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好きなことと仕事

雑誌『BRUTUS 映画鑑賞術 見るべき物語とドキュメンタリー』を最近買った。
映画監督一人一人の多種多様な映画論に触れることができて興味深い。1ページ1ページが面白くてページを繰る手が止まらない。
映画監督の代表作や作品にまつわるエピソード、時代背景などが書いてあるが、私がつい気になって見てしまうのは、ページの隅っこに書いてある、映画監督のキャリア。生年月日と、卒業大学や映画監督になるに至るまでのプロセスが小さな文字で4,5行にチョロチョロっとまとめてある。その人がなぜ映画監督や映画プロデューサーのような「なろうと思ってなれるわけではない職」(?)に辿り着けたのか。
歴は数行にまとめられているけども、それを読んだだけで一人一人が個性豊かな道のりを歩んできた彼らの冒険に満ちた人生のドラマについて想像が膨らむ。

十人十色とは言うものの、やはり、彼らに共通しているのは「『好き』を極めた人たち」という点だ。これは映画界に限った話ではなく、仕事、いや人生を歩む上で非常に重要な鍵であるはずだ。が、ここでは「映画において好きを極めること」に焦点を当てる。
映画は多くの人にとって身近な芸術だ。例えば学校やサークルでやらされる自己紹介での一場面。「好きなことは映画を観ることで、」とか「最近は韓国映画にハマってます。」なんていう言葉を何度耳にして、口にしてきただろう。このような経験からも推測は容易いが、映画は趣味に選ばれやすい、いわば大衆的な芸術のカテゴリーなのだ。確かに、映画の歴史を振り返れば瞭然。映画は絵画、小説、音楽などのジャンルと比べたら"最近生まれた"と言っても過言ではないくらいの現代的な芸術で、映像、編集、撮影の技術はものすごい速さで向上している。そして今ではサブスクリプションサービスが大きなパワー持ち、映画は大衆的なレベルにまですっかり落とし込まれた。映画館という場所でしか観られなかった映画作品も、通勤通学途中に電車の中で観られる時代だ。周りを見渡す限り、映画は趣味のレベルに留まっていることが多い。
しかし今私の手元の雑誌に名が残されている彼らは、「観るのが好き」には到底おさまり切らないパッションを持った人たちである。
「映画監督」である前に1人の人間である彼らが、映画監督としての仮面をかぶって仕事をしている時間に限らず、人生そのものをかけて映画と言うものにどう関わってきたのか。一冊の雑誌を通してこのテーマについて考えて、気付かされたことは三つある。

まず一つ目。「好きだから極める。極めるから好きになる。」やはりこの好循環が、仕事の原動力であり、人生におけるエネルギーの源になる。映画監督になるまでの道のりは人それぞれだったと上でも述べた。実際小さい頃からカメラ好きだったとか、大学を卒業してから俳優として活動したとか、地元の映画会社でコツコツ働いていたとか、映画界へ足を踏み入れる契機からキャリア形成まで似通う者は誰1人としていない。それでも彼らは、映画に対して自分なりの考えや思いを持ってアプローチし続け、映画を創るというゲームを楽しみ続けるという根幹は共にしている。私の「好き」はなんだろう。映画をただ座って観ていることなのか、創ることなのか、届けることなのか、分析したり批評したりすることがいいのか、その「動詞」に私の関わり方のヒントがあるのだろう。
そして二つ目は、本当に好きなことって、好きになろうとしてなるものじゃなくてどうしても時間を割いてしまうもの。ということだ。「映画を好きで見ている。でも映画史の勉強や映画理論の勉強、映画作品について理解を深める工程などは、やって見たいと思っているけど他にもやることがあって忙しいから後回し。」そんなことでは結局映画ツウ止まりだ。私は映画以外に絵を描くことも好きだが、自信を持って「好き」と言えるのは、どんなに先に片付けなければならないことがあっても描きたくてウズウズすることがあるくらい、絵描きがずっと熱中して続けていられる活動だからだ。続けるから腕が上がって描きたい絵が描ける、だからもっと楽しい、そしてもっと楽しいからもっと続ける。映画もきっと同じだろう。ただ、映画を見たり、映像を創ったり、分析・考察したりすることは、正直絵を描くことほど深い「好き」ではまだない。でも、今よりもっと好きになるために、言い訳ばかり並べてないで、まずは自分が本当にやりたいと思うままに映画を掘り下げてみようと決めた。自分がやっている映画鑑賞や映像制作、映画分析・考察を根気よく続けてみようと、改めてそう感じた。
そして三つ目。「好きなことを仕事にするためには単に映画を見続けていればいいのか?」という疑問だ。今の時点での自分なりの答えはノー。だって見続けるってことは受け取り手のままでいるということだから。仕事にするまで極めるのなら、映画を観るだけではなくて、例えばその作品の背景にある社会問題について自分でも考えてみたり、さらにその考えを踏まえて映画の構成を再考してみたりすることを通して、自分から映画に関わっていくことが必要だ。
「自分から関わる」ってどういうことだろう。例えば映画監督が分かりやすいけれど、作り手に回るということは、他の誰かでなく自分が主体で動くということ。そして映画を観るだけでなく、自分の頭と心を使って映画にぶつかっていくこと。他の仕事でもそう。誰かが提案した企画についていくだけじゃなくて、自分の思いも乗せていいものへ、納得のいくものへと改善していく努力を怠らずに動くことがきっと大事なはず。好きなものを貪欲に極め、食べ尽くし、新しいものを生み出していくことで、初めて「思い」というホワホワしたものではなく、しっかりと形のあるキャリアになっていくのだと思う。

好きなことと仕事は、近いようで、遠いようで、、、近い、のだろうか?


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