冤罪の罪と国家的冤罪

冤罪とは最も重大なる罪である。
何故なら、被害者を加害者として罰するからである。
被害者には被害者であると認められる事が
救いとなる。
例え、本人が(特にその命を失って)主観的に救われなかったとしても、社会的には被害者は被害者として救われるのである。
被害者は哀れまれ同情され祈られるのである。
それにどの程度の価値を感ずるかは人それぞれであろうが、そこに確かに救いは存在するのである。
しかし、冤罪にはそれがない。
冤罪被害者はその名の通り被害者である。
ただ、その冤罪が濯がれない限り、あくまで加害者として責められる。
場合によっては冤罪加害者があたかも社会から被害者としての加護を受けられるのである。
加害する側が救われ、被害者が加害者としての責苦を受ける、そんな理不尽があってなるものであろうか?
痴漢冤罪しかり、国家レベルで言えば、南京大虐殺や従軍慰安婦しかりである。
南京大虐殺は存在しない。
あったのは、南京における戦闘と、それに付随する被害、両軍の一部の戦争犯罪である。
まず、付随する被害については、両軍の市民保護が不十分であった事に起因するため、両者に責任がある。
戦闘での死者は戦争なのであるから発生して当然である。
国民党軍は北京市民を殺したり脅したりして身ぐるみを剥ぎ、市民に扮して己のみ助かろうとしたり、便衣兵になったりした。
当然、当時から便衣兵は国際法違反である。
何故なら、市民を戦争で殺してはならないにも関わらず、兵士が市民のフリをして戦闘行為を行うからである。
それが許されるならば、便衣兵は一方的に正規軍に攻撃が出来てしまう。
そして、便衣兵は自国民への加害も助長する。
先ほどの記載の様に、現に自国の市民の身ぐるみを剥ぐ犯罪の他に、敵兵が便衣兵と錯誤して市民を殺すのを助長するのである。
便衣兵がいる場合、市民か便衣兵かが疑わしいならそれは攻撃対象である。
市民保護の観点から、便衣兵はしてはならぬ犯罪であり、便衣兵と誤認して市民を殺した場合、便衣兵を使った側の一般市民保護義務違反となる。
日本側に戦争犯罪が無かったかと言えば、それは確かに誤りである。
事実、部隊長から現地市民に対する犯罪を戒める通達が出ている。
ただし、日本が主体的組織的に行った戦争犯罪は無い。
あくまで、個人の兵士が軍規を破り犯罪行為に手を染めたのであり、その当人は日本軍の軍事法廷で裁かれているのである。
他方、国民党軍は犯罪行為を裁いていたのか?(いや、いまい)
また、残虐な手法で惨殺した、という説もあるが、これも信憑性に乏しい。
なぜなら、そこで主張される残虐な手法は通州事件という中国人による日本人居住者に対して行われた残虐な虐殺の手法と不思議なほどにそっくりなのである。
通州事件の復讐のために行ったと主張する者もいるかもしれないが、その時の指揮官は極めて中国人に好意的な指揮官であったので、万一個人や小部隊としてそんな残虐行為が生起したとして、軍事法廷で確実に裁かれているはずである。
そもそも、南京大虐殺が事実であったとして、それに謝罪を求めるなら通州事件やその他日本人居留民に対する残虐行為に対しても謝罪するのが筋で在ろう。
規模感的なものも甚だおかしい。
恐らく実態として両軍市民の被害は上記の総計であるが、それを足しても30万には遠く及ばない。
そもそも、そんな中国史上でも稀に見る大虐殺を行った軍隊がいまだに居座っている南京にのこのこ何万もの住人が戻ってくるほど、当時の南京市民が阿呆だったなどと愚弄するのは極めて失礼ではないか?
従軍慰安婦にしてもしかりである。
そもそも、当時として現地市民の女性を保護するために自国民(朝鮮半島を植民地だと言い張る人間がいるが、それは明確な誤りであり、併合した事により本国と同等の扱いを受けていた)の売春婦を同行させる先進的な施策なのである。
他国はどうしていたか?
言わずもがな、現地民の女性をレイプしていたのである。
それは、アメリカの様に黙認している国もあれば、むしろ推奨していたソ連の様な国もあったのである。
アメリカも朝鮮戦争時には少しは人権意識が芽生えたらしく、日本軍と同様の慰安婦を従軍させている。
もしも従軍していた慰安婦が問題だと言うのならば、朝鮮戦争時のアメリカも非難の対象とするべきであるし、そもそも戦場でレイプを推奨していた多くの国を非難しないのはどうしてか?
また、奴隷的に性的サービスに従事していたと言う言説も誤りである。
まず、十分な対価が支払われている。
当時の将軍の給与よりも高いと言われるほど荒稼ぎしていたのが実情である。
辞める自由が無かったかと言うとそうでも無い。
一定の労働は求められていた様であるが、実際問題としてひと財産作って、故郷に小さくない家を買って凱旋する慰安婦が一般的であった。
要はある程度の稼いだら自由に辞められたのである。
対価さえ払えば奴隷的に犯されても良いのか?という言説も間違いであり、実際には現地の日本軍人と恋に落ちる慰安婦もいたり、危険な地帯に部隊が前進する時に、拒否する軍に対してどうしても付いて行きたいと懇願する者もいたようである。
とすると、義務感と金銭のやり取りがあったとは言え、一定の心の交流が行われる関係性が築かれていたと見るのが常識的な捉え方で在ろう。
植民地から強制徴用された、と言うのは先程も否定したが、本国からなら問題ない訳ではない、という主張もある。
これも間違いである。
まず、日本人と朝鮮人に慰安婦としての待遇の差は無かった。
また、そもそも慰安婦は日本人の方が圧倒的に多かった。
その上で、本人の意に沿わない慰安婦がいた、という部分については、確かにその様な者がいたのは事実である。
しかしながら、そうなった原因は借金のカタや窮乏によって親が娘を身売りしたケースや朝鮮人の悪徳ブローカーに騙されたケースである。
どちらも、恨むなら同胞の朝鮮人を恨むのが筋である。
確かに、そう言った身元確認が不十分であったという過失はあろう。
ただ、それだけである。
ちなみに、有名な慰安婦像のモデルは、慰安婦の少女ではなく、中韓米軍に轢殺された可哀想な女子高生である。
その子も草葉の陰で泣いているだろう。
そもそも、日本の悪業とされている事は、戦争勝利国も同等かそれ以上の事をやっているのである。
先述の通州事件にしかり、アメリカによる都市部への大空襲は意図的に民間人を逃げ場を封じた上で焼き殺すという民間人を対象とした無差別大量虐殺であり、明らかな国際法違反である。
原子爆弾の投下も、悪魔に魂を売る所業であり、法的には上述と同様である。
本当に非がある加害者を責めるのは正当な行為である。
しかし、冤罪で加害者とされる者を責めるのは最上の罪である。
被害者にも関わらず、あたかも加害者として扱われる事は、被害者から被害者性を奪う最低な行為であるとともに、加害者を被害者として扱う嫌悪すべき行為なのである。

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