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【映画感想文】斬新、だが由緒正しいドラキュラ映画-『ドラキュラ/デメテル号最後の航海』

ドラキュラ/デメテル号最後の航海

The Last Voyage of the Demeter
2023年 / アメリカ / 119分
監督:アンドレ・ウーブレタル(『ジェーン・ドウの解剖』)
出演:コーリー・ホーキンズ、デヴィッド・ダストマルチャン

文責=1世
おすすめ度 ★★★☆☆


洋邦問わずヴァンパイアものが大ブームとなったのも、もう数年前。
すっかりほとぼりも冷めきっこのご時世で、ドラキュラ映画の大家であるユニバーサル・スタジオが満を辞して出してきたのがこの『ドラキュラ/デメテル号最後の航海』だ。

「今どきドラキュラかよ〜…」と思った人、たしかにそれはそうなんだけど…この映画、すごく斬新な切り口でドラキュラ物語を見せてくれるし、それでいてものすごく由緒正しいドラキュラに仕上がっているんだぜ!ということをみんなに伝えたい。

美しく紳士的な振る舞い、突き出た八重歯、襟の立ったマント…
誰もが想像するドラキュラといえばこの姿だろう。ではこの万国共通なイメージがどこから発生したかといえば、1931年にユニバーサルが発表した『魔人ドラキュラ』に他ならない。稀代のドラキュラ俳優ベラ・ルゴシが演じたドラキュラ像が現代に至るまでパブリックイメージとして染み付いているのだ。

この『魔人ドラキュラ』の大ヒットを受けてユニバーサルはホラー映画を量産しボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタイン』をはじめ大ヒット作を連発。それらの作品とキャラクターたちは“ユニバーサル・モンスターズ”と呼ばれて、USJでもショーが大人気だったり、ハロウィンとなれば定番の仮装になったりとホラーの定番として世界共通のアイコンとなった。
いわばユニバーサルのドラキュラ映画といえば、ホラー映画界における由緒正しい老舗の味なのだ。
しかもその上、原作はブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』なので、二重の意味で由緒正しいドラキュラ映画というわけだ。

そういうわけで、とっても由緒正しい映画にはなっているのだが「それって古臭い映画になるってことじゃない?」と誰しも思うし、普通はそうなる。
しかしこの映画ではあえて『デメテル号最後の航海』にのみ焦点を当てることで今までとは全く違う切り口の『ドラキュラ』を語り直して見せる。

ブラム・ストーカーの原作および正統派な映像化作品では、このデメテル号の航海パートはさほど重要なパートではない
それはそうだ。せっかく映画にするならルーマニアの古城で暮らすドラキュラの耽美な恐怖を見せる前半か、ロンドンで暗躍するドラキュラを退治するクライマックスのパートを見せたいでしょう。その間に挟まるデメテル号のパートはあくまでその舞台を移動する小休止にすぎない。

しかしこの映画はそのデメテル号のパートだけを残して、それ以外を捨て去ってしまったのだ。

それで残ったものだけ見てみると、
海のど真ん中を漂う貨物線という逃げ場のない空間
その中に潜む人間を捕食する謎の怪物
人間たちはそいつからどう逃げる、どう倒すのか。

それって映画でいえば『エイリアン』(1979)や『遊星からの物体X』(1982)のような、ゲームでいえば『Among Us』や『デッド・バイ・デイライト』みたいな閉鎖空間サバイバルスリラー、むしろゲームっぽい現代的なシチュエーションじゃん。

とにかくこの視点の転換が見事!
『ドラキュラ』という使い古された題材も、切り口を変えるだけで全く別物へと生まれ変えさせることができる。由緒正しいけれど斬新。そういう切り口を見つけたというだけでもこの作品は偉い。

そしてもう一つの斬新ポイントはドラキュラの見た目だろう。
禿げ上がった頭、尖った耳、不揃いの牙、コウモリのような羽…
この作品のドラキュラはベラ・ルゴシの作ったイメージとはかけ離れたものとなっている。

ここが一般的なドラキュライメージからすると斬新なビジュアルではあるのだが、これがまた由緒正しいポイントでもある。この見た目は『魔人ドラキュラ』からさらに遡ること9年前に公開されたF・W・ムルナウ監督の『吸血鬼ノスフェラトゥ』のものだ。この『ノスフェラトゥ』は原作者ストーカー側と権利関係で揉めて名前が変えられているものの、紛れもなく『吸血鬼ドラキュラ』の映画化作品であり、ムルナウの耽美でありながら死の匂いが充満したような画面と共に今なお映画至上でも屈指の名作として名高い。

『吸血鬼ノスフェラトゥ』のドラキュラ/ノスフェラトゥ

そういう意味では『魔人ドラキュラ』よりもさらに由緒正しいドラキュラ映画ともいえるわけで、その作品の公開100周年(!)のタイミングでその後進であるユニバーサルがこういう映画を作るというのは映画史的にもとても意義深い

さらに加えれば、ドラキュラという存在がなにを意味する存在なのかを考えるとさらにこの作品は意義を持つ。

原作のブラム・ストーカーも、ムルナウの作った『ノスフェラトゥ』も、ドラキュラは「疫病」のメタファーだ。血液を通して感染し、やがてその地を食い尽くす存在といわれれば、たしかに疫病そのものだ。

そうやってドラキュラの物語を考えると、このデメテル号のパートはロンドンで起こるパンデミックの感染経路に当たるわけで、乗組員たちがドラキュラがイギリスへ達するのを何としても防ごうとする姿にはコロナ時代ならではの心情が投影されているようにも思える。

そういうわけで『吸血鬼ドラキュラ』という題材を斬新に再解釈しながら、由緒正しい伝統にしっかりと則ってもいる。とてもよく考えられた作品には違いない。

と、これだけ長々と話してきて作品の中の話を全くしていないわけだが、作品としても手堅く楽しめる仕上がりにはなっているので心配なく。
ただ貨物船の上のみというストイックな縛りを自分にかけてしまったせいか、中弛み感は否めない。本当は貨物線の空間性を活かしたドラキュラとの攻防戦が描かれればよかったのだろうけど、あまりそうなってくれなかったのは残念だ。しかも最後には乗組員は全滅することは最初に明かされているわけで、クライマックスにその事実がチラついてしまうのも事実。

内容やこの作品が作られた意義を踏まえてみればとても面白いのだが、それらを取っ払って見ると地味な印象は拭えない。とはいえ、つまらない映画とかでは全然なく、『吸血鬼ノスフェラトゥ』を予習したりしてから見ると楽しさ1.5倍増しかもしれない。



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