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瀬戸内の島でゲストハウス経営×freeeのフルリモートエンジニア、増田茂樹さんの働き方

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方をご紹介する「働き方の挑戦者たち」。

今回お話を伺ったのは、freee株式会社でフルリモートで働く傍ら、瀬戸内海に浮かぶ島「大三島(愛媛県今治市)」でワークスペース付きの宿「オオミシマスペース」を経営している増田茂樹さんです。

都会の仕事をしながらの田舎暮らし。「いつかはそんな暮らしをしたい」と誰もが一度は憧れたことはあるのではないでしょうか。そんな暮らしを実現できた背景や未来の構想まで、増田さんにたっぷりとお聞きしました!

増田茂樹(ますだ・しげき)さん

広島県生まれ。幼稚園以降は千葉、兵庫で過ごし、中学〜高校2年まで東京・自由学園で学ぶ。ITを専門的に学ぶため、大検を取得し京都コンピュータ学院洛北校へ。卒業後は株式会社四次元データ(現シナジーマーケティング株式会社)に入社。2016年、愛媛県今治市大三島に移住し、2017年にオオミシマワークス合同会社を設立。翌年、シナジーマーケティング社を退職しfreee株式会社に入社。2023年12月現在もフルタイムエンジニアとしてリモート勤務をしながら、宿の経営を行っている。

レバレッジを効かせ、正社員と自営業の両輪を回す

火曜日の朝、会社員としての就業時間前に取材に応じてくださった増田さん。

「朝、犬の散歩を30分くらいして戻ってから朝食を食べ、9時までに妻と僕のどちらかが娘を保育園に送り届けます。freeeでは11時にオンラインの朝会があるので、10時半までを自分時間や『オオミシマスペース』関連の時間に割り当てることが多いですね」

「オオミシマワークス」は、増田さんが瀬戸内しまなみ海道沿いの大三島で経営するワークスペース付きの宿泊施設。開発合宿やチームビルディングの目的で、ワーケーションに利用する都市部の企業も多いといいます。

コワーキングスペース「KOYA」のテラス席

「宿の仕事は今年の春から正社員をひとり迎えて、お客さん対応や清掃を任せられるようになりました。その分、僕は企業との窓口だったり、地域との連携事業など、最小の時間で別の価値を生み出すことに専念できるようになりました」

11〜18時ごろまでがfreeeの正社員としてのコアタイム。その後、家族との時間を過ごし、夜に残りの業務をするリズムで日々を過ごしているそう。

「会社員×ゲストハウスの経営」とパラレルで働く増田さん。大事にしているのは「自分の時間や、家族との時間を大切にすること」だと言います。

「たとえば100%の本業と40%の副業をやると140%になって、プライベートの時間がなくなってしまう。そうではなくて、副業においては、自分が動かなくても回るしくみや、少しの時間にレバレッジを効かせて働けば、あとは勝手に回るしくみをつくるのが重要だと思います」

「言われたことをやるだけ」の状態に違和感


広島生まれの増田さんは子ども時代、親の転勤に伴って千葉や兵庫など、各地を転々としたそう。そして、幼稚園〜小学4年生に過ごしていた千葉にいた際、その後の人生を大きく変える「美術展」に足を運ぶことになります。

その美術展は、東京都東久留米市にある学校「自由学園」で行われたもの。自由学園は「真の自由人を育てる」を理念にしており、自分らしく、主体的に生きるための教育を大事にしています。

「美術展で習字の作品が掲示されていたんですが、一人ひとり、違う言葉を書いていることに衝撃を受けました。自分の通っていた学校では全員が同じ文言を書かされていたけれど、僕は当時から『言われたことをやるだけ』の状態に違和感があって。自由学園に行ったら、のびのびと自分で決めたことができるんじゃないか、と思ったんです」。

小5、6年の兵庫暮らしを経て、自らの意志で親に頼み、中等部から寮生活で東京の自由学園へ。自身の興味分野を深めていきます。

「中学3年のとき、同級生がパソコンを組み立てる内容の雑誌を読んでいて、『パソコンって、ブロックみたいに組み立てられるんだ』と知って。高1になってアルバイトしたお金で、自作のパソコンを作りました」

IT分野なら、一生飽きることなくできる

当時は2000年前後で、インターネットが急速に普及し始めたころ。自作パソコンがインターネットにつながると、増田さんはその可能性の大きさに惹かれます。

「それまでの情報って、ラジオやテレビなど受け身の世界だった。でも高校生の井戸端会議チャットでやりとりをしたりして、これからは自ら情報発信できるし、より多くの人とつながることができる、これはすごいと。これを生業にしたいと思いました」

ITの技術革新がすさまじいスピードで進むなか、「この分野なら、自分の成長より市場が成長するから、一生飽きることなくできると思った」と増田さんはいいます。

Web開発の魅力は、「試行錯誤を繰り返すところ」


ITを専門的に学ぶなら、違う環境のほうがいい。そう考えた増田さんは高2で自由学園を中退して関西へ戻り、大検を取得して専門学校に通います。

情報工学科で電気回路の組み立てや基板設計などに取り組むなか、Webアプリケーション開発に関心が向いていきました。

卒業後は大阪のIT企業に就職し、Webエンジニアとしてのキャリアをスタート。

そんな増田さんが大三島への移住を検討し始めたのは、当時同じ会社で働いていたWebデザイナーの理絵さんと結婚してからのことでした。

「妻が仕事の一環で、『夫婦間の理想の暮らしを考えるワークショップ』をつくり、それを我が家でもやってみたんです。付箋にお互いの思いを書き出して、ホワイトボードに貼っていくなかで、妻も僕も、田舎暮らしに憧れていることがはっきりしてきました

