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別れることを想像して、人と付き合うのはダメですか?外国人と話して感じた「孤独」への違和感

外国人と話していると、私の考えが理解されていない。言葉が通じていないのではない。考え方がわからないようなのだ。

具体的に言うと、「誰か、例えば恋人や友達と付き合う時、別れることを想像して付き合う」と言う考えが。
そう考えれば辛くないし、日本の桜が散るように、すべては移ろいゆく。とても仲が良い人と別れるとしても、それは運命として諦める…というのが私の考え方なのだが。


たった一人の外国人に言われたのなら、偶然と思えたが、何度もこう言うことがあった。

「そんな考えはおかしい。そしたら、うわべだけの付き合いになるでしょう」と。

私の中では、現代は3人に一人が離婚する世の中なので、別れないことを考えるのが難しい。それでも結婚を選ぶ人々を、私は凄いと思っている。無論、嫌味ではない。

「友達はいないのですか?」
と聞かれた。ここで「いない」と言えば、「それは、可哀想に!」と哀れまれる。私はそんなことを何回も経験している。「可哀想」と同情されれば、友人というよりも、相手も意図せぬうちに、相手は上に立ち、平等な関係は崩れる。

私が学生の頃も、友達がいないことを「可哀想」と思った同級生が、「私が友達になってあげるよ」と、いきなり言い出し、謎の上から目線を発揮してきた。
いや、そんなのいらんねん。私は当時、本を読んで満足していたのだが。それは、多少寂しいこともあったけれど、その時だけ満足するような、軽はずみの友人関係を作りたくなかったために、一人を選んだ。

何にせよ、「友達いない」といえば、話が長くなるのだ。その二の舞を防ぐために、「いるが、学生時代の友人とは疎遠だし、人生も変われば付き合う人と離れることもあるでしょう」と言ったら、
「孤独ではありませんか?」という返信。なぜか、孤独という言葉がその人から出てきた。そんなに、さみしいことかいな。食べるのは好きなのだが、一人で食べると、食べ物とマンツーマンで向き合えるのが好きだ。

孤独は悪いことなのか?


「孤独はありますが」といえば、「どんな時に孤独ですか?」と聞かれる。
「誰かと居ても、孤独です」と返したのだが。
日本語の孤独の概念と、それは違うらしいようである。孤独を調べればlonelinessやisolatedなどが出てきて、とても悲しそうな雰囲気だ。
日本では「孤独死」という言葉もあるけれど、「孤独」ってそんなに悲劇的なことには見えない。

「世の中は、高齢化しています。高齢化すれば、人は孤独になるでしょう。孤独は悪いことではありません」と私は、言ったのだけれど、理解されている気がしない。

日本人から、想定される二択の答え


日本人に「孤独や、別れることを予期して付き合う話」をしたら、多分二択の考えが返ってくるだろう。
一つは「そうですよね」という無難な返し。大抵のことは、みんな議論するのが面倒で「そうですよね」なのだ。本心は「はよ、ネトフリみたいねん」だろう。これは、日本人特有の返しに思うが、これの方がどれほどマシか、と思う。日本人の会話力のなさ(失礼)も悪くないよ、マジで。

もう一つは「俺が、それを覆すよ。俺と永遠にいよう…」タイプ。私はこれが、嫌いではない。もちろん彼と別れる結末もあるだろうが、少なくとも彼はこの時点では、本気でそう思っているわけだ。いや彼ではなく、彼女でも同様に。

さて、パターン3が外国人から出てきたので、困ってしまう。そんなにこの考えはダメなのか。今まで、この考えが至極当たり前で、違和感を感じたことがない。


なぜかしら、友達がいないことは可哀想らしい。いやいや、人に嫌なことを言ってくるような輩もいるわけで、そういう人を「友達」としている人もいるではないか。変なしがらみなど、いらぬ。動きが鈍くなるだけだ。私は、「家族」などというしがらみも嫌いだ。どうにもウマが合わぬ親戚もいる。出来るだけ、会わない。母は好きだが、これはしがらみを感じないために好きなのだ。

そういえば私が学生の頃、学校の先生も「友達が少ないですね。もっと友達ができるといいですね」という定型文を返してきたっけ。人によっては、高圧的な口調で言われる。それでいて、なんらの対策もアドバイスもない。三者面談で言われるのだが、その度に母が寂しそうな顔をしているように見える。友達がいないことよりも、そんな風に言われることがよっぽどこたえる。なぜって、私ではなく、この事象とは関係ない母を傷つけることにもなる余計な発言である。私に面と向かっては、言えないのにこういう時には、先生は大人の顔ができるのだ。
部外者はなんだって言えるのである。
まあ、聡明な母は本当に傷ついてなどいないだろう。

当時私は、そんなことをいう先生を内心「平凡な切り返し、そんなことで人を査定するなんて、本当につまらない大人だなぁ」と距離を置いていたが。いやぁ、当時の私はトンがっていた。今は、幾分穏やかである。ただ、差別的なものを見ると、私は、どうにもしようもない感情が湧く。


件の外国人に、

「諸行無常のマインドが日本にはあります。それと同じです」と言った。そう言っても、やはりわからないようだ。
人は「別れを想起する」私を「冷めている」と、客観的に見て言う。
その客観的に見ている彼らの眼差しも、充分に冷めたい。

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