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私にとって「文章を書く」とは

私の人生において「文章を書く」ことが唯一の生きる手段だ。


私は、ドラえもんの主人公である”野比のび太”のように、弱々しくて怒られてばかりの人間だった。

力は強くないし、不器用で人付き合いも苦手、音楽や美術が苦手で、1人でいる時間が多かったから勉強はしていたのに成績も冴えなかった。

そんな私が小さい頃から周りに評価されていたことが2つだけある。「足の速さ」「文章を書く」ことだ。

なかでも「文章を書く」ことが出来るということは私にとって大きな意味を持っていた。不器用で図工や美術、楽器までも不得意だったにも関わらず、創作に興味があった私にとって、「文章を書く」ということだけが、私に開かれた唯一の創作手段であるように思われたからだ。

小学生で文章表現の面白さに目覚めた私は、小説を書き始め、中学生の頃に書いた短編小説を当時の国語教師から絶賛されてから、「私はいつか小説で食っていくのだ」と決意した。文章の魅力に取りつかれたのは、自分が執筆以外の表現手段を持たないこともあったが、何よりも読書の素晴らしさに気付いたこともある。(読書の素晴らしさについては、また別の記事を書くつもりだ。)小説を書いてみて、より上手い文章を書くためには、読書を通じて語彙と表現をインプットしていく必要性を痛感した私は、それから10年間で1,000冊ほどの本を読んできた。度々、小説を書いてみては「まだ駄目だ」と途中で書くのを放棄し、気付けば読書が趣味になっていた。いい本を読み続ければ、書く力や書くべきものが自然と降って来ると信じ込んでいた。そして、いつか来るであろう小説家になった時のために、出来るだけ刺激的な経験を積むように大学生活を全力で楽しみ切った。気付けば大学を卒業し、今の企業に入社して3年目だ。

しかし先日、書店で何か読む本を探していたとき、珍しくなかなか読みたい本が見つからなかった。その時突然私は悟ってしまったのだ。もう一通り読みつくした、と。もちろん死ぬまでに読むべき本はまだまだたくさんあるが、私は読者で終わるわけにはいかないのだ、ここから先は自分が読みたいと思える「まだ世の中にない読み物」を自ら生み出していく必要がある、という事実に改めて直面した。そして、もう一度自分が本当にしたいことを考えた。

私が今まで感じてきた、そしてこれからの人生で感じるであろう多くの違和感、苦しみ、喜びを自分なりに文章表現し、1人でも多くの人とシェアするために、「文章を書く」

ということだ。

1人でも多くの人に自分の文章を届けるためにも、私は真剣に文章力・表現力を磨き、(趣味としても、仕事としても)文章を書く機会を作り続けなければならない。

私の人生において「文章を書く」ことが唯一の生きる手段だ。


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