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【小説】家族間ディベート

【家族間ディベート】
お題:『正論はいつだって人を傷つける』
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 向かい合って座ってどれだけ経っただろう。何も語ろうとしない両親。親父は黙って腕を組んで何かを考えているようだし、母さんはそんな親父を横目で見て、時折俺へ何か言うように目で訴えてくる。
 俺は何も言わない。そもそも、夕飯を食べ終えた俺へ「ちょっと座れ」とその場へ居直るように仕向けたのは親父だった。まあ大体、親父が何を言いたいのか理解していたけれど。
 もうどれだけの沈黙が俺達の間に横たわっていたのか分からなくなった頃。漸く親父が口を開いた。
「俺は反対だ」
 やっぱり。俺は漏れそうになった溜め息をぐっと堪えて、ひとまず親父の言葉を待つ。母さんは心配そうに俺を見つめている。言葉の代わりに軽く手を眼前に出してみせて、母さんが何か言い掛けるのを制す。そんな俺と母さんのやり取りを見届けてから、親父は一つ咳払いをする。
「認めんぞ」捲し立てるようにして、身を乗り出して続ける。「その、同性同士の付き合いなんぞ」
 はあ。堪え切れずに息を吐く。親父の片眉がピクリと上がった気がするが、今は無視する。この問答は何度目だろうか。数えるのを止めて久しいし、そもそも話す内容なんて毎度同じなのだから、そんな事に脳みその容量を使いたくなかった。
 親父が反対している交際相手。それは、同じ男性の、年上の人だった。
 自分の恋愛対象について自覚したのはつい最近。思春期真っ只中の中学時代は同級生の女子を、少し落ち着いた高校時代は年下の女子。そして、就職を間近に控えた大学生になって。バイト先の先輩を好きになった。最初は何の違和感もなく相手を好きになって、それから段々と、どうして先輩を好きになったのか考えた結果、自分の恋愛対象に性差は無いのだと理解した。ただ、相手もそうだとは限らない。必死に考えて考えて、考え抜いた結果、俺は先輩に告白した。拒絶されて、バイト先に居辛くなる事も覚悟した。いらぬ噂を立てられる事も想定していた。
 するとどうだろう。先輩は柔らかく笑って「気付いていたよ」と言ったのだ。そして、先輩も俺と同じ恋愛において性差を必要としない人だったのだと、そこで漸く気が付いた。
 そこから二人だけの秘密の交際が始まった。徐々に理解が広まってきたと言っても、バイト先という狭いコミュニティの中でもそうであるとは限らなかったから、そこでは今まで通り先輩後輩の付き合いを続けていた。外でもあくまで友人としての距離を保ち、二人きりになれる僅かな時間を大切に使う事にした。窮屈だったが、それなりに幸せだった。先輩と一緒に好意を伝え合うだけで幸福だった。
 そうして、一足先に社会人になる先輩と話し合いを重ねて、俺達は婚姻関係と同等の権利を認める制度を利用して、一緒に暮らそうと約束した。その上で、両親に交際についてカミングアウトする事にしたのだ。
 その結果がこれだ。
「理由をさ、もう何度も聞いているけど。ちゃんと俺が納得出来るように教えてよ」
 繰り返される不毛なやり取りに段々と苛立ちを覚え、少々語気が荒くなる。売り言葉に買い言葉なのは否めない。親父は明らかに怒りを込めた目で俺を睨み付ける。
「大体、お前は彼女を家へ連れ込んでいただろう。それが何だ、いきなり男同士で付き合っているだと」テーブルの上で握り締めた手に力が入っているのが分かる。「冗談も大概にしろ」
「ちょっと、お父さん」母さんが割って入ろうとするが、流石に頭に来て再びそれを制す。
「冗談でこんな事を言うかよ。俺達なりに必死に考えた結果だ。
 そこまで言うなら俺も言わせて貰うけど、この告白だって本当だったら親父達に言わなくたって良かったんだ。親の承諾が必要ない事ぐらい知っているだろ。それでもお互いの両親に報告しようって思ったのは、ただ祝って欲しかっただけだ」
 そこまで言って、叩きつけそうになった手をそっとテーブルの上へ置いた。
 親父の言いたい事も、とっくの昔——俺が先輩へ告白しようと決めた時から分かっていた。特に親父達の世代には、偏見かも知れないがまだまだ理解が行き届いていないように思う。いきなり同性と付き合っている、いずれ一緒に暮らそうと思っていると言われて困惑しない訳がない。親父が言っていた通り、大学生になるまでずっと異性と付き合っていたのだから尚更だ。
 親父は暫し怒り心頭という様子だったが、母さんに見つめられているのに気付いて平静を取り戻したようだ。俺と同じように溜め息を吐いて、僅かに俯いた。
「お前は異性も同性も好きになるのは分かった。ただこの先、もしかしたらまた異性を好きになるかも知れない」
 ぽつりと呟く。
