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お前がnoteに書きたいのは、そんなことなのか、と自分を疑う、朝

朝、起きた瞬間、思う。投稿する前にも、毎回。

書くことはたくさん浮かぶ。たぶん100個くらいはネタがある。書くことが、浮かばなくて…というのが、ちょっとよくわからない。毎日、この野郎!と書き尽くしたいことだらけだ。

でも、それを本当に書きたいのかよ?

書いて意味があるのかよ?


昔の出来事とか…例えば、昨日あげた二つの記事とか。


お前が、なに習慣術とか語ってんだよ、とか。昔の嫌なことを書くより、楽しいこと考えた方がいいんじゃないか、とか。

別に、昔のことばかり考えているわけじゃないけど、そんなことばかり考えてる奴に、見えてるんじゃないかとか。

まだ、ネガティブな話で、書きたいことがある。でも、みんなの気持ちを暗くさせたいわけじゃない。ただ、事実だし、書くか、と思っているだけ。おんなじ気持ちの人も、どこかにいるかもしれない、その人が、私の記事を求めているかもしれないじゃないか、と。

はぁ?ネガティブな話は、みんな聞きたくないんだよ、投稿する意味あんのか?とか。でも、書き終わったんだから、とりあえず出しちゃえよ、とか。

クソ俯瞰的な自分がいて、そもそも誰も見ないんだから、投稿しちまえよ、と言う。どうせ、お前のなんて、見ても飛ばし読みだから、大丈夫だよ、とか。 

ならば、自分の問題だ。

辛すぎることは、正直、書けないのだ、私は。ある日、物語が浮かんで、辛い経験をした人が救われる話を書いてみたいな、と思ったことがある。でも、そもそも辛いシーンが、書けなかった。頭痛がしたし、毎日よく眠れなかった。ここから楽しいシーンが待ってるんだぞ!と言い聞かせても、ダメ。我慢も、よくない。


だから、今抱えている気持ちをまだ、書くことができない。でも、時間がたてば、書ける。


ただ自分の中では浄化されたことでも、書く時に、思い出してしまうのだ、その出来事を。日記に書く分にはスッキリするのだが、誰かに見せるのはちょっと違う。いや、書いたほうが、思い出と決別できるんじゃないか?

昔の恋人とのプレゼントを捨てるみたいに。でも、どこかの調査では、プレゼントを捨てない方が、未練がなくなる、むしろ無理に捨てると、思い出す、とか言う。

あー、もう面倒くさい。私は、とりあえず、なんでも誰かを傷つけないことなら、書く。

でも、ネガティブなことを書いても、私がネガティブなわけではないということだけは、言わせてほしい。ただ、吐き出したいだけだ。この行き場のない、思いを。

書くのは、苦しいのだな、と思う。でも、書いてしまうのだ、というか、書かなくてはいられない、というか。

こんなこと書いて、恥ずかしくないのかよ、と思っていた。でも、そんな恥は捨ててしまった。

恥ずかしくても、かっこよくなくても、自分がイケメンじゃなくても(美人より、イケメンと呼ばれたい)こうやって生きていくのだ。

むしろ、変なプライドに固執する方が、この先、生きづらいのではないか?泥を飲んでも、蹴飛ばされても、這い上がれば、ダメージゼロだ。

どんなに無様だとしても、生きた奴が強い。


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