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ナポレオン ディレクターズ・カット | “悪妻”ジョゼフィーヌをこそ描くこれが完全版


review

おすすめ度 ★★★★⭐︎

元々は2時間40分あったオリジナル版に48分の新規カットを追加したディレクターズ・カット版がApple TV+で配信されたので見てみた。やはり自宅で長尺映画を見るのは中々根気がいる。
ただ公開時からすでにディレクターズ・カット版を作っているという情報は流れてきていて、4時間半にも及ぶと噂もあったが蓋を開けると3時間半に収まったようだ。

監督のリドリー・スコットといえば後からバージョンをたくさん作ることでお馴染みで『ブレードランナー』なんかは5つくらいバージョンがあるが、齢80を過ぎても後出し癖は健在のようだ。毎年のように新作を撮りながら別バージョンまで作っちゃうとは相変わらず元気なおじいちゃんだよ。

とはいえ、『ナポレオン』については『ブレードランナー』のように新しい解釈を生む新版という訳ではなく、本来これがあるべき姿というのは一目瞭然。
反対にいえば、僕らが見せられていたオリジナル版はやっぱり不完全な状態で見せられていたのだと若干の憤りも感じる。
公開時点から「これは後から完全版が出るんだろうな〜」と思いながら見ていたが、やっぱりそうだったんじゃん、それなら最初から完全版で公開してよとは思ってしまった。

オリジナル版に比べて追加されたシーンなども色々あるものの、全体を通してみるとオリジナル版では削ぎ落とされていた各シーンのゆとりやディティール部分を増やしていったという印象。オリジナル版はナポレオンの生涯をダイジェストで描いたような形だったが、ディレクターズ・カット版で初めてこの映画にあったテンポと語り口の編集になったように思える。

その中でもオリジナル版より厚みを持って描かれたのは、もう1人の主人公であるナポレオンの妻ジョゼフィーヌについて。
具体的にはジョゼフィーヌがナポレオンと出会う前にどのような境遇にいたのかというシーンは丸々追加され、他にも彼女の心情を掬い上げるようなディティールが数々追加されている。

映画を短くする時に真っ先に切られるのは「ナポレオンの人生」において歴史的な事件ではない些細な出来事、つまりジョゼフィーヌとの夫婦生活などのプライベートな時間だろう。実際、そのような理由で切られていたわけだ。
ただし映画や文学というものの多くは、そんな歴史的事件の裏にどんな人間性や感情の動きなどがあったかを描くためにこそ作られているわけで、作者の意図としてはその些細でもしかしたら誰もが共感するディティールこそが最も重要な部分だったりする。
当然のことながら『ナポレオン』においては、その拗れながらも真っ直ぐな夫婦生活こそが最重要テーマなのは言うまでもない。

歴史的には“悪妻”と呼ばれるジョゼフィーヌだが、彼女をフェミニズム的な視点から読み直すことでナポレオンがなぜ栄華を誇った後に落ちていったのかと結びつけて描く。この「悪妻(型にはまらない)と呼ばれる女性たち」の内面を描くというテーマは『ゲティ家の身代金』『最後の決闘裁判』『ハウス・オブ・グッチ』という近作全てに通底するテーマでもあり、ジョゼフィーヌはその総まとめとも言えるキャラクターになっている。

それまでの当たり前が全て覆った時代の中でジョゼフィーヌとナポレオンは結ばれて、ジョゼフィーヌの勝気で全てを掌握する強靭さによってナポレオンもまた時代の寵児になっていく。しかし頂上まで辿り着いた挙句に待っていたのは、「男の子を産め」という旧態依然とした男社会の仕来たりだった。ジョゼフィーヌとナポレオンはそんな古い時代のアンチテーゼだったはずなのに、結局はその決まりに足を絡め取られてしまう。

リドリー・スコットの作品は、いつも「逃れられようのない世界の仕来たり」のなかでもがく人々を描いてきた。『エイリアン』におけるノストロモ号の乗員たちは初めからエイリアンを避けることはできなかったし、『ブレードランナー』のレプリカントたちだって必ず最期の時が訪れる。そういうシステムだ。
ジョゼフィーヌもそんな中世ヨーロッパというシステムによってその存在価値を否定されてしまう。そしてナポレオンはその状況を被害者面でメソメソと受け入れることしかできない。

この作品を見ると「リドリー・スコットはナポレオンになにか嫌なことでもされたのか?」と疑いたくなるほど徹底的にナポレオンを矮小で情けない男として描いてみせる。
ジョゼフィーヌの浮気を疑うくだりの男らしくなさも、最近赤ちゃんが生まれた部下を呼び出してセックスのやり方を聞くシーンも全部がみっともない。個人的には待ち時間などいつも眠そうに居眠りをしているディティールが意地悪で好き。ナポレオンのショートスリーパー神話を茶化すような小ネタである。

ディレクターズ・カット版まで見ると、はっきりとリドリー・スコットがこの映画で描きたかったものが見えてくる。世界で最も偉大な軍人の人生を使って描こうとしたのは、矮小でどこにでもありそうな夫婦間のすれ違いだった。
その作風に乗れるか否かは分かれるところだろうが、オリジナル版では中途半端になっていたテーマはしっかりと描き切っていたと思う。

最後になるが、リドリー・スコットってつくづくスタンリー・キューブリックのことが好きなのか嫌いなのかわからないよな(きっと好きすぎて嫌いなんだと思う)
「ナポレオン」といえばキューブリックが長いこと映画化しようと準備をしていた題材として知られていて、その念願をリドリー・スコットが叶えたような形にはなっている。
他にもリドスコ映画でいえば『プロメテウス』は『2001年宇宙の旅』の膝カックン的アンチテーゼとも言えるし、『ブラックホーク・ダウン』は『フルメタル・ジャケット』後半のスナイパー戦のさらにアップデート版と見ることもできる。

そう考えると、オリジナル版のダイジェストのように忙しない編集を良しとしたのはキューブリックの『バリー・リンドン』への目配せもあるのかもしれない。『バリー・リンドン』は『ナポレオン』が結局上手くいかなかったキューブリックが、せめてもと作った歴史映画で、見てみるととにかく編集のテンポが速い。『ナポレオン』オリジナル版のダイジェスト感など気にならないくらいのダイジェスト編集がなされている(もちろん狙ってのことだ)そう考えると絵作りも蝋燭の自然光を生かしたショットが多かったり、『バリー・リンドン』の影響は各所に見られる。

ただリドリー・スコットの面白いところはそんなキューブリック念願の『ナポレオン』を撮ってるのに、むしろ『アイズ・ワイド・ショット』みたいな話を語ってしまうところだろう。そういうところがキューブリック好きすぎて嫌いになっちゃった感がある。

文責=一世


ナポレオン

Napoleon: Director's Cut
2024年
監督:リドリー・スコット
出演:ホアキン・フェニックス、ヴァネッサ・カービー
Apple TV+にて配信

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