見出し画像

井の中の蛙、0メートルの旅、禅問答

「旅行」できなくなった世界で、「旅」を愛する、すべての人へ。

旅を始めたきっかけ。それは大学に入り世界が急に広がった時に感じたショックだった。

井の中の蛙、大海を知らず

大学には日本のみならず世界から多様な人が集まってきた。ある友人は、入学は文系だが今後理系に移ってアインシュタインを学ぶと息巻いていて、また違う友人は医学部受験を目論んでいた。親が外交官や、誰もが知る上場企業の社長だという友人とも出会った。寮の中国人留学生の同期は飛び級をして20歳で大学院に入学をしていた。別の大学院生の友人はユダヤ系アメリカ人で麻雀の研究をしていた。

地方の中流家庭で育った僕は、都会と地方の間には機会格差があり、同じような地方でも親の所得や教育方針によって機会格差が生まれる事は頭では理解をしていた。しかし実際の格差は想像を遥かに凌駕するものだったし、親や環境ガチャではない能力ガチャもそこにはれっきとして存在していた。人は認知したもの以上の事を想像できないが、まさにハンマーで頭を殴られたかのような、自分の今までの認知がいかに少なく偏っていたのかを思い知らされる出会いを経験した。同じ大学、同じ空気を吸っている同世代なのに、これほど出身、言語、価値観、志が異なるのか、地方の同質性の中で育った自分なんて井の中の蛙だったのだな、とショックを受けた原体験こそ「旅をしよう」「知らない世界を知ろう」と決意したきっかけであり、その翌週、履修登録を終え、大学1年の入学2週目、ソンクラーンの時期にタイに飛んでいた。

国が異なるという事は、人種、言語、地域、宗教、歴史、政治、文化、気候、法律、経済システム、商慣習、が異なる訳で、そこで育った個人においては、正義観、死生観、友情観、結婚観、都市観、労働観、金銭観、喜怒哀楽観、等、日本で生まれ育った自分が考えたこともないような価値基準において、全く異なる価値観を具えている。彼らと出会い仲良くなり深く知る事で、そもそもの価値基準の発見と、同じ価値基準の中でも白や黒ではなく、人の数だけ価値観にグラデーションがあることの発見という、価値基準の数と価値観の解像度、双方の発見が期待できると考えていた。

初期仮説通り、タイの旅を通じた事象や人との出会いは自分に多くの価値基準と価値観を提示してくれて、大変刺激的なものとなった。そのあとの学部の4年はフィールドワークに没頭することを決意した。

たまたま経済学部の授業で情報の非対称性という概念に出会い、文化人類学の授業で参与観察というフィールドワークの方法論に出会った。

西アフリカのマリ共和国のとある地域の研究論文はいくら調べても出てこないために情報の非対称性つまり新規性があり、調査を正当化すれば海外にいて授業に出席しなくても単位がどうにかなり、しかも日本人にとっては想像もつかないほど違う価値基準と価値観に若いうちに触れられて、今後長い人生を生きる自分に影響を及ぼしてくれるなんて考えたら、文化人類学専攻以外を選ぶ理由がなかった。ここから、辺境を中心に書を読み現地に赴き世界を回る日々が始まった。

旅をしようと決意してから約14年が経つ。
相変わらず旅とは切って切り離せないくらい、旅に浸っている。

旅の何が僕を突き動かすのか。僕の場合は旅を通じて多様な価値基準や価値観と対峙し、自分の中の常識を分解、再構築し、価値基準を増やし価値観を確固たるものにして行き、自分の”哲学”と呼べる水準まで昇華させる営みがやめられないのだろう。僕の”哲学”には生産的観点では価値などない、いわば自己満足の類のものであるが、それでいいのだ。二項対立や二律背反やそのグラデーションに出会う事で、特定の価値基準において自己決定性に基づいて決めた純然たる価値観によって哲学が確固たるものになっていく営みをやめられず、旅がどんどん日常に浸食してきた。結果として2019年には職を捨て、旅以外の退路を断ち、日本を発った。

2019年。物理的な旅の一年

毎日が刺激の連続で、最高の一年だった。
人生は有限、思考と場所を制限する労働から解放されたため、好奇心の赴く限り遠くにあるものを全部見てやろう。という事で世界を回った。サハラマラソン完走を皮切りに期限のない早足の旅をし、ソマリランドで遭難しかけ、キリマンジャロを登り、南アでナイフを突きつけられ、サウジアラビア初の観光ビザ入国日本人となり、アトス自治修道士共和国を訪れ(しかも再訪し)、ラダックの吸い込まれるほど青い空を感じた。早足で動いて約50か国を回った一年だった。訪問国数は100を超えた。

2020年。精神的な旅の一年

毎日が気づきの連続で、最高の一年を更新した。
年初に南極を旅して知足の境地に至り、日本に帰国し、”無職”であり、多様な視点を獲得し”無色”になった自分は、東京だけがすべてではない、労働だけがすべてではない、などの自己の獲得した哲学に従い、9年間住んだ大好きな東京を離れる決意をし、実行した。
世界の複雑さを知り、迷い、その度に考え哲学を構築してきたからこそ物事に迷いがなくなった。
最近は、家の裏にある比叡山の獣道に心の安寧を見出している。今年は約100回入山し、一人考え事に耽っている。


0メートルの旅

2019年秋、イランに行く前に「経済制裁下のイランに行ったら色々すごかった」岡田さんの記事をPC画面に穴が開くほど何度も読み返していた。
起承転結の「起」は淡々と入りながらも、「承」で突然斬新な切り口で物語が進み、さらに見事に予想できない「転」で物語が深まり、「結」で伏線を回収し笑いに持ってくる。人を選ばない読みやすい文章が、必要十分な分量で描かれている様式美。同い年ながらもとてもマネできない才能に対して、一方的に尊敬していた。

