会話をしない生活を4年続けてみた結果
人と会話をしなくなって久しい。今はコロナ禍になったので、誰しも多少は当てはまることと思う。
私は2017年くらいから、人とあまり会話をしない生活を送っている。
この生活を始めて4年、経つようだ。文章にしてみるとその長さに驚くが、本人としては至って平気だから不思議だ。
具体的に言うと、店員さんとの会話(Mサイズのカフェオレをお願いします、や、レジ袋は要りませんなど)や、図書館の司書の方との会話(返却お願いしますなど)はしている。
要は最低限の会話(同じアパートの方に「おはようございます」というなど)しているわけだが、友達と遊んだりといったことはしていない。
それでも年に1度くらいは、人と話すこともある。誤解して欲しくないのは、私は会話が出来ないわけではない。
カフェに行くことが好きなのだが、カフェの店内を見渡せば、様々な方々が一人で作業なりして、過ごしている。
このご時世なので、以前よりも増して、一人でいる方も多い。良く見かけるのは、年配男性が一人で珈琲を飲みに来ているところだ。
その姿を見ると、性別や年齢など全く共通項がないのにも関わらず、不思議と親近感が湧く。
以前読んだ本に、年を取ると男性は孤独になり、女性は楽しそうに女性同士でお喋りに花を咲かせると書いてあった。
その作者は年配の男性であった。なんだかその例えに偏見を感じたが、その話を私に当てはめるとすれば、私は、男性のように暮らすのではないか?と思える。
人とどのくらいコミュニケーションを取るのが、「普通」なのか、私にはわからない。そもそも「普通」という言葉は嫌いだ。
カフェなどで会話をしている人を観察してみれば、大抵片方の人がたくさん話していて、もう片方の人は一方的に話を聞いている。
その姿をみて、正直人の話を聞ける人は偉いな、と思う。今は、誰もがネットなどで、自分の主張をして酔いしれていたいという人が多いと感じるからだ。
実際、本当にその人が、相手の話を聞いているわけではないのかもしれないけれど。
私は今まで、何かを話すことが億劫に感じていた。何かを言ったところで、似たようなことをすでに歴史上の誰かが言っているでしょう?と思ってしまうからだ。私が言う必要がどこにあるのだろう、と。
こんな風に生きていたら、これからも私は、誰ともそこまで親しくなく生きていくことになる。現代は会話しなくても生きていける世の中だ。
日本語はラクで、「これください」とメニューを指さしたり、首を横に振ったりするだけでも会話が通じてしまう。
その反面、本気で人と関わったら傷つくのは目に見えている気がしてならない。SNSの見すぎなのかもしれないが、毎日誰かしらが叩かれている。
それを見るたびに私は心が痛む。その一方で、不満を書き込める元気があるのが、ある意味で羨ましい。ヘイト的な書き込みをする人は、気力に満ち溢れている。
私は毎日、生活をするだけで精一杯だ。何か積極的なアクションを起こせることは、その内容が不適切であったとしても、私にとって「元気で羨ましい」。
このまま、何も発しない方がいいのでは?と正直、毎日思っている。
でも、noteを始めることにした。
人生120年、とも言われる時代なのに、私は20代だが、すでに疲れ果てている。大人達からすれば、全くもって「若者」らしくない。
やっても、やらなくても、退屈極まりない世の中なので、
ならばやろうかな、と思った次第だ。
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