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ここ一カ月半のきわめて個人的な話

3月中旬から、世界を揺るがすウィルスの状況が刻一刻と変化する中、自分の状況も同じくらい刻一刻と変化をしていった。一カ月半の間で内定、引越し、就職、子供との暮らしを開始し、誰ともオフラインで会わずに一カ月が経った。

そんな現状ですが日々最高です。いつかの自分が忘れないように、きわめて個人的な日記を公開します。(全部で5分くらいで読めます)

第一章は3月末までの雑記。
第二章は4月の総括(※音声入力)。
第三章は激動の日常の中で、改めて旅について思う事。

個人的な話なので、時間のある人だけご笑覧ください。
※音声入力パートは謎に文体すら違うのですがお許しください。

第一章:3月末までの雑記

3月16日(月)

昼は確定申告。所得税は世界的ウィルスの影響で例外的に申告期限が延長されたが、住民税は3月16日期限との通達があり、一気に申告をやったほうが効率的であるためこの日に実施。前週金曜日に前職の源泉徴収票を取り寄せておいたため、手続きは一瞬で終わった。住民税は中央区役所、所得税は築地税務署にて提出。所得税に関しては、記入する人の場所には20~30人程度の人がいて、広いスペースを与えられていたが、提出のみをする場所には列はなく、3分で終わった。

夕方は人生相談。この春に大学を卒業してエンジニアになる女の子について人生の目的やセルフモチベーションについて、渋谷のカフェで酒を飲みながら話し合う。

夜は飲み会。フィジーで働いている友人が、翌日からフィジー行きという事で緊急飲み会。この時点でオセアニアでフライトが出ているのがフィジーくらいで、他の国のフライトはすでにキャンセルになっている。10日間の出張との事だが、日々移ろい変わる国際情勢下においては、しばしの別れかもしれないと考えて友人を緊急招集する意思決定。普段は地方創生の仕事をし、地方にいる友人はすでに東京でリモートワーク勤務となるので飛んで集合する。月曜日にも関わらず、21時集合で26時くらいまで酒を飲む。(仲いいメンツの一人はオンライン参加)

3月17日(火)

午前中は就職先の面談。4月以降の就職先が決定。社員2名のスタートアップだが、社長OKは出たもののもう一人の社員とも話して、正式にジョインすることを決めることとしていたため、この日、晴れて正式内定。京都へ行くことが確定となった。

一カ月ほど住んでいた東京の友人宅を出るため、身辺整理を始める。

夜は麻布十番の東京苑にて飲み会。メンバーはエチオピアのダナキル砂漠ツアーで会った日本人3名グループと僕。一年ぶりの再会となる。上場を果たした某社の子会社社長、某コンサル、フリーのデザイナーなどとびっきりに面白かったメンバーだったが、ここまで面白かったのか、というくらい超真面目な話から度が過ぎる下ネタまであらゆる振れ幅でとんとん拍子で途切れることなく話を進めた。

深夜はフィジー勤務の友人のフライト敢行。友人曰く、「フィジーくらいしかフライトが飛んでいない」との事。ここでも、しばらく会えないことをジョークとして伝えながら、頻繁にグループメッセンジャーで連絡を取り合う。

3月18日(水)

午前、京都の会社でのクラウドサインでの雇用契約書に署名。契約書を少し緊張しながら読了、サイン完了。

夕方、2016年10月から住んでいた銀座の家、中銀カプセルタワーの荷物整理。買った瞬間から購入価額<評価額となっていたが、売らずにとどまる戦略をマンションの理事会(反対派)は取っていた。地主にしか売れない条項が付いてしまったために、地主が何度か変わっている昨今において簡単に売ることができず、個人的には早く換金化したかったものの持ち続ける。オリンピックの地合いが不安定であることやコロナの問題から、どうなることやらと思っている。

夜、2月から一カ月働いていた前職の同僚と集まって遊ぶ。ブロックスというゲームをしながら割と夜遅くまで盛り上がる。

3月19日(木)

午前、東京は表参道にある別の会社でのNDA締結完了。今後の進め方を相談しスケジュール確保。隔週で東京へ来ることが決まる。
※こちらの会社は4月から業務委託で働きます。

