【小説】happily ever after

【happily ever after】
お題：『祝われる私より、祝ってくれる貴方が嬉しそうだから』
https://shindanmaker.com/392860

※【小説】Crucible of Worldsシリーズの続きです
https://note.com/friends17/m/m35d4f1525362

「俺が、貴方を幸せにしたい」
　そう言うと、彼が言葉に詰まるように息を呑むのが分かった。受話器越しでも、彼の今まで見た事のないような動揺と困惑、躊躇いめいたものを感じていた。彼が俺の想いを暴いたように、今度は俺が貴方の心へ土足で踏み込んでいく。
　俺の答え。彼とやり取りしながら必死に考えた結果。
　俺達の関係は呪いそのものだった。何年も何年も、手に入らないものを追い掛け続けていた。彼は親父を、俺は彼を、愛されていないと知りながら上辺だけの付き合いを続けていた。
「だからもう終わりにしましょう」何故か泣き出しそうになるのを堪える。「報われない恋はもうおしまい」
　俺を愛して下さい。親父の代わりに、貴方を心から愛しますから。最後にそう告げる。それがどれだけ彼にとって重い言葉であるか理解していた。不倫相手の俺が言うべき言葉でない事も。
　それでも、俺が本当に告げたかった言葉そのものだったから。その上で彼がどう思い、決断するのか。俺はもう、それに委ねるしかなかった。
『何て事を言うの』苦しそうな彼の声がする。『それが君の答えだって言うの』
「そうです」スマートフォンをしっかりと耳に当てて首肯する。彼は何も答えない。
「この恋が許されないものだと分かっています。俺達のしている事はただの不貞行為だ。
　それでも、俺は貴方を愛します。貴方に愛されたい。貴方を、俺自身を救いたい」
　救い。そう。これは救いなのだ。報われない恋を終わらせたい。快楽に溺れ、ずっと目を逸らし続けてきた罪への贖い。
　ずっと考えていた。愛とは何だろうと。考えないように、触れないようにしていた、一番大切な感情について。俺が彼を好きになった時は確かにあった清らかなもの。
　遠回りしてしまったけれど、もう、いいだろうか。
『君は』
　言葉を切って、躊躇いがちに続ける。
『君は、俺を赦してくれるの』
　嗄れた声で問う。
「赦すも何も」
　今にも泣きそうな声で答える。
「俺はいつだって、貴方を優先しますよ」
　彼に会いたい。彼に会って彼の顔を見たい。今どんな顔をしているのだろう。俺よりもずっと年上なのに年齢を感じさせないその顔。滑らかな肌。俺の愛しい人。
　覚えているだろうか。俺が想いを告げる直前に言った言葉を。俺はいつだって貴方を優先してきた。
　貴方が好きだったから。ずっと。貴方の事だけを考えていた。愛されていないと分かっていても、身体だけの関係であっても、俺の気持ちはずっと貴方を向いていた。貴方を心の中で蔑み、罵っても、それでも貴方を嫌いになれなかった。貴方を疑っても尚、俺は——
『俺も』
　先程とは違う、はっきりとした声色で言う。
『俺も、君を愛しているよ』
　ああ、ああ。もう。俺は。
「俺も愛しています。ずっと」
　俺はもう、他に何もいらない。

　◇

「よく似合っているよ」
「本当ですか、何だか照れますね」
　朝、所定の時間よりも早めに集合して、俺の家まで迎えに来てくれた彼の車へ乗り込む。朝早いせいか人も疎らだ。雲ひとつない快晴で、今日と言う日を迎えられた事を心から嬉しく思った。
「少し前に就活の話をしていたと思っていたのに、もう入社式だなんて早いな」
「その間に色々ありましたから」
　二人で顔を見合わせて、それから笑い出した。
　あの日、お互いの気持ちを確かめ合ってから。俺達は関係を続けていた。相変わらずお互いの気持ちを周りに伏せたまま、だけれど。
　俺は卒業式を終えて、短い春休みの間に一人暮らしを始めた。親父の部屋に残したあの日記は、今も引き出しの中へしまってある。鍵は俺が受け取って大切に保管しておく事にした。あれは、きっともう俺達以外の人の目に触れてはいけないものだろうから。
　それから。
「こんな日に言うのも何だけどさ」ハンドルに凭れながら、目を細めて言う。「妻とは別れたよ」
　あの後、彼はもう一つ目を逸らし続けていた事柄——家庭での身の在り方について向き合った。あれからずっと話し合いを続けていると聞いていたけれど、そうか。
　俺を愛すると誓った事に対する、彼なりのけじめだったのかも知れなかった。
　俺が壊してしまったものの一つ。彼と一緒に背負わなければいけない罪。でも、辛くはない。罪の意識に苛まれても、彼がいるなら俺はこの先、きっともう大丈夫だろう。
「俺を愛していると思わせて、もうずっと息子の事ばかり考えていたの、俺も気付いていたからね」
　そう小さく呟く彼の顔は、何処か寂しげだった。
「そんな事よりさ、本当に君はスーツが似合うね」
　沈んでいた顔をぱっと切り替えて、ニコニコと微笑みながら言う。あまりに嬉しそうなので、こちらまで笑顔になってしまう。
「俺のスーツ姿、見た事ありませんでしたっけ」
「見たよ。社内報で新入社員の紹介としてね。でも生で見るとまた違った感慨があるな」
　そう言って俺の頬へ軽く触れてから、幼い子供へするように優しく頭を撫でてくれた。幼少期、親父がしてくれたのと同じものを感じる。暖かくて、くすぐったくて、心が穏やかになる。
　恋人であり、父親のような存在でもある貴方。心から愛しく思う、大切な人。
「何だか笑っちゃいます」
「どうして？」
「祝われる俺より、祝ってくれる貴方の方が嬉しそうだから」
「そうかな」照れ臭そうに頬を掻く。年若く見える彼の仕草に、俺は小さく笑った。
「そうですよ」
　再び笑い合ってから、彼は小さく咳払いをした。
「じゃあ、改めて」
　周りを確認してから、ゆっくりと顔を寄せる彼。
「入社おめでとう。これから、どんなに大変な事があっても俺が助けになるから」
「はい」
　視界が滲む。
「愛しているよ」
　眼鏡の奥の彼の瞳もまた、同じように潤んで見えた。
　そうして俺達は。互いに互いを赦しながら、慰めながら、愛し合いながら。
　固く手を絡み合わせて、もう二度と離れないように。頬を、鼻先を、まるで戯れ合う動物のように擦り合わせて。それら全てが愛情表現であると言うように。
「俺も、愛しています」
　そう言って、俺は彼へキスをした。想いを告げた日のような苦々しいものではない。一方通行な、想いのない形だけのものではない。愛していると心から言える、そんな誓いのようなもの。
　ずっと一緒にいましょう。愛しい貴方。
　愛しています。

（了）