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誰かから好かれていても結局人生はつらい

「人間しぬときはみんな一人」とか、
「付き合っても結婚しても子供ができても孤独を感じるときはある」とか、
「自己肯定感は誰かからの評価で高めるのではなくて自分で自分のことを認められるかどうか」とか、
なんかそういう人生において”満たされる”、”孤独”とかそういうことについて色々なありきたりな言葉があるけど、本当につくづく人間って孤独だしわがままで欲張りで貪欲で満たされない生き物なんだなって思う。

こんな風なタイトルにしたのは、最近仲良くしてた異性2人から同時期に告白されたから。
二人とも気になっていたし、仲良しだったし、告白されてうれしくない訳ないだろ~って感じなのに私は違ったな。
「わー!うれしい!両思いだ!!」みたいな、体が暖かいもので包まれるような、炭酸水の中にいるみたいに体の表面がパチパチするような興奮と喜びを感じられる私でありたかった。
うれしくて天にも舞い上がるような気持ちを味わえるような真っ新な自分がもはや懐かしい。あれはどうやったら味わえるのか今はもう分からない。

現実の私は、言葉にするのはとても難しいけれど、すごく素直に言ってしまうと「なんだ~…もうこれで終わりかー…」みたいな感情になってしまった。

ミッションコンプリート?ゲームオーバー?ゲームコンプリート?ジ・エンド?

一番楽しいのは両片思いの時で、両想いになってしまったら後はつらいことだらけだって思っているからかもしれないし、過去のトラウマのせいかもしれないし、「こんな私のことが好きなの…?」という蛙化現象だったかもしれない。
とにかく、とてもとても失礼なことに、私は白けた気持ちになってしまったのだった。
シーーーーンみたいな。
もちろんその殿方たちの前ではそんな顔も雰囲気も微塵も醸さずにうれしい!って言ったけど。
そして、なぜか気が重くなって『つらい…』としか思えなくなってしまった。
一人は年上で、もう一人は5歳も年下で、結果としてこのうちの片方と付き合うことになるのだけど、(蛙化してしまったのに「孤独」が怖くてどちらも切り捨てることができないのも私の弱くてずるいところだ)他方を振る日のことを考えるとエゴだけどとてもつらくなってしまった。

振ってしまった人間の方が間違いなく誠実で真面目でまっすぐで切実な目をしていた。
けど、私は「そんなまっすぐな目で私を見ないでくれよ………」とさえ思った。
そんな価値は私にはないし、こんな気持ちになる自分の心が汚れすぎていて悲しくて気が重くて吐き気すらした。(こんなことを思ってしまう、こんなことをここに書いてしまうヤバい私は傲慢すぎるしエゴがすぎるし痛いし頭悪い。いつか天罰が下っても何も不思議じゃない。)

君の真っ白なキャンバスともうすでに色々な景色が細部までびっしり書き込まれてしまっている私のキャンバスは並んで飾れない。
これから君のキャンパスには様々な綺麗な絵が描かれるはずで、私のわずかな隙間に描かれる余白を埋める作業に付き合う必要はない。


結局私はまたこの「人を好きになる才能」の時と同じ過ちを繰り返してしまっているのかもしれない。

今度は本当に「好き」だと「気になる」と「欲しい」と思った。
そう思った、確かにそう思った、はずだったのに。
男性と女性ってどうしてこうもかみ合わないんだろう、と思うことがあって、いや、私と男性との間に限定されたことなのかな…長くなるからこの話はまた違う記事でしようと思う。

9月になってから風が急に秋の匂いをまとった。
やめてよ…。
私にとって6月と11月は毎年つらい。
大丈夫かな。
いいことばかりがありますように。

注記しておきたいのだけど、告白されたことが嫌だったとか、相手の男性に何か問題があるとか、告白の仕方が気に入らなかったとか、そういう話がしたかったわけでは一切ない。
私は私の自意識の歪み?問題点?がもう無視できないくらい明らかになってしまったなという自分自身への気持ち悪さを書きたかった。
ぐにゃっとした気持ちになってしまう、誰ともカチッとハマれない歪んだ私。
叫びだしたいくらいだよ。
毎日楽しいし、こんな自分なのに好きだと思う。
うまく話をまとめることは今の私には無理だけど、ただ一つ、人に好きと言われたから、誰かと付き合ったから「幸せ」になれるとか、「救われる」とかそういうのは幻想で、そういうハッピーな感情はすべて自分の中にある。
悲しいし辛いけど、自分にしか自分は救えない。
誰かのせいにすることなく、強く、しなやかに生きよう。

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