昼、その足で代々木公園まで歩きお花見。桜自体は殆ど咲いておらず、大体2分咲き程度。女子高生が多め。女子高生は制服を着ながらやけに足をあげており、目のやりどころに困る。次いで別の女子高生グループもやっていることと、振り付けがあることを観察し、それがTikTokの足上げダンスらしいと気づく。

夕方、慣れ親しんだ東京を9年ぶりに出ることになったということで、御徒町のデリー上野店で「出世盛り」と呼ばれている食べ方をする。デリーの人気メニューであるカシミールとドライカレーの組み合わせが最高。ぷりっぷりのエビとグリーンピース、しゃきしゃきのピーマンのストロングホットのドライカレーの半分に、味わい深きカシミールのベリーホットをかけて、皮なし鶏モモとジャガイモを乗せて頂く。相変わらず花粉症で詰まった鼻が一気に通り、顔と耳の後ろと首から汗が出る疾走感を味わう。

夜、新宿ゴールデン街のクリシュナでカルダモンがたんまり入ったチキンピクルスと辛さの効いたキーマカレーを友人と食べる。クリシュナでも冷凍青唐辛子を用いてカレーを一段スパイシーにしてくれる。スパイス好きであれば間違いない店。加えて、ビールがヒューガルデンであり、かつソファー席があることがポイント高い。 ウィルスの影響か?普段予約しないと座れないソファー席が座れるなど。

3月20日(金)

昼、長い眠りの後に起床。高輪ゲートウェイ駅を見学に行く。平日に限らず人が多いなぁと思ったが、今日は祝日であるか。

夕方、京都行きの新幹線に乗る。新幹線の乗車率は自由席で40%程度。新幹線内で宿の予約をしようとするが、ドミトリーが壊滅的に安い。一カ月3万円で住むことができてしまうのか。宿など決めずに済むのもありだなと思い始める。その場で3泊(日曜日まで)予約完了。noteで報告。1.5時間で3000文字くらい。書くことが明確だと早く書けて良い。

夜、錦市場の宿に到着し、京都観光に来ている友人夫婦&子供の宿で宅飲み。その後、友人夫婦の旦那さんの方と長浜ラーメンみよしで〆のラーメンを食べる。ホステルのドミトリーに戻る。ベッド10に対して宿泊客2。ドミトリーで十分。それにしても築2年、錦市場徒歩3分、清潔感もある素晴らしいクオリティの宿に一泊1000円とは安すぎた。

3月21日(土)

夜、友人夫妻と子供と一緒に錦市場と河原町を散策。僕らが行きたかった「五十家」「おにかい」など、馴染みの店が混んでおり、結局餃子の王将でご飯を食べることになる。餃子の王将のジャストサイズという0.6人前/200円台の一品メニューは名前が秀逸だという話などする。

友人の子供は肩車をしてとても喜ぶからずっと肩車をしていた。降ろすたびにもう一回とせがむので永遠に肩車をしていた。深夜、別の友人から「僕を偶然見た。子供いたんだ!いるなら言ってよ!」みたいな連絡が来て訂正するなど。

3月22日(日)

夜、大学時代の友人の紹介を受けて遊びに行った一軒家(陶芸家のアトリエ兼住宅)+離れ(空き室)の離れの部屋が良すぎて即決、条件も1分で決定。

近所のピザ屋で友人と二人で住居決定パーティーをし、四条河原町の飲み屋で飲んだ後、宿へ戻る。

3月23日(月)

午前、朝獲れタケノコを移動式八百屋で購入し、タケノコを煮る。

午後、初出社。4月1日から働くものの、会社のビジョンミッション共有、今後の戦略の方向性共有、インターン生のタスクのブレイクダウン(3か月後のタスクの週次のToDoへの落とし込み)を実施。

夜、小池都知事による「東京封鎖」がTwitterのトレンドになっていることを知り、得も言われぬ気持ちになる。具体的に封鎖(外出禁止令)をする、等ではない。

スペインバルで立ち飲みワインを飲む。バルセロナ出身のオーナーに聞いたところ、客が普段の8割減、経営が立ちいかないから仕入れを最小限にして簡単なものしか作れないと言われる。

