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プロパガンダの本質

昨日は散髪のついでにブックオフで本をいくつか売ってきました。
一冊は完全に値段がつかないと突っ返しされましたが、計18冊が無事に売れました。
最近は本の状態確認はあんまりされず、バーコードで査定されるんですね。
査定が一瞬で終わってビックリしました。
どうでもいいかもしれませんが、売却レシートを晒します。

もう読むこともないだろう本を厳選して持って行ったので二束三文(とはいいつつ、200〜300円程度)を覚悟していましたが、思ったよりも値段がついてホッとしました。
やっぱり、最近出たソフトカバーの本の値段が高くつけられるんだなぁ、と。
一応、売られた本達を弁護すると、私個人の琴線には触れなかっただけで、きっとタメになる人にはタメになるのだと思います、知らんけど。
皆さんの読書の参考とされてはいかがかと思います。
ちなみにこの売り上げは、たまたま見つけたAmazonお買い物カゴに入れてた本をカゴ売りで見つけたのと、その後の時間潰しに入ったスタバのバニラクリームフラペチーノの代金に消えた…

さて、先ほど読み終わった本はアンヌ・モレリ氏(永田千奈訳)の「戦争プロパガンダ10の法則」である。
この本は、ここの所読んだ本で一番の当たり本かもしれない。
戦時プロパガンダの実態を多くの具体例を基に検証しており、そこからプロパガンダ自体の法則性を導き出す書物である。
という訳で、今回はガッツリこの本に則って記事を書いてみたいと思う。

まず、プロパガンダの本質は、この本に挙げられている10の法則に集約されると考えるので、正確に引用したい。
かなり長い記事となるので、読むのが面倒ならば、下記引用だけを読んで、後はブラウザバックして頂いても構わない。

①「われわれは戦争をしたくはない」
②「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
③「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
⑤「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
⑨「われわれの大義は神聖なものである」
⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

戦争プロパガンダ10の法則目次より

この書籍の本質は、情報リテラシーの本である。
そのため、この記事も読者諸官の情報リテラシー獲得に資する記事と出来ればと思う。
この書籍を私はAmazonで新品で手に入れたし、Kindle版も出ているので、是非書籍を購入して読んでもらいたい。
この記事では、私がこの書籍をガッツリ紹介する価値があると考えるために、全編を紹介する記事としたい。
書籍より引用し、要約し、独自の注釈を入れる。
また、この書籍は多くの戦例から教訓を引き出しているが、あえてそれとは別の例も使って例示している部分もある。
それらについて、どれがどれだと断りを入れることは敢えてしない。
それらには、大意を変えない程度に恣意的で都合の良い文章の使用が含まれる。
それらを見ながら、プロパガンダとはどういうものかを体感して頂けたらと思う。
書籍の記載と比較して読んで頂けると、なお楽しんでもらえるかもしれない。
また、この本を読んで感じたことだが、プロパガンダの技術については私自身も既に他の記事でも活用していたことに気付いた。
この本自体は狭義のプロパガンダである、各国政府が中心となって行った戦争に関するプロパガンダを中心に取り扱っている。(マスコミや知識人も能動的なり受動的なりにこのプロパガンダに参加している。)
しかしながら、特に現代においては、政府の関与しない、場合によっては反政府的なプロパガンダも多数存在する。
実際問題、現代の我が国は政府がプロパガンダを実質出来ていない(下手くそなだけかもしれないが…)状態である一方で、マスコミや左翼、一部右翼は活発に反政府プロパガンダを展開しているのである。
そうしたものを含めたプロパガンダが、如何にして我々の思考に影響を与えるかを考えるきっかけとなれば幸いである。
以下、各章の解説である。

①「われわれは戦争をしたくはない」
近代以降のあらゆる国の指導者は、戦争を始める直前、または宣戦布告のその時に、必ずといっていいほど、おごそかに、まずこう言う。
「われわれは、戦争を望んでいるわけではない」
戦争は常識的に考えて歓迎すべきものではないので、まずは平和を愛していると見せかける方が得策というわけだ。
第二次世界大戦の枢軸国がこの様なプロパガンダを使っていたことを不思議に思わない人も、一方の連合国側、例えばフランスも、かつての植民地戦争やナポレオン、ルイ十四世の行った戦争、ヴェルサイユ条約での領土要求などなかったかのように「他国の領土を侵略するなど、フランスにはあり得ないことだ」と言い放っているとは思わなかったかもしれない。
すべての政府が平和への意志を積極的に口にするにも関わらず戦争が起こってしまうのはなぜだろうか?

