少女終末旅行と"唯ひとつだけの世界"の話

結論: 少女終末旅行は、哲学書。

「Youtubeの動画を見てリアクションするYoutuber」みたいなのあるじゃないですか、その記事版…になるはずだったのですが、いつも通りとめどない連想ゲームじみた記事になってしまいました。

少女終末旅行/つくみず 純粋経験を語る物語
http://lookdiagonallyupward.blog.fc2.com/blog-entry-182.html?sp

うっわ尊い…

興味深いのは「純粋経験」「主客未分」という概念、 初めて知った言葉でしたが「あ〜あれね!知ってる知ってる!」と必死に類似概念を連想する私の脳髄、いささか滑稽でありました。私の脳髄は地獄のミサワ。

とかく私が興味を持ったのは「世界と自分、ありとあらゆるものの境界がなくなる感覚/体験」です。連想した概念は以下。

ワンネス=難しくいうと一元論的視点。ざっくりいうと「世界のあらゆるものは唯1つの"円"みたいなものだよ!その円の一部だけ切り取って『これが俺でーす!』とか言っても『は?ただの円の一部やんけ』って話だよ!」アランワッツ著、ラットレースから抜け出す方法に出てくる概念。

汎神論、一元論=ざっくり言うと「世界はぜーんぶひとつのよくわかんねーものでできてるよ!たとえるなら粘土で何作っても原材料は"粘土"だべ、この世界も同じで、あらゆるものは"粘土"のあらわれ方のバリエーションの1つに過ぎないで!」という考え方。この"粘土"を「神」と言っちゃうのが厨二病っぽくて大好きです。「神は偏在する」とか声に出して読みたい日本語。スピノザ著、エチカに出てくる概念。

梵我一如=バラモン教の聖典ヴェーダにおける世界と自分が1つであるという概念。修行の末たどり着くのがこれらしい。

ワンネスと汎神論と一元論はあくまで思想、考え方でありますが、梵我一如はそれに加えて目指すべき理想としての側面もあるようです。

私はマインドフルネス瞑想を累計110時間ほど続けているのですが、たまーにこんなような感覚になる事があります(悟りイキリ)

特に、息を吐き切って「今この瞬間、ただ此処に存在している」感覚。略して「今唯此処在」漢字が並ぶと必殺技みたいで格好いいですね(20代男性 厨二病患者)

話が逸れましたが、この「世界と自分、ありとあらゆるものの境界がなくなる感覚/体験」は極限状態であったり、過集中であったり、瞑想中なり、セックスの最中だったりと特殊な状況下でないと体感するのは難しいのかなぁと思います。

そしてこの時間が多ければ多いほど、人は結果的に幸福になれるのでは、とも思います。(心理学の"フロー状態"も上記概念に近い気がします。)

学問的な知識に近接できるほと深い内容が描かれている少女終末旅行…すばらしいですね(このまとめ方自体は死ぬほど浅いけどな!)

結論: やっぱり少女終末旅行は、哲学書。

・収集つかなくなった感想たち

こんなにも堂々としていて、だけど力の入ってない生きたいという意志ってないですよ。「社会的に成功するため」とかだったら失敗した時に崩れる。だけどこの意志は崩れない。こんな強い人間をぬけぬけと書いて見せる能力に脱帽しました。

私はその美しい脱帽っぷりに脱帽してしまいました。脱帽通り越して脱毛です、いつの間にかスキンヘッドです。「力の入ってない生きたいという意志」好きな表現…尊い… 脱帽、脱毛を通り越して脱頭皮、私の頭の中のメロンパンがこんにちはしています。得難い経験、有り難いです…

2回見て、2回泣いた。「やっぱりダメだったか」という諦観を持ちつつ行動を続けてきたことの尊さ、大コマで作り上げたものの全貌を映しだし、良い悪いという評価ではなく「気楽なもんだな…」という。こんなにも普遍的な諦めの美しさ、それを描ける作品ある…? 生涯でなるべく多く触れてぇなぁ…


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