3月24日(火)

昼、宿のチェックアウト。こんなに早く宿が決まると思っていなかった。決まったことは本当にありがたい。そして錦市場を散策。さすがに週末は以上に混雑していたが平日は錦市場は適切な人の入りな気がする。

昼過ぎ、家主と合流し着物をタンスに整理。着物をたくさん持っている家主であり、高価な着物をぴったり入る形の着物ダンスに収納し、離れの片づけ完了。最高の部屋が現れた。

夜、子供が帰宅し家主&子供とおうちごはん。子供とはここで初めての顔合わせ。メニューはトマトのシチュー。二人の子供に超なついてもらう。

未明、オリンピック延期が決定。

3月25日(水)

最高の朝を迎える。静かな朝。車の騒音のない空間。

京都で4/1から働こうとしている現状において、京都に本日留まる理由もないため、東京へ向かうことを決定。

天気がいいので、銀閣寺付近の散策から京都駅までどうにか歩いて向かう。

京都から東京へ新幹線移動。しばらく会えない直感がしたので、気軽に会える仲間でもあるに関わらず551の豚まん4つと阿闍梨餅20個を購入し、東京へ向かう。

19時に東京都から週末外出自粛要請を依頼するニュース及び小池都知事記者会見のアナウンスを聞く。20時に小池知事から改めて週末外出自粛要請が発せられる。ほぼ同時に、新居の家主から2歳の娘が僕の名前を呼び号泣している動画を貰い爆笑。でも東京に留まる必要性がない事からも、京都に早急に帰ろうと決意。

木曜日に予定していた飲み会と、土曜日に予定していた2つのイベントをオンラインに変更。

20時40分、コインランドリーに出かけており、酒でも買おうと思って入ったスーパーが未曽有の大混雑でドン引く。これから何が起こるのか分からないと直感。

今生の別れとなるかもしれないので友人を緊急招集し、パーティー実施。
3人でビール、チューハイ、日本酒を相当量、深夜の2時頃まで飲む。

3月26日(木)

昼過ぎに起床。読書をしに代々木公園へ。

駅舎が新しくなった原宿駅にて、西口の存在を確認。そのまま代々木公園へ。先週と同じく平日午後であるのに往来している人が多い。そして女子高生の存在はあまりおらず、大学生であろう存在が集団で多く出回っている。

先週との違いとして、コロナにまつわる看板が立っている。そこには、飲食を伴う集団での花見の自粛要請が書かれている。その後ろで飲食を伴う花見をしている何十組の集団を見るといたたまれない気持ちになる。

東京都のお別れの際の定番メニュー、「デリーの出世食い」をして東京食べ収め(再度)をする。

夜、オンライン飲み会。慣れ親しんだ友人かつ、各自の恋バナのためオンラインではあったものの、想定以上に盛り上がる。

深夜、思い立って友人のリモートワーカーを支援しているスタートアップの社長に連絡。自分自身がコロナの情勢で何もしないのではなく、コロナで経済的に打撃を受ける多くの人を救いたいと考え始めたことがきっかけで連絡をする。そして僕自身も会社や社会のために何かできそうという前向きな返答を貰う。

3月27日(金)

朝、改めて昨晩の深夜の感情は何だったのかと振り返ったが、もう僕たち沢山恩恵を受けてきた人たちは、同じくわが国において困っている人たちに対してできることをやるしかない思いであるのだ、と納得した。そして僕が関わろうとしている会社(やそこで作っていく事業)は、友達を頭の中で考えた時にその誰かを救うことができる事業であり、いつの間にか自分の労働意欲は、日本を良くするためというだいぶマクロな所に行きついたな、と半分驚く。でも結局そういうものなのだろう。

世の中で困っている人がいる限り、誰かに頼るのではなくて、自分がサービスを作ればいいんだ。

10時、三鷹ルノアールで4年ぶりに会う友人と近況報告。巨大金融機関の為替部門からデータサイエンスコンサルに転職をしていた友人に教えを乞う。
11時、同ルノアールで別の3カ月ぶりに会う友人と近況報告。コロナ影響で採用が延期(実質なし)になった友人と悲しみに暮れつつも他の策を考える。
12時、餃子のハルピンで8年ぶりに会う友人と近況報告。大手商社でメキシコ駐在を終えて、今は転職をしインバウンド事業をしている友人と、組織論について考える。

昼過ぎ、東京から京都へ新幹線移動。曇りがちで富士山は見えず。乗車率は40%程度と少し多い(東京脱出組・・・?)

