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未来は変わらない。過去が変わり、未来が決まる。北極冒険家の哲学(前編)~未知への挑戦の意義とは~

こんにちは。Fringe81 noteチーム 横山です。

Fringeでは、時代が変わっても変化することがないFringeの本質的な価値観である「Be an Explorer(探検家たれ)」を体現するアクションとして、「未知への挑戦者」を増やす「Be an Explorerプロジェクト」を開始しました。

Fringe Explorer アンバサダーに就任した北極冒険家の荻田泰永さんへのインタビューを前編・後編にわたってお届けします。前編は、「未知への挑戦」というテーマで話を伺ってきました。

命を落しかねない極限の世界で冒険を続けてきた荻田さんが何を見て、何を感じてきたのか。その哲学から、我々ビジネスパーソンが、未知への一歩を踏み出して現状をブレイクスルーするための学びを探っていきたいと思います。ぜひご覧ください!

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まずは、荻田さんの簡単な紹介から。荻田さんは、2000年より2019年までの20年間に16回の北極行を実施し、北極圏各地をおよそ10,000km以上移動した経験を持っています。2016年には、カナダ最北の村グリスフィヨルドからグリーンランド最北のシオラパルクをつなぐ1,000kmの単独徒歩行に世界で初めて成功。2018年には、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達に成功。まさに、極限の世界を知る世界屈指の冒険家です。

荻田さんは、1994年にノルウェーの冒険家 ボルゲ・オウスラント氏が成功して以来、誰も成し遂げていない無補給単独徒歩での北極点の到達に2回挑戦しています。荻田さんは、地球温暖化の影響で北極の海氷の融解が進み、挑戦の困難さがより増していると著書(「考える脚」)の中で語っています。

南極点への徒歩冒険は、実は簡単なのだ。北極点無補給単独徒歩は30倍ぐらい難しい。北極での難しさと言えば、揺れ動く海氷、立ち塞がる乱氷やリード、ホッキョクグマの襲来、極寒の環境、などである。南極では、それらの要素が全て存在しない。大陸の氷床は動かず、クマも生息せず、クレバスの位置もあらかた事前に予測できてしまう。
無補給単独徒歩で北極点到達を果たしたボルゲ・オウスラントの成功からすでに20年が経過していながら、第二の成功者が生まれていないのは、この20年における海氷の変化の激しさに対応できていないことが要因と言える。挑戦者はいたが、余さず跳ね返されている。今、20年前のオウスラントの手法をそのまま真似ても、北極点には行けないだろう。その当時よりも海氷が薄くなり、流動性も増していることからもはや別の場所になっているのだ。現代においての北極点無補給単独を実現させるやり方が誰にも分からないこそ、やる意義がある。

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未知は、発見するのではなく設定する

――まず、はじめに冒険界において未知とは何でしょうか?

一般的には、冒険における未知とは、初めて北極点に到達したとか、エベレストに登ったとか、地理的な未知を指していることが多いと思います。そういった意味では、地理的な未知はほぼ無くなっているといって良いでしょう。今や、飛行機を使って北極点や南極点まで行ける時代です。

そのため、現代においては、未知を発見するというよりは、未知を設定するという姿勢が大切だと考えています。発見が、すでに未知が明白で、誰が一番早く未知に到達できることだとするならば、設定は、自らが未知をつくり、自らつくった未知に到達することです。

主体性から始まる未知への一歩

――未知を設定する上で大切なことは何でしょうか?

主体性だと思います。冒険は個人の主体性から出発します。私自身も、自分の心が動くかどうかを大切にしています。未知といっても、社会的な未知と、個人的な未知があります。主体性からスタートした個人的な未知への探求が、やがて社会的な未知へ繋がっていくと考えています。

例えば、「世界でまだ誰もやっていない」というのは社会的な未知ですが、そこに自らの内発的動機付けが重なっていなければ、未知の設定としては主体性がありません。主体性が伴わない未知の設定は、脆く崩れやすいものです。

