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【小説】夜鳴きの逢を

【夜鳴きの逢を】
お題:『君と一緒なら何だっていい』
https://shindanmaker.com/392860

 吐く息が白い。澄んだ空気は空を高くさせて、煌めく星々が空を覆っている。東京と違って明かりが少ないおかげか、星がよく見える。
「今日も冷えるね」
「そうだね」
 僕と同じように白い息を吐きながら、彼女が微笑んだ。はあ、と手へ息を吹き掛けて僅かな暖を得てから、すぐに上着のポケットへ突っ込んだ。小脇に抱えた銭湯用の荷物のせいか、少し窮屈そうだ。
「ねえ、夕飯どうしようか」
 口元をマフラーで覆いながら彼女が問うた。
「そうだなあ」そう言えば今日は何も食べていなかった。顎に手を当てて思案する。食に強い希望がある訳ではないので、これと言って案が浮かんで来ない。
「あ、ねえ、あれ見て!」
 彼女が指差したのは、ここら辺は珍しい移動式の屋台だった。柔らかいオレンジの明かりを灯した提灯が風に揺れている。くん、と匂いを嗅ぐと、屋台から漂って来たであろう美味しそうな香りがした。
「あれ、もしかしてラーメンかな。私、ああいうの食べた事ない」
「食べる?」
「食べる!」
 即答し、嬉しそうに首肯する。勢い余って荷物を落としそうになるのを既の所で受け止める。彼女は「ごめんごめん」と頭を掻きながら、僕の顔を少しだけ覗き込む。
「何?」
「でも、いいの? 何か食べたいものない?」
「うん」
「じゃあ決まりね」
 僕に手を差し出す。僕はその手を取って、手を繋いで歩き出した。ほんの少しの距離だけれど、彼女は嬉しい事があるとちょっとだけくっつき魔になる。手を繋ぐのもそのせいだろう。僕はと言うと、そんな彼女が僕へ触れてくれるのが嬉しいので全く問題はなかった。
「こんばんはー」
 のれんをくぐり、店主へ挨拶する。店主は元気な声で「いらっしゃい」と返した。少し皺の刻まれた手を伸ばし、メニューはこちら、と指差された先を見る。醤油、チャーシュー、のり玉、それからそれから。基本的に醤油ラーメンがベースで、あとはトッピングで値段が変わるようだ。
「私コーンラーメンにしよ。何にする?」
 彼女は決めるのが早い。逆に、僕はこういう時になかなか決められないタイプだった。暫しメニューを見渡して、あれこれ悩んだ結果チャーシューメンを頼んだ。
「はいよ」
 水を受け取りながら注文を済ます。目の前に鍋があるので屋台の中は意外と暖かい。先客はおらず、僕達の貸切状態だった。
「あったかいねえ」
「そうだね、あったかい」
 彼女も同じ事を考えていたのか、ニコニコと微笑みながら僕へ身を寄せる。僕もあまりくっつき過ぎないように肩だけをそっとくっ付けた。
(暖かいな)
 暖かい。ささやかな触れ合い、暖かな空気、心が穏やかになる。東京からこちらへ越して来て本当に良かったと思う。僕らの生活は決して裕福ではないけれど、こうやって彼女と一緒にいられるだけで幸せだった。
 君と一緒なら、僕は何だっていい。
「お待ち」
 二人前のラーメンが一気に差し出され、僕らはお互いに丼を受け取った。彼女は火傷しないように、いつの間にか袖を手まで伸ばして鍋つかみ代わりにしている。さっきまで手が冷えていたから、賢明な判断だったと思う。
「いただきます〜」
「いただきます」
 二人で手を合わせ、ふーふーと息を掛けて麺を啜る。一日ぶりの食事に胃が少しびっくりしているが、醤油の香ばしい味わいに顔が綻ぶ。屋台でラーメンを食べたのは僕も初めてだったけれど、思っていた以上に美味しい。
「美味しい!」
 麺とスープを一口ずつ堪能してから彼女が言うと、店主も嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ありがとさん。嬉しいよ」
「あの、今度はいつ来ますか?」
「そうだなあ。不定期で場所も決めていないんだが」
「私達、この先の銭湯に良く行くので。来て下さったら絶対寄ります」
「そうかい。じゃあ近い内に」
「ありがとうございます!」
 心からの笑顔を浮かべる彼女を見つめながら、僕も釣られて笑顔になる。此処へ来て、彼女は本当に良く笑うようになった。僕と出会って、一緒に暮らすようになる前とは大違い——
(いや、いいや。これは考えなくていい)
 和やかな空気を壊さないよう、僕は努めて平静を保った。そう。考えなくていい。彼女が、僕が、東京でどんな生活を送っていたかなんて。
「ねえ、いいよね?」
 僕の様子に気付かず、彼女が微笑みながら問う。僕はもちろん、とゆっくり首肯する。
「君と一緒なら」
 そう。君と一緒なら、僕は何だっていい。生活が苦しくても、その笑顔が守れるのなら。
 そう言うと、彼女は少し照れたように俯いてから、静かにラーメンを啜り出した。
 一緒なら、僕は何だって平気だから。自分へ言い聞かせるように独りごちて、僕も続きを食べ始めた。

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