夕方、京都の家に帰る。雨の京都は静かである。

部屋にモニター、ケーブル、チューハイ1ケースが届いている。この時点で設備完璧。ニヤニヤしながら写真を撮る。

上の子は僕を見て、下の子が僕不在の時に号泣していた話をにやにや話してくれた。下の子は僕を見て抱き着いてきた。すごい好かれている。

夜、豚肉と玉ねぎの甘辛炒め。僕はナムルを作る。冷蔵庫にもやし、ニンジンがあったので、ホウレンソウだけ徒歩一分のスーパーで買ってきて料理完了。子供はニンジンが好きらしくニンジンをとても美味しく食べてくれている。

僕が子供と馴染んでいる写真をグループSNSで見た友人(仲介をしてくれた友人)が突然訪れる。そして彼が持っている職場の人間関係や契約関係にまつわる悩みについて聞く。この家の家主は自営業のシングルマザー、僕は一年間無職を続けてきたため、人間関係も契約関係も自分で作ればいいと思っているため、彼の悩みが可愛く感じたが真摯に聞いた。終バスにより彼は帰宅。

3月28日(土)

朝、子供たちと一緒に哲学の道散歩。午後から雨が降るとの事で、子供が動きやすいのは朝という判断。桜は七分咲き程度。あと4~7程度持てば万歳か。南極に向けて買った望遠レンズでお母さんと子供二人を撮るが、よさげ。いつか家族写真に使われてもおかしくないくらいに。

昼、旅界隈でのオンラインイベント。オンラインイベントはオフラインと異なり、初対面の人のコミュニケーション方法や雰囲気の察知がしにくい点や、コミュニケーションとチャットの使い分けのルール設定をしていなかった点、アジェンダが決まっていなかった点、事務局はいたが発言者が偏ってしまったときにその場をどうするのか等想定していなかった点で、内容はもとより仕組みとしての改善点なんかも見えてきて興味深かった。自分主催。反省が多い。

午後、常備菜を作る。お母さんは寝てしまったので僕が子供たちと一緒にリビング兼キッチンでニンジンのきんぴらと聖護院かぶらの葉っぱを使ったふりかけをつくったものの、案の定ふりかけが見つかり下の娘に食べられてしまう。下の娘は葉野菜は普段そこまで食べないものの、よく食べてくれたという事でお母さんが驚いていた。

3月29日(日)

朝、読書。漫画とビジネス書。

昼、元会社の同僚の友人と「東龍」へ。彼は4月末退職で退職をするため現在は有給消化中との事。京都は彼の実家の大阪へ帰るために僕がいるため一時的に立ち寄ることに。そしてラーメンを食べてビールを飲み、いい気分になって昼寝。

夜、京都の大企業で働く友人、元六本木のコンサルに勤務し今は教育系の本を書きつつファシリテーターをやっている方、フリーで出版社と著者をつないだりイン&アウトバウンド双方の展示会や版権を売買する方、上述の友人、居候させてもらっている家族で飲み会。世の中は厳しい情勢になっているものの、銀閣寺前はとても平和である。箸でつまみながら、カボチャのごはんスパイス風、レモンチキン、生ハム、ハードのチーズでワインを飲む。話は多岐にわたった。

また、子供ととても仲良くなったため、2歳の子は僕の膝の上から離れないようになった。友人やママ曰く、その子は僕の前で初めてナオンの表情を見せた、初恋をしているのではないか、等と言われるが、案外遠からずという感じで、本当になついてくれている。いつまでなつくかはわからないが、少なくとも、舌足らずかつ、コミュニケーションをできる年齢の子に、会って5日しか経っていないのに、ここまでなつかれて嫌な気持ちはしないし、なんなら誇らしいくらいだ。

