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今年も11月の匂いを感じて泣いてしまう


この季節がやってきました。
6月に引き続き「今年も」シリーズ。
私は6月と11月が本当に苦手で、毎年たくさん泣いてしまう。

先週から急に肌寒くなってきて、11月の匂いを感じるようになった。
言葉でも具体的な何かの出来事でもなく、心がこの匂いを知ってて何度だって泣いてしまう。

11月は、亡くなってしまった幼馴染の誕生月でもあり、季節の変わり目で心が不安定になる節目でもあり、寒さが寂しさとなって襲ってくるタイミングでもあり、心がぐちゃぐちゃになってしまう。

今日も玄関でボロボロ泣いてしまった。
私はいつになれば「普通」になれるんだろう。
いつになれば玄関でボロボロ泣かなくて済むくらい強くなれるんだろう。
自分の不甲斐なさや後悔で今でもこんなに泣けてしまうのはこの季節になるたびにあの子の存在を感じるからだろうか。
何もできなかったそしてこれからも何もできない自分への虚無感からの涙か。
それとも、ただの自己満足の涙なのだろうか。


「大丈夫だよ。」は私の好きな言葉のひとつだ。

私は自分に幾度となく「大丈夫だよ。」と声を掛けてきた。
何か根拠がある訳ではない。
大丈夫になりたくて、祈ってる。
これは祈りなのだ。

根拠のない「大丈夫だよ」で何かを救おうとなんてそんなこと思ってなくて、大丈夫になりたい、きっと大丈夫って信じたくて願ってる

https://x.com/thory_log?s=21&t=5MxgD7SxlNNYaSalQSIrKA

大丈夫だよって言いたい 大丈夫だよって言ってるひとは励ましているわけでも気休めで言っているわけでもないかもしれない 自分の不安な気持ちを奮い立たせるために「大丈夫だよ」って言ってて本当は一番こわかったりつらかったり不安や悲しみやそういうことを抱えてるかもしれないって知ってて

同上


大丈夫っていう祈りの言葉を唱えて私はいつも自分を落ち着かせてる。
信じたくて、そうなりたくて、何度も何度も言い聞かせる。
無条件に私を受け入れてくれる誰かからの「大丈夫だよ」はいつだって私に力をくれる。
それは自信にも勇気にも安心にも心の拠り所にもなる。

これを書いてても涙が止まらなくてどうしたらいいのか本当に分からない。

私はたまに自分がこのまま自分の深い感情(精神)世界に自分自身が引き摺り込まれて壊れてしまうのではないかと思うことがある。
泣いてる自分とは別の自分がもう1人がいて、そのもう1人の自分はいたく冷静で俯瞰している。
とても怖いと思うと共に、もう苦しい気持ちやバラバラな自我に振り回されなくていいんだと解放を望んでいる(本当の解放ではないけど)自分もいることに気付いてゾッとする。

私は「自分が少し悲しい、寂しい、辛い」という状況が好きで落ち着くのだと思う。
それは私の自己肯定感の問題でもあるし、真面目さでもあるし、被虐的に装いたい卑怯で歪んだ性格のせいでもあるし、優しさでもあるし、甘さでもあるし、深い感情世界に浸れる情緒的な人間性のせいでもあるし、弱さでもあるし、苦しみでもあるし、快感や刺激に弱くそれらを常に追い求めてしまう人間だからでもある。

早く「大丈夫」になりたい。
「私はもう大丈夫だ」と心の底から確信したい。
私の「大丈夫」は本当は私の中にしかないのだけど、私の満足のいく「大丈夫」を私が錬成するためには心に肥料や種や他の材料が必要なんだろうなと思う。

そしてきっと秋になる度に私の心にまだ肥沃な土壌も生き生きした種子もその他の材料も揃っていないことに気付いて何度でも泣いてしまう。
私はあまりにも空っぽすぎる。
入れ物がたまたま見てくれが悪くないから気付かれにくいだけで、審美眼を持った方には見透かされて全部バレてしまう。

まとまりのない文章でごめんなさい。

いつか、大丈夫になりたい。

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