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神社の一件を通し、瞑想して気づいたこと【瞑想の不思議23】

今回の記事は、瞑想中に浮かんだおもいなのですが、多分高次元からの私へのメッセージでもあると思います。
高次元からのそれらは、あっという間に消え去っていくので、メモ書きのような文章になっていて、いつもより読みにくいと思います🙏

アシュタールさんの話を経て。
神社は、一部の人の思惑によってできた☞金儲けも含む
新興宗教も然り。教えは、愛によるものだったとしても、組織化すると、そこには経営(運営)という概念ができてしまう。
経営が必要になると、金儲けに、はしる人も出てくる。

事実、実家ではとある宗教を信仰しているが、わかりやすく言うと、教会を維持したり、より多くの人に教えを広める為に、ノルマ的なものが課せられてしまう。

そのなかにいる人たちは、それが信仰への忠誠心的に考えている人が多く、私はそれが嫌だった。

例えば、アシュタールさんは、私達の疑問に答えてくれるとき、私達の成長を願い、ただただ愛をもって教えてくれる。

ただそれだけ。教えてあげるのだから、私を奉りなさい!!なんてことは、きっと全く思っていない。

そして、アシュタールさんの言葉を伝えてくれるさやかさんにしても、アシュタールさんへの質疑応答に対して、有料にすることはない。

さやかさんがやっていることは、お金儲けをしようと思えば、バカ高い料金設定にしたとしても、きっと人は来るし、なかなかの金儲けができると思う。

でもなぜ私達が、無料でチャネリングをしてもらえるのかというと、それは、二人が愛に満ちた世界にいるからなのだと思うし、二人に出会えた私も、そこに近づいているのだと思う。

アシュタールさんは、神社というシステムについて、多分、あまり良い感情がないと思う。(あ、それがいいとか悪いとかではないですよ)
でも、その気持ちは、凄くよく分かる。それは、宗教を信仰している家庭に生まれて、どっぷりその世界で生きたことで、宗教の良い面も、悪い面も見てきたから。

人は、何かしら心の支えがあることで、踏ん張れることがある。その1つが宗教なのだと思う。
その教えによって、自分のこれまでを振り返ったり、愛について考えたり、しんどい時に、踏ん張る事ができたり。

だから、信仰を持つことは、決して悪いことではない。

ただ、そこに組織だったものが入ってくると、どうしても、お金という途轍もなく、3次元的なものが絡んでくるし、それを悪用して、金儲けの道具にしようとする人もいる。

そして、お金のことだけでなく、宗教を信仰している人の中には、自分軸をその組織化された宗教理念に委ねてしまう人もいる。

私は、宗教のそういう部分が嫌いだし、きっとアシュタールさんもそうなのではないかって思う。

本来、信仰というものは、愛に満ちていて、そこに金品のやり取りはなしい、その信仰を他の誰かに強要(というと言葉が強いけど)、例えば、親がしている信仰は、必ず子どもに受け継がなければとか、この教えをもっと広めなければ!!といった事はないと思う。

況してや、信仰の教えに沿って生きなさいと、軸を奪い取ろうとすることもないと思う。

それは、これまでアシュタールさんと話をして断言できる。

私は、宗教を信仰する家に生まれた事が、凄く嫌だった。だってマイノリティーだったし、月に数回ある宗教活動によって、その日は、自分の時間を持てなかったから。
そして、何より嫌だったのが、考えの軸に、その宗教理念があり、その考えを強要されたことだった。

でも、結婚によって実家から離れたことで、少しずつ、言葉は悪いけど、マインドコントロール的な部分が外れ、今回の神社を壊す事に端を発した出来事があったおかげで、上に書いたような気づきがあった。
きっと、今の気づきに導くために、宗教を信仰する実家に生まれたのだなと感じた。

そう思うと、全ては繋がっているんだなぁ。

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