3月30日(月)

朝、友人と共に10時起床。昨日飲んだ泡盛が効きすぎている。ボルチーニ茸で作ったおかゆを食べて、二度寝。

昼、志村けんの訃報を知る。さすがにショックで志村けんの公式ラインにメッセージをして心を穏やかにするが、特段することもないからふて寝する。

20時。小池百合子東京都知事緊急記者会見。若者については、カラオケやライブハウス、中高年についてはバーやナイトクラブなど、接待を伴う飲食店などに行くことは、当面控え、自粛する要請が出た。

深夜、いつものメンツとオンライン飲み会。オンライン飲み会の趣旨は東京において深夜営業の飲食店がなくなったためにきっと暇しているであろう飲み歩き好きの友人たちと人生において何を大事にするかなどを語り合った。

第二章:4月を終えて(音声入力)

毎日つけていたはずの雑記をつけなくなってから一カ月。雑記をつけることにも意義を感じなくなったのだろうか。いや、そうではない。4月からまた社会復帰し、生活のリズムが変わる中で優先順位が変わり、つけることを忘れていたのだろう。厳密に言えば社会復帰という言い方も適切ではないだろう、そもそも同じ会社に復帰していないのだから復帰ではない。会社員復活?

4月1日に入社した会社の社長と一緒にオフィスで議論をしたことを最後に、一カ月、とうとう誰と会う事もなく過ぎていきました。

緊急事態宣言も発令されてStayhomeが話題になったのもこの一カ月のうちなのですね。その間いろんな変化があったので、せっかくなので昭和の日に、令和2年の激動の一カ月をnoteに残し、3月後半の対比にも言及しながら書いていきます。(仕事のことは割愛。日々楽しく刺激に触れて思考実験を楽しんでいます!)結論、住環境最高~~!という話を長々と書いています。

※文体がここから違いますが、初の音声入力にチャレンジしており、その際に断定口調で話しかけることにどうも慣れず、ですます調になっています。

桜の季節

銀閣寺の桜は4月の4日~5日に満開を迎えました。

 観光客の居ない哲学の道に、ここぞとばかりに咲き乱れるはまるで桃源郷のようで、毎日飽きずに桜を眺めていました。これで終わりかと思ったのですが、ご褒美は桜が散っても見ることができました。なんと桜の花びらが流れる花筏がピークを迎えてきたのです。桜が咲く前は上部(桜の木)にあった美しさが、満開を迎えて風と共に舞う空気へと視点を落とし、ついに川にその美しさが集まるようになりました。桜の花びらの総量は変わらず、どこに桜があるのかという均衡のバランスが見事に保ったいって時がいた時が一番美しかったと思いますし、バランスが日々変わっていく姿を間近で誰にも邪魔されず思う存分見ることができたのは僥倖でした。

そして次以降の桜の季節にこんなにも静かで穏やかな京都が訪れることはあるのだろうか、と日々考えながら満足感の海に自ら溺れに行きました。
4月11日、花筏がピークを迎えました。

数日経ち、天気の悪い日々が続き、気づけば花筏も流され、ふと見上げた桜の木の上部は葉桜に変わっていました。
今となっては立派な葉っぱが育っています。

生活習慣

運動は、去年から世界を旅して月に最低1万歩、多い月では2万歩を歩いていた自分ですが、京都に来て仕事を始め、哲学の道以外をフラフラすることが少なくなりました。少々危機感を感じた私はウォーキングの習慣をつけました。結局東京に行くこともなくなったため、左京区から出ず、穏やかに暮らしています。

散歩コースとしては、銀閣寺前の哲学の道~吉田山~吉田神社~鴨川~糺の森~下鴨神社~百万遍を通って自宅に帰るという約一時間半距離にして10 km 一万歩の散歩コースを確立しました。

下鴨神社。一番好きな場所

5月上旬には部屋にヨガマットとケトルベルが届く予定なので部屋での運動がはかどる予定です。そしたら梅雨の季節も乗り越えられそうです。
※「ケトルベルのススメ」noteを読み感化されました。単純ですが。