②「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」
両陣営がともに、相手国が流血と戦火の悲劇を起こそうとしていると主張し、それを抑止するために「やむをえず」参戦するという矛盾した構図は、第一次世界大戦やそれ以前から存在する。
ロシアと共謀してフランスが出した動員令がドイツの宣戦布告の引き金となったことはフランス政府も承知していたが、ドイツの宣戦布告を待って、こう発表した。
「フランスが参戦するのは、非常に不本意でありながら、ドイツ側からの突然、卑劣で、危険な、想像を絶する敵意の表明があったからに他ならない」
この主張のために、わざわざ外交白書の一部を破棄や改ざんしたりまでしているのである。
これは第二次世界大戦でのアメリカも同様である。
内政やニューディール政策の失敗から国民の目を逸らしたいとともに、イギリスから欧州正面への支援をせっつかれ、かつ債務国の敗北を受け入れられないアメリカ大統領であったが、国民に戦争をしないと宣言して大統領に就任した手前、対独(伊)戦争に踏み出せずにいた。
そこで、日独伊三国同盟を逆手に取り、日本を政治的経済的資源的、及び対中支援を通じた準軍事的に追い詰めることによって、日本が対米戦争をしなければならないように追い込むことを思いついた。
更には、日本が攻撃前の宣戦布告をし損ねるという大失態を犯してくれたお陰で、晴れて国民の喝采の元に戦争に参加する大義名分を得たのである。
ルーズベルトは宣戦布告に先んじて真珠湾に攻撃を受けたことを知った時、期待以上の成果に小躍りして喜んだに違いない。

③「敵の指導者は悪魔のような人間だ」
たとえ敵対状態にあっても、一群の人間全体を憎むことは難しい。
そこで、相手国の指導者に敵対心を集中させることが戦略の要になる。
敵にひとつの「顔」を与え、その醜さを強調するのだ。
こうして指導者の悪を強調することで、彼の支配下に暮らす国民の個人性は打ち消され、敵国でも自分たちと同様に暮らしているはずの一般市民の存在は隠蔽されてしまうのだ。
これは現代の我が国の政治においても頻繁に行われている。
例えば、故安倍晋三元首相や岸田文雄現首相に対するSNS等における個人攻撃、誹謗中傷は目を覆いたくなるほどである。
しかし、民主主義国たる我が国においては、彼らは国民の多数によって選ばれた政権与党の代表なのである。
国家を弱体化させるには、まず指導者の無能を強調し、指導者の信頼性や清廉性を疑わせることが必要になる。
ありとあらゆる手段を使って指導者を悪魔に仕立てあげ、征伐すべき悪人、恐竜の生き残り、異常者、野蛮人、凶悪犯罪者、人殺し、平和を壊す者、人類の敵、怪物だと人々に示すことが必要なのだ。
とくに、ヒトラーについては、極度に不気味な人格の持ち主だとされており、第二次世界大戦以来、悪の象徴としてすっかり定着している。
敵方のリーダーはしばしばヒトラーにたとえられ、「第二のヒトラー」「ヒトラーの再来」といった表現をなされる。
いかに弁明しようとも、悪の化身であることを否定しようとも、ヒトラーにたとえられたとたん、すべての名誉は失われる。

④「われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う」
多くの場合、経済効果を伴う、地政学的な征服欲があってこそ、戦争は始まるが、こうした戦争の真の目的は国民には公表されない。
近代以降においては、多くの国において国家元首といえども国民の同意がなければ宣戦布告を行うことができない。
それでも、その国の独立、名誉、自由、国民の生活を護るために戦争が必要であり、この戦争は確固たる倫理観にもとづくものだとなれば、国民の同意を得ることはそう難しくない。
世論を説得し、我が国は(敵国とは異なり)限りなく高尚な目的のために戦うのだと信じ込ませなくてはならない。
現代においても、ロシアはウクライナにおけるロシア系住民の救済を掲げて、ウクライナに侵攻した。
こうした被差別国民の存在こそが、プロパガンダにおいては、虐げられている仲間を助けよう、不当に迫害されている仲間を助けようという、またとない大義名分になるのである。
もっとも、何故そのロシア系住民がウクライナにいるかというと、ソ連時代にホロドモールと呼ばれる人工的大飢饉により、元々その他に住んでいたウクライナ系住民の大多数が死亡させられ、その後に入植した住民なのである。
どんなにさもしい人間でも、利己的で卑劣な動機をわざわざ明かそうとはせず、善意や愛他主義を装うだろう。
そして、肯定的なイメージを保持するために、まず自分を納得させる。
次は世論の説得だ。
これは高尚な目的のためなのだと訴える。
「悪党」「犯罪者」「殺人者」に対抗するために立ち上がるのだ、と。

