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届かない青

いつもより青に浸りたい気分になった。集めたものを眺めながら、青について思うことをまとめてみる。

青と非日常

チェスのような模様に、観覧車。ファンタジックなモチーフと、甘さを抑えた色のかけ合わせが癖になる。
特に一枚目の、直線が集中した道。中央に目がぐっと引き寄せられて、視界が広ける解放感。ここを入口に、ビターで幻想的な世界観に引き込まれる。


触れそうなほどの立体感と質感。異質な組み合わせなのに、とってつけた感がない。
首やヒレのつけ根は柔らかそうだけど、ヒレや頭の艶が、宝石の硬質な光沢と近いからだろうか。貝は真珠を生成するし、こんなカメもいるかもしれない、と思わせてくれる。


手づくりの工芸品のような空間。まろやかな色あいの一枚目は、斜めに入った影で景色が引き締まって、奥行きも一層感じる。
プールの底、それか鍾乳洞を探検している気分。でこぼことムラのある壁、起伏の多い狭い路地、カラフルな鉢植え。わくわくする。


何かが出会いそうな、道の交わる角。誰かを待つドアの灯り。
フレームの周りが暗く沈み景色が浮かび上がっていると、客席から舞台を眺めるような、夢の中を覗くような感覚になる。深いのに、エメラルドの透明感のある闇だ。物語の始まりを静かに待つ、贅沢な気分。

青と記憶

森の奥にある湖の底をのぞくように、心の深いところへ降りていく感覚。
思い出はセピア色、と思っていたけど、読んだ後になると記憶は青みを帯びてくるものという気がした。色をテーマにしながら、話が音へ広がって身体に染みこませてくる感じが好きだ。


フレームいっぱいに満たす、グラデーションの心地よさに浸る。移り変わる全体の鮮やかさ。次に薄く透けたかけらが重なり合う、繊細で涼し気な細部に見入ってしまう。滲みがそのまま輪郭になった縁に、記憶の中の景色が断片的に浮かんでは消える。


宮沢賢治の話にでてきそうな、郷愁を感じる風景。二枚の青い幻燈です、と『やまなし』の冒頭では映写機で投影するように景色を描くけど、こんな色の幻燈であってほしい。土地が山に抱かれている。田んぼから山へ視線がじぐざぐと伸ばされる景色の切り取り方が素敵だ。

青の生まれる場所

海だろうか。明るい水中へと、階段が続く。水面で光が反射し、手前はゆらゆらと水底が透き通っている。見ているだけで、広々とした気持ちになる。
階段に誘い込まれて、そのまま揺らめく光の中に入ってしまいたい。


艶のある水面をキャンパスに景色が流れて掻き消えていく。空の向こうに宇宙が透けているように見える。
なぜか、空の深さに身体をひっぱられた時を思い出す。じっと見上げていると、上下感覚がなくなっていき、くらっと空へ落ちそうになる時の感覚。


青に無性に惹かれる理由、最終的にはここに行き着くのかもしれないと思ったお話。
遠近感のような、景色の抑揚は文字でも好きだ。スケールの違う景色への飛躍が気持ちいい。
読み直すと「シェア」という言葉が優しいイメージで頭に残った。

遠い色

青は普段使いするメインの色ではない。
服やかばん等の持ち物は、黒、グレー、紺、白。冬はそこに、暗い緑や赤、青が時々入る。部屋は白い壁、こげ茶の家具、グレーのカーペットか緑っぽいござ。
オフィスでなじみやすい、他の色と組み合わせやすいという理由はあるけど、
モノトーンやこげ茶は自分が落ち着く好きな色だ。何かをこなしていく上で、地に足がついたまま心地よくしてくれる気がする。

一方青は少しでいい。近くにあってほしいけども、一線を引いておきたい。身の回りにあふれていると、違和感がある。青との距離感はそんな感じだ。

たぶん頭の中で、青は身近だけど、手の届かないものという印象が強いのだと思う。
水が青く見える時も、目の前は青くない。空は毎日ある広い青だけど、自分の生活圏とは地続きではない。風景画の本ではよく、遠い景色ほど青く塗る空気遠近法をみる。
青は、ひどく遠くて触れられない、リアルではない綺麗なもの。だから青というだけで、現実から離れてしまうような浮遊感と若干の不安がある。