冒険で自然の中に身を置くと、自分の思い通りにならないことばかりです。そんな状況を誰かのせいにしていたら、前には進めません。目の前の現実を、自分自身の責任として受け止める必要があります。だからこそ、自らが望んで設定した冒険だということが心の支えになります。誰かに依頼された冒険だったら、困難な状態を乗り越えることはできないでしょう。個人的な未知を主体的に設定していく。その積み重ねが大切です。

余談ですが、私自身を振り返ると、主体性をぶつける先が、たまたま北極だったので北極冒険家になりました。冒険家になることが目的だったわけではありません。自分のエネルギーを、主体的にぶつけることが目的でした。もし、そのぶつけ先が仕事だったら、今頃はビジネスパーソンとして活躍していたかもしれません(笑)。そういう意味では、未知を主体的に設定していく行為は、冒険という非日常に限ったことではなく、人間の営み全般に普遍的に存在していると思います。

――主体性を持つにはどうしたら良いでしょうか?

本当に困ったら、人は自らの意思で動くしかないと思っています(笑)。困っていないから主体性が生じえない。私の場合も、切迫感から動いています。走りたいというよりは、走らざるを得ないといった感じです。冒険を始めた約20年前は冒険が終わると、終わった瞬間に、次の冒険はどうしようかと考えていました。ゴール直後は、安堵感とともに「終わってしまったな」という喪失感がありました。

通常、準備を含めると冒険は1年ぐらいの期間になるのですが、準備の段階から冒険は始まっています。その1年間は、主体性をぶつける対象が明確なので充実しています。しかし、冒険が終わってしまうと、その対象がなくなることで焦燥感が出てくるのです。

冒険に対して周囲からの評価を求めていません。周囲からの評価を求めれば、求めるほど主体性が侵食されていくように感じるからです。他者からの期待に応えようとしすぎると、主体性が失われていくのかもしれません。

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不安は想像力が暴走している状態。仮説で不安を乗り越える

――荻田さんは、どのようにして、未知への不安を乗り越えて、自分の限界点を広げてきたのでしょうか?

未知への一歩を踏み出すことは、誰でも不安です。不安は想像力が暴走している状態だと考えています。「こうなったら、どうしよう」という想像だけが先行してしまうから、不安になるのです。だから、未知へ挑むときは、「こうなったら、こうしよう」という仮説を増やすように想像力を働かせて徹底的に準備します。冒険家というと、誰もが尻込みするような恐怖に一か八かで挑むといったイメージがあると思いますが、私はそうではありません。10のうち8が想定外だと不安で足が出ない。だから、10のうち8を想定内にできるように準備します。

当然、冒険の途中で、仮説と違う状況に遭遇する時もあります。仮説がないとそこで、パニックに陥ってしまう危険性がありますが、仮説があれば、なぜ違う結果になったのかと、客観的に目の前の事実を見つめて対応できます。結果として、それが自分の限界点を広げることに繋がってきたと思います。

未来は変わらない。過去を変えることで未来は決まる

――荻田さんにとって、未知へ挑戦する意義とは何でしょうか?

未来は変わらない、変わるのは過去しかないと思っています。一般的には過去は変えられない。未来は変えられると言われていますが、私は逆だと思います。というのも、未来はまだ来ていません。まだ、起きていないものを変えるのは難しいです。

過去を変えるといっても、過去の事実を変えるのではなく、過去の切り取り方、事実への意味づけを変えるということです。過去にあった嫌な思い出に対して、「あの出来事のせいで、今の自分はこうなっている」という解釈と、「あの出来事から自分は●●を学ぶことができた」という解釈では、進むべく未来は変わってきます。川の流れで言えば、過去への意味づけが変わることで、川の流れが変わり、おのずと未来が決まるというイメージです。

そして、過去への意味づけを変える上で、未知への挑戦が重要です。自分にとっての未知へ踏み出すことで、自分が知らなかった自身の可能性や、全く異なる視点を得ることができるからです。未知への挑戦が過去を変え、その結果、未来が決まる。それこそが、未知への挑戦の意義だと思います。

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いかがだったでしょうか。自らの主体性をもとに未知を設定し、未知へ挑むことで、過去の意味づけが変わり、未来が決まる。北極冒険家 荻田さんの哲学から、多くの示唆があったのではないでしょうか。後編は「冒険とリスク」をテーマにお届けします。ご期待ください!

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