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自己嫌悪の種を自分で蒔いてしまう

なんであんなことしちゃったんだろう。後悔とため息と自己嫌悪。

まるで自己嫌悪に陥りたいかのように、あんなことやこんなことをしちゃうことがある。

これは、人間であれば誰しも大なり小なり心当たりのあるところだと思う。

心理学で「心理的ゲーム」という名で知られる愛情獲得のメカニズムがある。愛情が枯渇して心がカラカラに乾いちゃってってときに、通常であれば真っ当な愛を真っ当に求め、真っ当に受け取ればいいところ、何かの拍子で真っ当な愛によく似たニセモノの愛を手に入れちゃって、脳も心もそれを真っ当な間と勘違いしちゃって満たされたような気分になって、そうかこうやれば愛をもらえるのか、心が満たされるのかとニセモノの愛を求め続ける。

大人にかまってもらえず寂しい思いをしている少年が非行に走るのに似てる。いけないことをすると叱ってもらえる。叱られるより褒められる方がいいけど、かまってもらえないよりは叱られたほうがマシ。

けどニセモノはニセモノなので自分の心が満たされることはない。永遠に。

ちなみに「心理的ゲーム」の行く末は、墓場、病院、刑務所だと言われている。

身近にある真っ当な愛に気づいて欲しいし、遠慮なくそれを受け取って欲しい。自分でクリエイトした自己嫌悪で落ち込んじゃうのって自傷行為のようなものだと思う。自分を大切にして欲しいよ。

世界のゴキゲンが増えるといいなって考えたりしゃべったり書いたりしてます。ありがとうございます。