ただ日常生活でも、家のパソコンのデスクトップや、携帯のホーム画面は青い。端末そのものはグレーか白で、画面の中は青がいい。画面の中で見つけた青はたくさん集める。
デジタルは実体がないから、端末で見聞きする物事は物理的に遠い気がするから、青がしっくりくるのだろうか。
それか端末の世界では、地に足をつけていたいという意識よりも、現実から離れる癒しがほしいという気持ちが強いのかもしれない。
そういえばフィクションでも青との関わり方が違う。
過去に描いた架空の風景を探すと、青が出てくる話がけっこうある。例えば数多くの青に囲まれたり、触れないはずの青を実体化したりしながら、たっぷりと浸る。

『青の市場』
霜の降りる音が聞こえる季節になると、今年も市場が開かれた。
神社の階段下通りの市場。青を好む神様を祀っているため、市場では青いものばかり売られている。
普段はひとけがなく神隠しが起こると子供の間で言われたりもするが、今日はにぎやかだ。

蝶に生まれ変わった空の標本、明け方の風を固めた金平糖、オーロラを浴びて咲いた勿忘草の種、ラムネ水が擬態したりんご飴、海蛍を閉じこめたライトスタンド。

露店の間を歩きながら、品々を眺める。

ラピスラズリを食べて育った金魚を買った。
袋の中で水をはねる様子は確かに魚なのに、生き物らしくないところが気にいった。鉱物に見るような、無機物的で鮮明な色。尾を翻すたびに、鱗の上で日の光が複雑に屈折する。

気をつけていたつもりが、つい市場に長居し、見て回りすぎた。雪焼けした時みたいに目がしみてくる。
家に着いて鏡を見ると、はやり色が目に移っていた。
『水族館』
本を読みに水族館へ立ち寄った。
ガラスの壁と天井に囲まれた館内に入ると、水色の光で満たされた空間を、海の生き物が泳いでいる。フロアの中央には、図書館なみに並ぶ本棚。
一冊手に取り、椅子の一つに腰かけた。天井から落ちる光が、開いた本の上で揺らめく。紙は薄青く染まり、印刷された文字が浮かび上がりそうになる。
ページをめくる。どこかでアザラシが水に潜る音がする。マンタの影が本の上を横切った。

ここでは、日を置いて同じ本を開くと内容が変化する。
揺れる水影に誘われるのだろう。物語が、知識が、思考が、本の中から泳ぎだす。それぞれ独立した世界を持ちつつ、隣の本に出会うと分野を超えて違う要素を取りこみ元の本に戻ってくる。新しい意味や文脈が生まれ、融合し、淘汰されたと思ったら別の本で息づいている。

顔を上げた。ガラスの向こうで、珊瑚に魚が群れている。
資本主義の理論書を閉じ、画集の群れに差しこんだ。
『冬空染め』
父は染物職人だ。
蕾のついた桜の枝を煎じた色も、夜光貝を砕いて溶いた色もすばらしいが、
中でも青は特別だった。

色が吸い込まれそうなほど深い。
染物を風にはためかせると青の下から紫が浮きあがったり、波打つ輪郭が赤色に光ったりする。

染めるところを見たいとせがんで、父に連れてこられたのは雪深い山だった。葉の落ちた木々の間を雲が流れていく。

父ははしごを木にかけて、素の色のままの木綿を取りだした。
「あの色は空からとるんだ」
父は木に登り、空中に布をなびかせた。いや、空に布を浸していた。底の見えない深い青が、木綿に染みこんでいく。

冬は空が澄んでいるから、特に濃い色がとれるんだと父の声が降ってくる。

寒さで足の感覚がなくなってきたころ、父は手をひっこめてはしごを降りてきた。

木綿と父の手から滴が落ちる。
長く浸していたからだろうか。手を染める空は、指先にいくと夜になっていった。

終わりに

いつもは写真だけ、文章だけ、と揃えて飾る。今回はテーマが具体的なモチーフじゃないこともあり、いろいろな記事をまぜて飾る形になった。ジャンルの違う記事をコラージュするのもありだなと思った。

青を採集しているマガジンを公開しました。もしよければご覧ください。


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