「お前が考え無しではない事くらい、俺も分かっている。だがな、だからこそ敢えて言うが——この先、異性と結婚するよりも、沢山の苦労がお前へ降り注ぐかもと思うと、俺は素直にお前達の交際を認める事は出来ないんだ」
 親父の言葉に目を丸くする。母さんも驚いたように親父を見つめている。
 それは、初めて聞いた。
 そしてそれは、痛いくらいに正論で。
「お前は俺の大切な一人息子だ。親として、お前が苦労しないように育ててきたつもりだ。それはこれからも変わらない。お前が傷付く所を見たい親なんているものか」
 そしてその正論は、時として俺を多大に傷付ける事を、親父はまだ気付いていないのだ。
 親父の子を思う気持ちが痛い。一方で、それは親が子に望むエゴであると頭の端で思う。どちらも正しくて、どちらも等しく誤りであると、多分親父も分かっているのだろう。勿論、母さんも。
 沈黙。どちらの言い分も正しくて、そしてどちらも譲らないから、本当はどうあるべきなのか、もう誰にも分からないのだ。
「あのね」
 暫しの間を置いてから、母さんがゆっくりと口を開いた。俺も親父も母さんを見遣る。母さんは右手で親父の手に、そして左手で俺のそれに触れる。
「お母さん、あなたの言い分もお父さんの言い分も分かるの。でも、家族に認められない愛情は辛いだけだし、異性と結婚しても、必ずしも未来永劫幸せであるとは限らないと思うの」
 添えられた手が震える。母さんはずっと俺達の間に挟まれて、二人の言い分を必死に噛み砕いていたんだろう。そうして語る母さんの声は穏やかだ。
「だからね、約束して欲しいの。あなたが一生懸命考え抜いた結果であると、あなたがこれからの生活で証明して欲しい。私が死ぬまで安心させて欲しい。そうしてくれたなら、私はあなたを祝福したいと思うわ」
「お前」「母さん」
 親父とほぼ同じタイミングで声を上げる。つまり、母さんは俺達の関係を認める代わりに絶対に幸せになれと、そう言いたいのか?
「お前、分かっているのか。謂れのない迫害を受けるかも知れない。孫の顔が見られなくなるかも知れない。世間一般の『幸せ』は、今のままでは訪れないかも知れないんだぞ」
 正論の刃が俺を切り裂いていく。そう、そうだ。多分咄嗟に出たのだろう。親父が言いたかった本心はきっとそうなのだ。親父の中には、俺の幸せを望む心と世間一般から見た意識が混在している。それを責める気にはなれない。俺だって、もし自分が同性を好きにならなかったら、親父と同じ事を考えていたかも知れないから。
「ええ、ええ」親父の言葉を受け止めてから、母さんはゆっくり首肯する。「分かっていますよ」
「じゃあ」
「それでも、私はさっき言った通りであって欲しいわ」
 駄目かしら、と最後に付け加える。俺と親父は互いに顔を見合わせ、考え込むように瞳を伏せた。
 答えはもう最初から決まっていたけれど。
 顔を上げ、母さんの手にもう片方の手を重ねて二人を見つめる。
「約束する。二人がずっと安心していられるように、絶対幸せになる」
 親父は暫し無言で俺を見つめ返し、やがて何度目かの溜め息を吐いた。
「分かったよ」かぶりを振り、俺と同じように母さんの手に己の手を添える。
「約束しろよ」
 たったそれだけ呟いて、親父は席を立った。引き留める間もなく自室へ向かっていった親父の背中を見遣りながら、俺は親父の言葉を反芻していた。たった一言が酷く重くて、そしてとても嬉しかった。
 母さんの方へ向き直り、俺は微笑んだ。
「ありがとう、母さん」
「いいのよ」かぶりを振り、母さんも同じように微笑む。思いの外緊張していたらしく、重ねた己の手が少し汗ばんでいるのに気付いて慌てて手を離した。
「今度あなたの恋人、家へ連れてきなさいな。どんな人なのか私も知りたいわ」
「うん」
「あなたはお父さんに似ているわ」クスクス笑いながら目を細める。
「何処が?」
「少し順序を間違えてしまうところ。あなた、恋人がどんな人か、きちんと説明したの?」
「した、し、ん? したつもりだった」
 改めて聞かれると自信がない。自分ではしたつもりだったが、母さんがそう聞くという事は不十分、もしくは失念していたのだろうか?
「あのね。お父さんが本当に反対していた理由はね。自分と一緒だったからよ」
「どういう事?」
「私と結婚する時も、今のあなたと同じように結婚する事だけご両親に伝えていたみたいで。最初は反対されたんですって」
 それも初耳だった。何だ、本当に。親父は言葉が足りな過ぎるんだよ。俺も思わず吹き出してしまう。
「ね、ちょっと真っ直ぐ過ぎるの。あの人。だから許してあげて、とは言わないけれど、理解だけはしておいた方がいいわ」
「うん」
 首肯し、俺も立ち上がってリビングを後にした。一先ず、先輩に両親へ告白した事を伝えよう。それから、親父の部屋へ行こう。親父には、さっきの母さんの話は黙っておいた方が良さそうだ。
(親父も可愛い所あるじゃんか)
 心の中で独りごちてから、俺は自分の部屋へ向かった。

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