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【小説】永遠の贈り物

【永遠の贈り物】
お題:『花言葉なんて、貴方は知らないんでしょうね』
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 暖かな日差し。心地良いそよ風が頬を撫でる。あまりに天気が良かったので縁側で本を読んでいたら、いつの間にかうたた寝してしまっていたようだった。辛うじて起こしたままだった身体も、寝起きの気怠さに負けてそのまま横になる。さわさわと葉を揺らす木々の音に耳をすましていると、段々と眠気が襲ってくる。
 夫が亡くなってから一年と少し、広い家に一人で住むようになったからか、どうにも生活リズムが崩れがちだった。夫とはもう五十年近く連れ添ったし、あの人がいない生活なんてすっかり忘れてしまっていた。
 寂しかった。自分の両親よりも長い時間を共に生きた最愛の人。息子が生まれて独り立ちしても私達の愛情は衰えず、むしろ成熟し落ち着いたものへ姿を変えたように思う。
 だからなのだろうか。今朝のように、時折夫を思い出して泣いてしまうのは。夜明け前に夢に見て、目覚めた時には枕が涙で濡れていた。そこからずっと起きていたので、眠たくなるのも無理はなかった。
(このまま少し寝てしまおうかしら)
 そんな事を思っていたら、視界の端で何かが動いた。
(え?)
 庭で一番大きな木の下に何かがいる。身体を横たわらせたまま薄目でその姿を追ってみると、影の中からのっそりと大きな猫が姿を現した。時たま庭へ野良猫がやってきているのは何となく察していたけれど、姿を見たのは初めてだった。明るい色をした茶トラで、口に何か咥えていた。あれは花、だろうか。
 茶トラ猫は私に見られているのに気付いていないのか、ゆっくりとした足取りでずんずんと庭を進み、ひょいと縁側へ飛び乗ったと思うと、咥えていた花をそっと置いた。ふんふんと匂いを嗅いでから鼻先でずい、とまるで私に差し出すように縁側の上へ花を滑らせると、そのまま身を翻してその場を去ってしまった。
「どういう事なのかしら」
 茶トラ猫の姿が見えなくなってから身体を起こし、彼(便宜上そうする)の置いていった花を見遣る。どうして花なんて。思ったよりも綺麗なままのそれを手に取る。これは——
「どうして」
 もう姿の見えない木の影を見遣りながら呟く。
 彼が置いていったのは、鮮やかな紫のベルフラワーだった。

 ◇

 次の日も、その次の日も、そのまた次の日も。時間はまちまちだったけれど茶トラ猫は花を置いていってくれた。置いていく花は毎日異なり、ハルジオンに、何処から摘んできたのか分からないけれどカタクリ、ジンチョウゲ。色も形もまちまちな花を置いていく。
 私は嬉しくなって、彼が持ってきてくれる花を花瓶へさして縁側に面した和室へ置いた。これなら彼も花を置いていく時に見られるだろう。気付いてくれるか分からないけれど。
 一体急にどうしたのだろう。餌付けをしている訳でもないのに、急に私の家へ来るようになった理由が分からない。けれどまあ、彼のプレゼントは、夫を失ってから何となく日々を過ごしていた私にとって小さな楽しみになっていた。
 ああ、そういえば。夫も私と結婚する前、私へ告白する時に花を贈ってくれたのだった。懐かしさに目を細める。口下手で、それでいて何処かロマンチストだった。花を贈ってくれたのも、彼なりの気遣いだったのかも知れない。私が嬉しそうにそれを受け取ると、彼も心からの笑顔を向けてくれたから。
 それを思い出させてくれた茶トラ猫に感謝した。夫を想って泣く日々はまだ続いているけれど、その間も少しずつ、思い出が私を優しく癒し始めていた。
 それからも花の贈り物は続いた。スイートピー、スズラン、マーガレット——野生のものか怪しいものも含まれていて、いよいよ花の出所を気にし始めたある日。いつものように置かれた花を見て、私ははっとした。
 目の覚めるような艶やかな青の勿忘草。
 それ以来、茶トラ猫は縁側へ来る事はなかった。

 ◇

 茶トラ猫がくれた花々は、結構な日数が経ったのにも関わらず未だ枯れずにいた。花瓶の水を変えて和室に置いて、縁側の向こうの庭へ目を遣る。
 花言葉なんて、貴方は知らないんでしょう。それなのに、貴方が置いていった花々へ意味を見出してしまう。生前、夫が私へ花を贈ってくれた時のように。
 感謝、追想の愛、初恋、永遠。
 優しい思い出、純粋、真実の愛。そして。
「『私を忘れないで』」
 ええ、ええ。忘れないわ。あなた。
 誰もいない縁側へ向かって呟く。あなたを想って泣く日々はもうおしまい。あなたの優しさをずっと忘れずにいるから、私はもう大丈夫よ。あなた。
 私の呟きに答えるように、何処からか猫の鳴き声がした。

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