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見せかけの平均寿命と後悔を最小限にするために

厚生労働省の「簡易生命表(令和元年)」によると、2019年の日本人の平均寿命は男性が81.41歳、女性が87.45歳と、過去最高を更新し続けています。

人生100年時代と言われる現代において、医療も発達して明らかに寿命は年々伸び続けています。でも、平均寿命=健康寿命ではないのです。

平均寿命とは、みなさんもよくご存じの『命が尽きるであろう年齢』です。一方健康寿命とは、『誰の世話にもならず自立して生活できる年齢』のことです。その差の年数は、軽重はともかく、誰かのケア(手助け・介護)が必要な期間になります。

厚生労働省は介護を受けたり、寝たきりになったりせずに生活できる「健康寿命」を算出しており、最新の16年は男性72.14歳、女性74.79歳ということです。つまり、実際の平均寿命と比べると男性は9.27年、女性は12.66年の期間、何か(若しくは誰か)の世話にならないと生命を維持できないという計算になります。

以前は夫婦の場合、夫のほうが早く亡くなって遺族年金を残すため、老後資金は「遺族年金で不足する妻の生活費+α」が残っていれば、大きな不安や問題はないとされていましたが、・・どうでしょう?

数値が表しているように男性も長寿になってきてますよ。そして女性の寿命も更に延びそうですから、老後資金の必要額は大きくなることは予想できますよね?

そして、短くはないであろう介護期間にかかる費用も考慮するとなると、いくらお金があれば安心なのか……見当をつけられないのが実情です。

これまでのセカンドライフと言われる老後のマネープランは、どちらかというと、自立期間しか考えられていませんでした。患わずに亡くなる、いわゆるピンピンコロリで人生を終わる、あるいは患っても介護が必要な期間は短くて、マネープランに大きな影響を及ぼさないケースが多かったからです。

しかし医療の発達や介護が身近で誰にでも起こりうる問題としてとらえられだした今、これまでの老後資金の考え方を改めないといけない危機感を感じませんか?

最期のその時まで、自分と大切な人が、安心して笑顔で過ごすために準備することは、決して気持ちが暗くなる作業ではないはずです。

人間は欲深い生き物です。どんなに体の自由が利かなくなったとしても、「こうしたい」「ああしたい」と思うことは必ずあるでしょう。

24時間施設で介護を受けている私の母は、はたから見るともう何も望みはないように見受けられます。

意思の疎通が全くできませんし、自力で目をあけることもありませんから。

それでも本当のところはわからないですよね?

人間は最期のその時まで五感の中でも「聴覚」だけは残っているという説もあります。

耳の聞こえが悪くなったことから老化が加速した母ですから、聞こえていないんじゃないか、と思う気持ちも大きいです。

それでも、「聞こえていてほしい」という思いも捨てきれないのが私の、いえ、人の性ではないでしょうか?

終活というとエンディングノートを書くとか、お葬式の予約をするとかを想像しがちですが(もちろんそれも否定しませんよ)細かくちゃんと準備することより、大切なことがあるかなと私は考えます。それは、

大切な人(家族)と、人生の話をしておくこと。


こっ恥ずかしくて、身近すぎるからこそ、そういう話は何となく避けがちだったりします。でも、後悔をできるだけ少なくするために執拗なことじゃないかしら?

親の死においては、多かれ少なかれ必ず後悔はあるものです。後悔しっぱなしの経験者が言うことです。少し頭において、考えてもらえればと思います(^_^;)


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