⑤「われわれも意図せざる犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」
プロパガンダではしばしば、敵側の残虐さが強調される。
もちろん、残虐行為が存在しないわけではない。
プロパガンダによくみられる現象とは、敵側「だけが」こうした残虐行為をおこなっており、自国の軍隊は、国民のために、さらには他国の民衆を救うために活動しており、国民から愛される軍隊であると信じ込ませようとすることだ。
アメリカは、日本の都市部に対する空襲や原子爆弾の投下により、一般市民の無差別大量虐殺を行なっている。
そのため、日本が南京において一般市民を虐殺した、とジャーナリストや宗教関係者に証言させた。
なんと、日本人が南京市民を虐殺した手法は、日本人居留民が中国人に虐殺された通州事件で使われた手法と「不思議なことに」全く同じやり方だったのだという。
どちらの陣営だろうと、暴力というのは程度の差こそあれ残忍なものであり、状況、手段、訓練や命令のあり方次第では、想像を絶する激しいものとなる。
だが、プロパガンダでは、こうした暴力を用いるのは敵側だけだと思い込ませ、自国の軍隊が暴力的な行為をしたとしても、それは失策や不注意などから「不本意に」起きてしまったことだと主張する。
現代の我が国の政治においても同様の状況を見ることができる。
政治資金の不透明な取り扱いについて、野党は与党を必死に追及している。
しかしながら、追及の責任者がなんと、追及しているのと同様のやり方で政治資金を取り扱っていた人物だというのだ。
こうした不適切な政治資金の取り扱いをするのは与党だけだと思い込ませ、野党が同様の事をした際には、不注意から「不本意に」起きてしまったことだと主張するのである。

⑥「敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」
わが陣営は、ルールを守ってフェアな戦いをおこなっている、というのがよくある主張だ。
一方、われわれに刃向かう敵は、アンフェアなやり方も辞さない。
自国がおこなうときには合法的かつ巧妙な戦略として有効な「奇襲」も、敵陣が仕掛けてくれば卑劣な行為として非難の対象となる。
ヒトラーのソヴィエト進撃も、日本の真珠湾攻撃も、エジプト・シリアがイスラエルに侵攻した第四次中東戦争も、トルコのキプロス侵攻も、サダム・フセインのクウェート侵攻も、すべて、善意を裏切る卑劣な行為として伝えられてきた。
にも関わらず、日ソ中立条約を破って侵攻したソ連の行為は大々的には非難されないのである。
さらに、戦略だけではなく、兵器の選択も敵の卑劣さを示す大きな鍵となる。
どんな武器であれ、敵が一方的に使用し、自国が不利になる原因となった武器は、ルール違反の卑劣な凶器とみなされるのだ。
第一次世界大戦においては、ドイツは連合国にはない技術である潜水艦を実用化していた。
ドイツ軍潜水艦の発射した魚雷によって、イギリスの客船が転覆、1200人の民間人乗客が死亡した。
連合国はこの攻撃を「海賊的行為」としてプロパガンダに利用、大々的に報じたのだ。
だが、この客船は武器を輸送中であり、その船底には弾薬が搭載されていた。
乗客たちは何も知らされぬまま、いわば武器を運ぶための「生ける盾」として利用されたのだ。
なお、第二次世界大戦においてアメリカは、日本の船舶に対して潜水艦による殲滅作戦を行なっている。
軍事目的の輸送船のみならず、戦場となり得る地域から一般市民を避難させるための船まで無差別に撃沈してまわったのである。
沖縄戦において多数の住民が取り残されたまま戦闘に突入した原因は、住民が故郷を離れたくないと主張したという面もあるが、避難に使う船が悉く撃沈されてしまうから避難しようにも避難できない、という事情もあったのである。
アメリカは、かつて卑怯な行為だとプロパガンダに利用した行為を、今度は自分自身が行なったのである。

⑦「われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」
よほどのへそまがりでない限り、人は勝者の立場を好む。
戦時中の世論の動向は、戦況によって左右される。
戦況が思わしくない場合、プロパガンダは自国の被害・損失を隠蔽し、敵の被害を誇張して伝える。
我々がまず第一に思い出すのは、日本の大本営発表であろう。
特に、台湾沖航空戦における戦果と被害の誤報(訂正もなされていない)は、国民や陸軍を盛大にぬか喜びさせた。
アメリカの太平洋艦隊を半壊させたかのような発表であったが、実際の所は日本側の連合艦隊が瀕死に追い込まれていたのが実態であった。
なお、こうした傾向は現代の戦争においても同様に見られる。
ウクライナ戦争においても、ウクライナ・ロシア双方が自軍の被害は控えめに、敵軍の被害は誇張して発表するのである。
いずれの陣営も、こうした情報で士気を煽り、国民に戦果を納得させようとするのだ。

