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子どもの手本になることが効き目はわからないが、親の精神衛生にはいい。

#20230527-118

2023年5月27日(土)
 習い事へ向かおうとノコ(娘小4)が自転車を出す際に、ノコの肘が勢いよく私の脇腹にあたった。
 「痛い!」
 咄嗟とっさに声が出たが、ノコは何もいわず、自転車にまたがる。
 私を振り返り、こぎだすタイミングをじっと見ている。
 聞こえなかった・・・とは思えない。

 私が自転車をこぎだす。
 ノコが後ろをついて走る。
 きちんとついてきているか、安全確認のため振り返る度にノコがついっと顔をそらす。
 ○時に出発すると何度も声掛けをしていたのに、なかなかノコが準備をせず、出発が遅れたから不機嫌なのか。
 それとも、バスで行きたかったのに自転車だったからか。
 ノコが不機嫌な理由はいくつか浮かんだが、それと私にぶつかったことに対して一言もないのは別の話だ。

 「ママが痛いっていったのが聞こえなかった? わざとじゃなくても人を痛くしたのだから謝ってほしいな」
 そういおうとして、口をつぐむ。

 私は痛かった。
 ひどいことをしたのだから、謝ってほしい。
 

 ノコが逆の立場ならこういうだろう。
 「痛いっていったの、聞こえなかったわけ? ママってひどいよね。人のこと、痛くしたんだから謝ってよね!」
 あぁ、こうもすらすらとノコの台詞が出てくるのはいかがなものだろうか。

 日頃、人を責め立て、怒るようなノコの口調にげんなりしているのに、いつのまにか私がノコを真似てどうするんだ!
 「ママだって同じこというじゃん」とノコにいい返されてしまう。
 危ない危ない。
 なかなかノコのいいまわしが変わらないのでーーお友だちとのトラブルは多分そのせいだと思うーーもどかしくなると、つい同じようにいわれれば嫌な気持ちになることに気付くだろうか、と短絡的に考えてしまう。
 ノコにやられて不快なことを同じようにノコにすれば、ノコもその不快さに気付くだろう。
 だが、現実はそんなもんではない。
 やられて嫌なことはますます嫌なことになり、自分が嫌だったときにそのようにすれば相手を嫌な気持ちにさせられると学んでしまう。
 されて嫌なことに気付き、我が身を変えることは結構できないことなのだ。

 ひと呼吸してから、私がノコにしてほしいことに変換する。
 「ノコさん、さっきママは痛かったなぁ。ノコさんに肘でドンされて悲しかったなぁ」
 痛そうな、悲しそうな声音でいう。
 ノコの目が左右に揺れた。
 「わざとじゃない」とも「やってない」ともいわないところを見ると、やったことにも気付いていたし、私が「痛い」といったことも聞こえていたようだ。
 「ママ・・・・・・ごめんなさい」
 もっと早く謝ってほしかった。
 そういいたいが、それもいわない。
 「うん。痛いのをわかってくれて嬉しいな」

 ノコの攻撃的な強いいいまわしに、いつのまにか私のほうが影響されていたようだ。気を付けよう。
 同じようなことをして、子どもに気付かせるようなやり方は、一見効き目があるようで嫌な気持ちを強くするだけだと思う。
 ノコと暮らすようになって、どんな声掛けよりきっと私自身がノコのお手本になることが大事だと感じる。
 ノコの態度を変える即効性は全然ないけれど、いつかは伝わるかもしれない。
 いや、伝わる/伝わらないは関係ない。
 ただノコに恥ずかしくない大人に私がなろう。

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