食事は、元々それなりに自炊をしていたので自炊自体はストレスなし、むしろ食べてもらう人が増えて楽しんでいます。
晩御飯は同居している子供の嗜好に合わせて料理を作るようになりました。うちの子供は豚肉とたまねぎの炒め物、チーズ、とうもろこし、ニンジン、ジャガイモあたりを喜んで食べます。

子供は甘いもの大好き、辛いものは苦手です。辛いと言っても我々よりも嗅覚に敏感であり、唐辛子は当然ですが、胡椒や生姜や山椒も辛いと言って、食べることは出来ません。 また、晩御飯の時間にそのような食べ物を作っていると匂いに敏感なので辛いあるいはくさいといって喚かれてしまいます。
そこで唐辛子や胡椒や生姜や山椒が好きな僕は、それらを用いたいわゆるスパイシーな料理を子供が保育園に行っている間の昼ご飯に作るようになりました。辛いものは苦手です。辛いと言っても我々よりも嗅覚に敏感であり、唐辛子は当然ですが、胡椒や生姜や山椒も辛いと言って、食べることは出来ません。 また、晩御飯の時間にそのような食べ物を作っていると匂いに敏感なので辛いあるいはくさいといって喚かれてしまいます。そこで唐辛子や胡椒や生姜や山椒が好きな僕は、それらを用いたいわゆるスパイシーな料理を子供が保育園に行っている間の昼ご飯に作るようになりました。

日中の食材

生活リズム

大いに変化がありました。
まず朝8時半に子供を保育園に送り出します。そして午後5時半に子供が家に帰ってきます。もう5時半から6時半の間に料理を作り、そして8時ぐらいまでの間にご飯を食べます。6時半から8時の間はご飯と並行して子供とのコミュニケーションタイムでもあります。Alexa から流れる音楽を聴きながら子供たちのダンスを見たり、アンパンマンのコンビニというおもちゃで遊んだり、テニスボールを用いてキャッチボールをしたり、部屋を暗くしてライトを用いて影で遊んだりしています。

生活の優先順位

 単に子供と一緒に住み始めただけではなく、緊急事態宣言の影響や、引越してきたばかりで京都に友達がいない事や、大前提として自分の時間を自分でコントロールしたいという意志もあり、東京にいる多くの友人たちとの飲み会も、ウィルスや家族をスケープゴートに断るようになりました。
結果として自分が使いたいような時間の利用術を身につけました。具体的に言えば、朝の5時半から朝8時、そして夜の8時から11時の、1日約5時間半の日時間を自分でコントロールできるようになりました。毎日、ヨガ+ストレッチ+散歩1万歩+仕事+読書1冊+子供との時間を大前提として、それ以外の時間で余暇として使うようになりました。3月の雑記と比べても優位に友人との飲み会に使う時間が減り、自分がイニシアティブをもって使うと決めて使った時間が増えました。結果として余暇では仕事の考え事や読書(追加で1~2冊)をやるようになりました。

生産性

Air Pods Pro を導入したことにより単位時間当たりの生産性が飛躍的に向上しました。体験したことない人向けに言いますと、Air Pods Pro をつけると一瞬で精神と時の部屋に行けます

窓際族の仕事場

その辺のイヤホンとは天と地の差があります。「音を聴く」為ではなく「集中する」為に利活用できるし、何より買って1日目で3万円分くらいの生産性向上効果を感じて満足をしました。これは本当に体感したことのない人しか分からないとは思いますがノイズキャンセルの機能が素晴らしいです。耳元にあるボタンも長押しすることによってノイズキャンセルのオンオフを切り替えられます。

例えば、部屋。ワークスペースとしてはでも静かな方に分類されると思いますがそれでも小鳥のさえずりや木の葉の摩擦音、窓ガラスの音、虫の声、かすかに聞こえる電子機器の起動音などが普段耳に入っていることに気づかされます。次にコンビニやスーパー。普段どれだけの雑音それは店内の音などがあることに気づかされます。他には路上。ノイズキャンセリング機能により、一気に全ての車がプリウスのような音になります。そのようにインドアでもアウトドアでも何かしらの音が自然に入っていたことに気づきます。

