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オシャレな服は好きだけど、そろそろファッションの根性論は終わりにしたい


何年生きても、毎年この時期に何を着たらいいのか、わからない。去年も悩んだはずなのに、一年経つとすっかり忘れている。

春色が好きだ。春服が好きだ。

でも暑がりな私が着られるものがない。熱中症になって以来、暑さにはかなり敏感だ。最近は、今まで以上に、春服を着れる時期が短い。夏服ならたくさん活躍する。

Tシャツは、冬でもインナーとして活用出来る。ニットが好きだが、着る季節はあまりに短い。
サマーニットは暑がりな私が買うのには、ハードルが高い。

意外と涼しいですよ、と店員さんは言うけど、本当に涼しいわけじゃない。「意外と」なだけだ。

この時期、素敵だなぁと思うのはスプリングコート。私には暑すぎて無理だ。本当は、颯爽とこれを着て歩きたい。あたかも生まれついてのオシャレなんですよ、という雰囲気で。オシャレな人は、これがデフォルト(通常運行)ですよ、って顔をして、街を闊歩する。


オシャレな服は好きだ。着たい気持ちはある。
でも汗をかきながら、コート着てもカッコよく見えるだろうか?

温度調節が面倒いので、そろそろ楽な服はありませんか?


外に出ると涼しいから、上着を着る。しかし駅まで行くと暑いので、電車の中では脱ぐ。しばらく座っていると、また着る。銀座駅などは駅構内が広いので、歩いていると暑くなって、また脱ぐ。外に出て、また着る。でも、室内では脱ぐ。

バッグに入れようかなと思うけど、いちいち畳むのは面倒だ。といって、そのまま放り込めば、シワがつく。

手で持てば、持ち忘れないか、と不安になる。買い物をした際に、ジャケットを持って移動するのは嵩張る。バスや電車のように、狭いから、脱ぎ着に難しいシチュエーションもある。そんなこんなで、一日中、上着のことを考えている必要がある。

最近はマスクをしているだけで、服一枚着てるような暑さだ。

そろそろ、温度調整が可能な薄手のインナーが出てきて欲しい。それを着ていれば、上に何を着ていても大丈夫なものが。そしたら、その上にニットなり、キャミソールなり、何でも着たいものを着られる。


着たい服と着られる服は違う


スウェーデンのブランドの服が素敵だった。店舗がなく、試着することが出来なかったが、取り寄せることにした。デザインは洗練されていた。しかし、とにかく暑すぎる。東京の真冬にも、着ることができない。なかなか服、というのは難しい。

転勤族で例えば、雪山や南国に引っ越しをすることになったら、その度に服を買い換える必要がある。

ニューヨークではヒールは、通勤時に履かない。ヨーロッパではスカートはあまり履くことはないそうだ。

いったんワイドパンツやスニーカーを履いてみたら、もうスカートやヒールを履くことが出来なくなった。

スカートも良いだろう。しかし、スカートにしろ、ヒールにしろ、何かあった時に走れない。危険があっても逃げ遅れる。行動量が、圧倒的に落ちる。もちろん、危険のない世の中がいいけれど。何が起こるかなんてわからない。自分の身は自分で守るしかない。

昔、仕事で10cmのヒールを一日中履いていた。実はほとんど初めてのヒールだった。とても歩けたものではなかった。働いていた場所が都会だったので、家に帰る時には、足を引きずるようだった。外反母趾が悪化した。

そう考えると、kutoo運動は助かるなぁ、と改めて思う。

中国や台湾のドラマを、最近よく見ている。重役以外は、オフィスに、スーツを着て行かないことに驚いた。それどころか、とてもラフな格好をしている。まるで普段着や家着のような感覚だ。

良いのかは、わからないが、中国では暑くなると、お腹を出して歩くおじさんが現れる。暑さに我慢出来ないらしい。

その反面、日本では暑くても、きちんとした格好の人が多い。クールビズなんて言うけど、ネクタイを取っただけ、半袖になっただけで、Tシャツでいいというわけでは、なさそうだ。

それは、ある種の根性論に思う。真夏は日傘をさしたら、涼しいとか、そういう次元での解決策が欲しいわけじゃない。黒い色だと暑く感じるとか、確かにそれはあるだろう。でも、そんな解決策で満足してしまったら、何も変わらない。気休めでしかない。それを全て取り入れた上で、まだ何かが足りない。

似たような服ばかり売られている

最近はリモートワークの影響で、綺麗めな部屋着が流行っている。家で使えるのはもちろん、ちょっと外にも出ることができる。その発想が、とてもオシャレだ。

服、ましてや部屋着は、本来なんだって良いはずだ。そこには、オシャレでありたいというよりも、目立ちたくないという視点がある。同調圧力。

変な人だと指を刺されたくないから、ダサくはなりたくない。かといって、目立ちすぎるのも良くないので、オシャレ過ぎるのも良くない。ショッピングサイトを見ていると、独創的な服が少なく感じる。普通に、街行く誰もが着ていそうだ。そこでは、「私らしさ」を、体現出来ない。

そもそも、あの人オシャレだよね、というオシャレは、そこまで突き抜けたものではない。海外のスナップを見ていると、その色を取り入れるんだ!というような、ギャップを感じる。

売られている服のどれもが、凡庸で似たようなものに見える。素材へのこだわりは感じるけど、どこかで見たようなシルエットが並んでいる。

誰にでも優しい社会へ

この一年で、私たちは色々、知った。色んなことを考えるようになった。世の中は、思っていたよりも汚かった。目が冷静になっている。私は悟った。

民主主義とか、平等とか言うけれど、今の日本は、果たして本当にそうだろうか?と、たまに疑問を感じる。

ネットは容易に、他の世界を見せる。一度、そんな理想や自由に触れてしまったら、それを味わってしまったら、もう知らなかった頃には戻れない。

世の中には様々な価値観がある。それは、なかなかメディアでは、取り上げられない。

ありきたりな発想よりも、壁をぶち破るような発想に出会ってみたい。これは良いとか悪いとか、YESやNo以外の考え方があるのではないか。というか、白黒つけられるものなんて、そこまであるのか。

外国の本を読むと、その発想に驚かされる。思考に柔軟さがある。別に、海外が凄くて、それに比べて日本は…と言いたいわけじゃない。日本の中にも、色んな考えの人がいるはずなのに、なかなかスポットライトが当たらない。

今の社会には、多種多様な課題が残されている。

しかし、これからの時代は、意外と良くなるんじゃないかな、と思っている。この発想が、ただの希望的観測にならないことを私は願っている。

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