その後、偶然にも岡田さんと南極に行った時期がかぶり、僕もnoteを書いていたことでたまたま彼の目にも留まりつながる事が出来た。これはnoteをやっていて本当によかったと思えたハイライトの一つであった。つながってからは、訪問箇所もとても被っていたため意気投合するまでには長い時間を要することはなかった。

そんな岡田さんが、12/15待望の初書籍「0メートルの旅」を出版した。

この本は「海外編」「国内編」「近所編」「家編」の四章、16の物語の構成となっている。最初の物語は岡田さんがハネムーンで訪れた南極から始まり、徐々に距離が近くなっていき、最終的にはこの自粛要請の時代にエアロバイクで日本縦断をして話題になった旅までが描かれることにより、物理的に遠くへ行く旅から、徐々に日常空間と旅の物理的距離が近接して最終的には0メートル(家の中)になるというストーリー展開となっている。

海外編では、僕もたまたま全部の場所を訪問したことのあるために当時の出来事や香りを想い頷きながら、国内編以降では、岡田さんの卓越した「ものの見方」のコペルニクス的転回にアッと驚かされながらも、岡田さんの日常の旅に僕たちも同行したような気分になり物語が進んでいく。最後には全部のものがたりを総括して、旅とは何たるや、をまとめて締めくくる。それぞれの物語と旅の考察を通じて、旅で感じる、言語化に難しいあの高揚感と疾走感を味わえる本である。

本を読んでいて、「非風非幡」「ポルシェとふりかけ」が頭に浮かんだ。

非風非幡

物事の見方を変える禅語である。この禅語を軽く解説すると、風になびく旗を見ながら、2人の僧が「旗が動いているのか」「風が動いているのか」と言い争いをする。そのとき通りかかったもう1人の僧侶が「旗でも風でもなく、あなたたちの心が動いているのだ」と言い放つ、というものだ。

最近は山道を歩きながら、禅問答をしている。五感を澄まし思考をクリアにし、多くの物を見出すようになった。

多数派と少数派。人口と自然。日常と非日常。中央と辺境。激務と無職。友情と恋愛と結婚。自由と制約。連帯と孤独。因果と相関。運と縁。人間と動物。見えるものと見えないもの。それぞれは本当に対立するものだろうか?どのような考え方をすれば包含できるのだろうか?共存・共生できるのだろうか?極端な主張をする人の本心は、正義は、勝ち取りたいものは、守りたいものは、どこにあるのだろうか?

刺激を求めて旅に出向いた時期が長らく続いたが、どこかに閾値があって、ずっと歴史、宗教、言語、地政学、政治経済、文化人類学やそれらを取り巻くシステムを考え続けていたら、いつの間にか学問的、地政学的な領域が重なり、マクロな視点でみられるようになり、頭の中で地球や大陸やシステムを多面的な観点で説明できるようになる兆しが見つかった際に、メタ認知の能力を獲得した。従って、今となっては何気ない日常からも刺激も興味も見いだせるようになった。刺激の必要条件は、遠くに行くことではなく、目に見えるものでもなかった。結果、この変わりきってしまった世界の中で以前のように軽率に海外に行かなくなっても不安や不満を覚えることなく、心穏やかに暮らせるようになった。

ポルシェとふりかけ

最近、Twitterのタイムラインに流れてきたものを一部引用する。

お金は価値基準の一つではあるがそれがすべてではない。
高価なポルシェもグラム単価でみればふりかけの方が高価になる。
世界の有様を作り出しているのは自分の心の持ち用次第。

見方によってはただの屁理屈に見えるのかもしれないが、僕は共感した。

どんな所にも正義を見いだせるならば、どんなピンチもチャンスに変わる。世界を見るものさしこそ、ずっと述べていた価値観の前提となる価値基準であり、多くの価値基準と、自分の暫定的な最適解ではない心からの価値観を探し求めて文化、書籍、現地現物に触れることで、自分の中でも価値基準の推敲癖や価値観を客観的に疑う癖が出来て、結果として新たな価値基準を生み出せるようになったのだと思う。最近僕は心が穏やかであるが、何があろうとも最高だと思えるような価値基準を見いだせたことも寄与している気がする。

終わりに

岡田さんの旅に関する考察を読みながら、物差しや物語は自ら見出す事であり、旅に関しても例外ではなく、どこにいても自分の心の持ち用次第で旅ができてしまう、という、最近考えていた事が昇華されたような気分になりました。

世界各地を回り、物理的な極地である南極から家での精神的な旅までをつなげて昇華させている岡田さんと、同様に世界各地を回り、南極で旅に満足して比叡山で精神的な充足感を見出している僕の、旅に関する価値基準や価値観の交差点の結節点が、本を読み進めるにつれて次第に太くなっていくような気分で、読んでいてとてもすっきりしました。献本ありがとうございました。

「旅行」できなくなった世界で、「旅」を愛する、すべての人へ。

旅を愛するすべての人の琴線に触れる要素をかき集め、岡田さんの卓越した「ものの見方」で視点が思わぬ方向に切り替えられて感情を増幅させられる物語たちの集まりは、紛れもなく素晴らしい「本」でした。

Go Toのバタバタでさらに「旅行」が遠のいてしまったこの年末に、じっくり読んでみてはいかがでしょうか。オススメします。

※紙質にも仕掛けがあり感動したので、ぜひ単行本での購入をおすすめします。

♡あるいはコメントが次のnoteを書く活力になります。ぜひ感想など教えてください。

それでは!

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,568件

サポート頂けたら、単純に嬉しいです!!!旅先でのビールと食事に変えさせて頂きます。