今回の音声入力自体も生産性向上文脈での挑戦になりますが、僕にはいまいち、その便利さがピンときていません。自分の文体が保てないからでしょうか。あるいはタイピングにストレスを感じない事や、タイピングをしたことを人よりも推敲する癖があるために向いていないのだろうか、あまり時短になっていると思いません。しかしいずれにせよ便利なものは使ってみる姿勢で今日は打ち込みます。たとえば椅子に座らずストレッチしながらでも打てるメリットなどもあるのでメリットを今後見出していく次第です。

子供と住んで感じたこと

子供の行動様式や子育てをする親のインサイトなど、実際に住んでみないと分からない事やその発見が沢山あり、気づきと学びの日々を過ごしています。実際に暮らしているので、具体的なシーンで感じることができて非常に興味深いです。ここではの親のインサイトについては割愛し、子供の行動様式について記していく事とします。

3歳児も5歳児もママや僕(大人)に見てほしいという気持ちから、 YouTubeのアニメを見てる時以外は我々に話しかけてきます。上の子も下の子もおんぶに抱っこが大好きでよく遊び、よく抱きついてくるし、それに応えるためによく抱きしめます。見つめあいながら額をくっつけるのも大好きで、大人同士だったらこっちが目を背けたくなるような凝視をしてきます。毎日キュン死にします。ママ曰く「私には見せたことのないナオン顔をしている」との事です。

下の子は、3歳児になったばかりですが、まだカ行とサ行の発音ができません。これは子供の傾向として難しいらしい事も調べて知りました。
「だっちょして。」
「おなたいたい。」
「いらっちゃいまちぇ。」
「おるちゅばんしていて。」
「うんちでた(満面の笑みで)」
「ね~ね~、いまたらとうえんいちゅの。」
などと言われてとにかく可愛いです。3歳~5歳くらいの子は、コミュニケーションのできる猫のような、良いとこ取りの素晴らしさがあります。

下の子は上の子に比べて、食べる際に説得が必要です。例えばご飯を食べないと入っている際には後で手術をあげるからあるいは後でクッキーをあげるからなどと言って交換条件に食べてもらいます。鮭の皮などやコーン等の好物と抱き合わせで食べてもらいます。条件を持ち出して食べてもらうと言う交渉は、この1ヶ月で出来るようになりました。

下の子ばかりを相手にしていると、上の子は構って欲しくなるので、踊ったり猫のポーズなどをしながら我々を呼んで、気を引き始めます。
すると下の子も上の子(ねね)を真似して、全てのことを放り出して上の子と同じ行動をし始めます。下の子にとって上の子は憧れです。もちろん下の子は身体的に未発達なので上の子と同じ行動はできませんし、同じ言葉も発することはできませんが、二人を見ていると下の子が早熟になるな、というのは見て感じております。なぜなら上の子に引っ張られて同じ行動を取りたがるからです。

上の子はカ行とサ行の発音はとっくに覚え、恥ずかしいという感情も身に付けています。ダンスの姿などが微笑ましい事を大人たちで笑いながら話していると、怒ります。また、ママに対して、僕が四六時中家にいることに対して、何をしているのか気になって個人的に質問をした内容がママから僕に共有された際に、「言わんといて!」といってママに対して激昂しました。傷つくかもしれない、という想像力なんかもこの歳だと持つのだな、と感じております。

上の子は若干制御されて育つだろうな、ということも感じました。
上の子がの行儀の悪さなどについて、大人が察知し先に指摘し止め始めます。これが、単に下の子であればそれを許容したかもしれませんが、上の子がそれをやったら先述の通り、すぐに下の子が上の子の真似をし始めるのでです。口頭注意で留まればいいのですが、多くの場合体を動かして止めに入ります。そうすると、二倍の疲労がかかるわけです。したがって大人の疲労度と許容範囲を天秤にかけるなかで、疲れが倍かかる要素を持ち合わせた許容範囲は相対的に小さくなるので、若干制御されてしまうな、と感じました。止める際には正当な理由をつけて止めに入ります。

