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撮れなかった写真

『決定的瞬間』というタイトルの写真集がある。二十世紀を代表するフランスの写真家、アンリ・カルティエ・ブレッソンの作品だ。劇的な瞬間を完璧な構図とバランスで捉えた彼の写真はのちの多くの写真家に影響を与え、今でもなお絶大な人気を誇っている。

その写真集の原題がフランス語で「Image à la sauvette(逃げ去る映像)」だということを最近はじめて知った。なるほど、決定的瞬間を写すということはつまり、逃げ去っていくイメージを捉えることなのだろう。

あっ、と思うような決定的瞬間が、ときどき私にもある。もしいまカメラを構えていたのなら、間違いなくシャッターを切っただろうと思うような瞬間が。けれど私はブレッソンではないので、カメラを鞄から出して電源を入れている間に、いつもその瞬間を逃してしまう。

忘れられない「決定的瞬間」がある。撮れなかった写真は、いつまでも亡霊のように私の記憶に残り続ける。それは写真になりそこなったイメージの残像だ。



昨年の二月のある日、私は四国から岡山へ向かう特急列車に乗っていた。叔母が失くなったので、お葬式に出席した帰り道だった。

高知駅を出発したときはどんよりとした曇り空だったのが、山道を進むにつれて雪が舞いはじめた。いまにも故障しそうなオンボロのミラーレス一眼を膝の上に携えて、なにかピンとくる景色が目に入ったらシャッターを切ろうと思いながら、私はぼんやりと窓の外を見ていた。

進むほどに雪は大粒になって勢いを増し、光がほとんど届かなくなる。林にもすでに雪が白く降り積もっていて、その間を縫うようにディーゼル機関車は進んでいく。窓の外を無数の白い粒が流れていくのを眺めていると、だんだん頭がぼーっとしてきて、遠い過去の記憶へと連れ去られてしまいそうになる。

叔母がもうこの世界に存在しないということがとても不思議だった。眼を閉じれば、彼女が私の名前を呼ぶ声やイメージがありありと浮かんでくる。それなのに、彼女はすでにこの世界から去ってしまっている。その二つの事実が私の中でどうしても噛み合わないような気がした。



やがて林が途切れ、寂れた住宅地に出た。線路沿いのすぐ側には古びた木造の家が立ち並んでいる。

あっ、と小さく声が漏れた。それは一瞬のことだった。

線路沿いの木造住宅のひとつ、その二階のバルコニーに、ひとりの老婆が立っていた。老婆は視界もおぼろな吹雪の中、小柄な体に不釣り合いなほど大きい虹色のパラソルを差し、私が乗っている列車に向かって手を降っていたのだ。

カメラを向けようとした頃には、その「決定的瞬間」はとっくに車窓の後方へ逃げ去ってしまっていた。それでも、私の網膜にはその瞬間の光景が焼き付いて離れなかった。

あの老婆の孫がきっとこの列車に乗っているのだな、と私は思った。孫だという根拠はどこにもなかったけれど、この雪の中パラソルを差してまで、誰かが乗った列車が家の前を通り過ぎるのを待っていたのだ。なんとなく、孫に違いないと思った。

きっと彼女は、都会の自宅へ帰っていく孫を送り出したあと、時刻表を見て列車が通る時間を確認したのだろう。この路線は一時間に一本しか列車が来ないので、どの家にも時刻表が貼ってあるのだ。それから時計を何度もそわそわと意識して、見送りのタイミングを逃さないよう慎重にその瞬間を待ったに違いない。

そして、もう間もなくという頃合いを見計らって、上着を羽織り、玄関からパラソルを持ってきて、老婆は二階へと上がったのだ。やがて列車の音が聞こえてくる。冷たい空気が羽織りの裾から侵入してくる。虹色のパラソルに雪が積もり始める。がたんがたんという音は少しずつ大きくなり、そして、いくつもの車窓が目の前を通過する——。

老婆には孫がどの窓の中にいるのか見分けることはできない。けれど、きっと孫には私が見えているはずだ。そう信じて、彼女は雪の中、大きく手を振る。



その老婆のことがしばらく頭から離れなかった。いや、今でもあの瞬間をはっきりと思い出すことができる。シャッターを切ることができなかったのにもかかわらず、一枚の写真のように静止したイメージが、あの時からずっと私の頭の中にある。

ふと思ったのは、もし私があの「決定的瞬間」をうまく写真に収めることができていたなら、虹色のパラソルを持った老婆のイメージはこれほどまで強い印象を残すことはなかっただろう、ということだ。もし私がそれを撮っていたなら、その写真はただの「ちょっと良く撮れた写真」に過ぎず、他の写真と変わらない、無数のイメージの中のひとつに過ぎなかっただろう。

けれど現実にはそのイメージは私の頭の中にしか存在しない。だからこそ、それは私の中で完璧な美しさを保ち続けていて、しかも私が忘れてしまえば、そのイメージは世界から永久に失われてしまう。だから私はあの映像を忘れることができないのかもしれない。



ある瞬間の写真を撮り、それを世に放出することは、去っていく時間への弔いではないだろうか。時間は私を通過して、次から次へと逃げ去っていく。おそらく私は写真を撮ることで、その悲しみを慰めているのだ。幸福な時間や、いつまでも取っておきたいと思うような瞬間が過ぎ去ってしまうことは、私にとって常に傷だ。いや、幸福な時間だけでなく、あらゆる時間が過ぎ去っていくということは、いつも悲しみを伴っている。

葬儀場に飾られていた叔母の遺影を思い出す。叔母の死に顔は抗がん剤の影響で面影がすっかり変わってしまっていたけれど、遺影は私の記憶の中の印象そのままだった。私はそのイメージを通して、記憶の中の叔母に何度でも会うことができる。だからこそ、別れを告げることができる。

すべての写真は過ぎ去った時間の遺影だ。現実という文脈から切り離されても、イメージとしてそれは残り続ける。オリジナルの瞬間が逃げ去っても、写真という断片が記憶を何度でも呼び起こす。そうして私は過ぎ去っていく時間を弔っている。

弔うことは喪失の痛みを癒やすことだ。そして同時に、少しずつ忘れていくことでもある。私は忘れがたい瞬間を写真に撮ることで、それが過ぎ去っていく痛みを癒やし、忘れようとしているのかもしれない。

しかし撮られなかった瞬間は亡霊のように、いつまでも私の記憶の中を彷徨きまわっている。私はその時間が過ぎ去ったことをまだ受け入れられていないのだ。「決定的瞬間」の亡霊に取り憑かれている。


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