃんと意識できる領域レベルにまで湧き上がってきて、その瞬間を待っていたかのように「あ、時が来たな」的な感じで向き合う選択をするんだと思うんです。もう無意識下ではいられなくなった、限界だった。だからもう顕在意識の中でちゃんと認識せざるを得なくなった。そんな感じだと捉えています。

向き合うことで得られるもの

「幸せになりたい」と言う気持ち。

サラッと言いましたが、これは人間みんなが持っている気持ちだし、これほど無垢なものはないんじゃないでしょうか。美しくて、価値のある思いです。
でも、幸せになるためには、愛というものを理解することが必須な気もしています。自分への愛、他者からの愛、他者への愛。深く向き合うことによって、溢れんばかりの愛を見つけたり、見逃していた愛、気づかなかった愛に出会うことができる。そのたくさんの愛を”頭でなく、心で受け取る”ことで、愛と繋がり、幸せへ一歩前進するものだと思っています。

人は愛に触れると心が揺さぶられ、涙が出たりしますよね。そういう経験をたくさん積んでいくと、少しずつ内面に変化が起きてくるものだと思っています。愛に触れると見方や意識が変わり、見方や意識が変われば心が変わる。そして心が変わると、確実に言動や人との接し方が変わっていく。

そして何より本質的なのは、

『同じような悩みを持つ人に寄り添い、共感し、気持ちをわかってあげられるようになる』

これが向き合うことで得られる本質的な価値なんだと思います。

何かと向き合うこと。

それはとても怖いこと。勇気がいること。心の準備もそうだし、膨大なエネルギーも必要で、時間のかかる作業。
でも、その分だけリターンは本当に大きい。向き合った分だけ幸せが跳ね返ってくる。それだけ自分の幸せに近づける。僕はそう思っています。

2024年もどうぞよろしくお願いします。

フミ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?