上の子は、鬼が実在しないものと分かっていながら、その方が言うことを聞かない際に「鬼を呼ぶ」と言い、下の子の行動の制御を図ります。そして下の子は大人の言うことを聞かないことがあったとしても、鬼の存在だけは信じているため、鬼の名前を出した瞬間、あらゆる「このようにしてほしい」という規範に従うようになります。時には上の子が大きな声で鬼を呼ぶよということを連呼するので下の子は泣き始めてしまいます。そうなると、その先もっと面倒なので、大人たちは上の子が鬼を呼ぶことを止めにかかります。この辺も大変興味深く観察しており、たまに上の子に対して大人がスーパー鬼さん呼ぶよ?なんていうと、ちょっとビクッとして行動に従います。

一緒に住んでまだ一カ月ですが、下の子は2歳から3歳になり、二人とも新しい行動規範や言葉や遊び方などを覚えています。一緒に暮らすことで子供と親の時間割や成長や喜怒哀楽を共にできる環境に満足をしています。結婚をして子供を作ると(自分の場合はいつのことやら・・・)どうなるのか、という事を事前に学ばせてもらっている意味でも大変学びになります。

第三章:激動の日常の中で、旅について考える

 タイトルに書いた通り、ここまで極めて個人的な話になってしまいました。読んでくださりありがとうございます。ここ10年くらいで好奇心に駆られて世界を回り、特に去年は1年間で好奇心の尽きるまでとことん行きたい場所を回ってきて、最終的には南極にたどり着いて満足をして日本に戻ってきた。そしたら景気のリセッションだけではなく地政学的なリセッションも始まった。そしたら就職に引越しに子供との暮らしに、いろんな身の回りの情勢が目まぐるしく変わっていった。

「旅をして満足をした」と前の記事で言った通り、今も旅をしたいという欲は全然ない。あるいは、欲があっても欲に従って行動ができないから無意識のうちに欲を消しているのかもしれない。少なくともフラストレーションがない事が幸せなことである。大前提として運が良かったのだけど。

「旅をしたい」という事が真の目的ではなくて、旅を通じて知的好奇心を満たして日常に還元したい、というグランドデザインを決めて旅をしていたことも、フラストレーションを消せている理由として大きい。

僕の場合、今は知的好奇心を満たす方法は、旅の代わりに本に代わっている。そもそもできない事を考えても仕方がない。既存社会の枠組みに対してフラストレーションを抱え、あるいは見出し、それに対して行動している当事者たちはもちろん支援をする。しかしそうでない場合はフラストレーションを持つ意味がない。負の感情を持ったとて、解決不能で行動も起こしていないならばその感情を持つ意味がない。時間も脳みそも有限である。

とはいえ、旅から得たものは、さらなる知的好奇心や偶発的に知り得たこと、それらが地政学的な観点でつながったという面白さや複雑に混ざりあった世界の正しさ、等、枚挙に暇がない。アフリカを旅していた時には、課題が向こうから勝手にやってきた。絶望的なトラブルもそういえば何度も遭遇してやり過ごした。何かしらの変化を脅威として捉えるだけではなく、機会として捉えられる柔軟な考え方が出来るようになったのだと思う。

今回、引っ越しに就職&リモート生活に子供との暮らしに、一切のフラストレーションを感じずにいられた。これは旅で身に付いた思考の柔軟性のおかげだろう。あるいは、今も人生という旅路にいるのかもしれない。

変化に対する柔軟性や、多義的な正義の許容、そして大局的な考え方は、旅から得られた大きな収穫だった。これは人生を生き抜く上で極めて大事だと思っている。だから、これから人生を謳歌するだろう若い子が、旅に出られない世界は大変嘆かわしい。こればかりは早く終息を祈るばかりであるが、フラストレーションを溜めないためにも代替案を実行しながら前に進むしかない。

♡あるいはコメントが次のnoteを書く活力になります。ぜひ感想など教えてください。

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比叡山の山伏、文化人類学徒、料理人