⑧「芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」
すべての広告がそうであるように、プロパガンダも、人々の心を動かすことが基本だ。
感動は世論を動かす原動力であり、プロパガンダと感動は切っても切り離せないものだと言っていい。
ところで、感動をつくりだすのは、お役人の仕事ではない。
職業的な広告会社に依頼するか、感動を呼び起こすことが得意な職業、芸術家や知識人に頼ることになる。
どちらの陣営でも、芸術家や知識人が国民の良心に訴え、志願兵を募るためのプロパガンダに参加した。
ちなみに、良き軍政を敷いたことで有名な今村均も、マスコミや文化人を本土から多数呼び寄せて、彼らを軍政に協力させている。
こうしたプロパガンダは現在においても様々場所で見ることができる。
例えば、我が国のワイドショーにおいては、専門家でもなんでもない、ただの芸能人がコメンテーターという役柄で好き勝手(なのか台本なのかは分からないが)を言っているのである。
専門知識も何もない、一般人と変わらない知能と知識しかない一芸能人の意見など、本質的には個人的な意見に過ぎない。
しかしながら、多くの民衆にとっては、人気のある芸能人がこんな発言をしている、と捉えるのである。
また、ポリコレの文脈でも芸能人、特にハリウッドで活躍する俳優(女優を含む)や有名ミュージシャンがポリコレの正当性を訴えるケースが多い。
そうなれば、その芸能人に好意を持つ民衆は、その主張の善悪をキチンと判断することなく、意識的にせよ無意識的にせよ、その主張が正しいと思い込む可能性が高いのである。
最近の流行りで言うならば、インフルエンサーなるものも現れている。
SNS等を活用して、一般市民であるにも関わらず広く影響力を有することとなった人物のことである。
こうした人々による主張は、「こうした著名人も支持しているのなら…」と思わせることで、その主張を正当化しようとするものである。

⑨「われわれの大義は神聖なものである」
神聖な大義とあれば、何があっても守らなくてはならない。
必要ならば武器を手にとってでも。
こうした論理によって行われたのが、中核派や革マル派、連合赤軍といった暴力的左翼活動家たちによる、暴動に等しいデモ活動であったり、国内外で行われたテロ行為なのである。
当然、文字通りの意味で宗教的に使われる場合も多い。
キリスト教の十字軍(比喩的に使われるものを含む)やイスラム教のジハードは代表例である。
信仰に厚いキリスト教徒であるはずのアメリカ人が、キリスト教の教会である浦川天主堂の直上に原子爆弾を落としたのは何の因果であろうか?
また、民主主義も戦争においては宗教の如く神聖視されて取り扱われることが多い。(主にアメリカの引き起こす戦争においては顕著である。)
フランスの大臣ユベール・ヴェドリンヌはこう述べた。
「西側諸国には、民主主義を宗教だと思い込み、改宗させればそれで良しと考える、やや行き過ぎた傾向が見られる」

⑩「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」
プロパガンダに疑問を投げかける者は誰であれ、裏切り者扱いされる。
フランス人教師マヨーは、ドイツ人の残虐性を非難する声に疑問を示し、フランス軍も大差ない事をしていると公の場でほのめかしたのを理由に、二年の禁固刑に処せられ、職を失った。
こうした風潮は現代のポリコレにおいても頻繁に見られる。
例えば、大東亜戦争中の慰安婦の雇用契約に関して研究したハーバード大学のラムザイヤー教授は、不正研究の汚名を着せられ、誹謗中傷を繰り返され、複数の大学に籍を置く学者までもがオープンレターという形でこの運動を煽動したのである。
これはキャンセルカルチャーと呼ばれ、ポリコレに反する文脈の主張した人物を吊し上げ、社会的地位を剥奪するとともに、ポリコレに反する言論を弾圧しようとする試みである。
左翼は、かつての日本が戦争に反対する人物を特高警察が弾圧した、と主張しているが、今や彼らは弾圧をする側にまわっているのである。
これは最近に始まったことではなく、山岳ベース事件の様な内ゲバ文化を他者への攻撃に転化したものである。
そもそも、共産主義にとって、スターリンに然り、毛沢東に然り、ポルポトに然り、粛清は伝統芸能なのである。

さて、今までの私の記事の中でも最長編となったが、最後まで読めた方はおられるだろうか?
そして、私が散りばめたプロパガンダにどれだけ気付けただろうか?
今後マスコミであったり、SNSであったり、政治家であったりがする主張について、それがプロパガンダなのではないか?という疑問を持ち続けることはできそうであろうか?
古今東西、プロパガンダは世の中に満ち溢れている。
そのプロパガンダを冷静に受け止め、自身で然るべき判断をすることが情報リテラシーの本質である。
プロパガンダの手法を知ることにより、読者諸官の情報リテラシーの向上に、僅かでも貢献できたならば幸甚である。

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