1年かけて移住の準備。その後、freeeへ転職


祖父母の住む大三島には、すでに理絵さんと何度か行った経緯もあり、移住するならここ、と思っていた増田さん。「祖父母が元気なうちに」と理絵さんとも意気投合し、さっそく移住に向けて行動を起こすことに。

「ただ、仕事を辞めてしまうと田舎でITの仕事に就くことは難しい。そこで上司と役員に相談して、1年かけて移住の準備をしました」

当時はコロナ禍前で、今ほどリモートワークは普及していなかったころ。上司も最初は懐疑的だったとか。

「まずは週1だけ在宅ワークさせてもらい、普段通り仕事ができていると認めてもらってから、数日、1週間……と少しずつ日数を増やしました。1か月経ったころ、大三島での暮らしも少しずつ始めよう、と段階的に移行しました」

橋の先の先に見えるのが、瀬戸内しまなみ海道最大の島「大三島」

「やっぱり、石橋を叩きながらというか、試行錯誤を繰り返して進むのは自分に染み付いている性質」と笑う増田さん。

「当時、仕事を思い切って辞めていたら、リモートの仕事はもらえたかもしれないけれど、その後、freeeに転職することはできなかったかもしれない。移住は思い切った決断ですが、そのなかでも慎重さを持っていたことが、今の豊かな生活につながっていると、振り返って思います」

空き家を活用して、若者を呼び込みたい


かくして2016年、大三島へ移住した増田さんご夫婦。

都会のIT仕事で収入を得ながら、仕事の前には犬の散歩で浜辺を歩き、近隣でとれた野菜や自分で釣った魚が食卓に並ぶ……。理想的な生活を送る一方で、ある危機感を持ち始めます。

「犬の散歩をしていると、朽ち果てた家がぽつぽつとあることに目が行くようになりました。瓦が滑り落ちていたり、土壁が雨で崩れそうになっていたり……。当時は島に住む若者もいなかった。このままでは近い将来、このまちに人が住めなくなってしまうんじゃないかと、肌で感じました」

移住当初は13家族だった近所の組の回覧板も、移住後すでに2家族がなくなり、「人がいなくなっていく」ことをひしひしと実感したそう。

「限界集落と言われるこの地域は、若者が移り住んでくる工夫をしないと、本当に人が住めなくなる。その危機感から、壊れていく空き家を活用して若者を呼び込むことにチャレンジしてみたいと思ったんです。

加えて、僕個人も都会のようにエンジニア同士が集まるコミュニティがないことに課題感があった。新しく場をつくるならエンジニアが出会えるような場所にしたい、という思いもありました」

そこで2017年、空き家となっていた古民家を購入し、自身の合同会社も設立して、ワークスペース付きの宿「オオミシマスペース」を開業します。

オオミシマスペース内のコワーキングスペース「KOYA」

シリコンバレーのようなIT村を大三島で

オオミシマスペースの経営は、2023年で6期目。当初の危機感や課題感に対して、その手応えをどのように感じているのでしょうか。

「崩れかけた家をリフォームして、その空間が素敵だねと言ってくれるお客さんがいたり、地元の人が『こんなにおしゃれになるなら、うちの家も直そうかねえ』と言っているのを聞くと、もともとは価値がなかったものに新しい価値を与えていく試みは、成功してきているかなと感じます」

またオオミシマスペースへの滞在後に移住した家族も、何組かいるのだとか。「ここでの体験がすべてではないと思いますが、きっかけの一つとして貢献できたのはすごく嬉しい」と増田さん。

近い将来には、シリコンバレーのようなIT村をつくりたいという構想があるとのこと。

「コワーキングスペースはあるので、周辺の空き家を改装して、リモートで働く人たちが暮らしやすい環境をつくりたいんです。所属している会社は違っても、毎日『おはよう』とコミュニケーションをとって。時には統合して、この島ならではのプロダクトを開発したりするのも楽しそう」

2023年、今治市×東京大学×日本IBM社の連携協定を背景に、パナソニックや日本IBM、日産自動車など大企業が講師として参画する「しまなみテクノロジー市民大学講座(通称:しまテク)」が行われていて、オオミシマスペースもその会場としてたびたび利用されているそう。

これも増田さんがITエンジニア、かつ地域活動をしていて行政にもつながりがあることから、IBM社で働く知人経由で「大三島でやってみてはどうか」と声がかかったのがきっかけなのだとか。大三島、すでにIT文脈でも注目を集め始めています。

エンジニアとしても自分を磨き続けていたい


freeeの掲げるミッション『スモールビジネスを、世界の主役に。』に共感しているからこそ、「自分自身もスモールビジネスを実際に経営することが価値になっている」と語る増田さん

「自分が開発しているfreee製品を、自分が経営するゲストハウスの会計処理で使っている。つまり、僕は副業で宿の経営をしていることで、サービスを利用しているユーザー側に立つことができます。使いづらさなどの課題を実際に感じて、会社にフィードバックして、それを仲間と一緒に改善していくことに、非常にやりがいを感じています」

繰り返し作業の煩雑さや、確定申告提出前の漠然とした不安感など、当事者にならないとわからないことがある。「だからこそエンジニアとしても、プロジェクトマネージャーの言葉の重みがわかるし、お客さんからのクレームや問い合わせに対してすごく親身になれるんです」と増田さん。

「自分がパラレルに働くことで、freeeへの愛社精神もより深まっていますね。今後はいち開発者としてだけではなく、より事業にコミットし、会社全体にいい影響を与えられるようなエンジニアになって、会社に貢献したいです」

副業は慎重に始めた方がいい。まずはスキマ時間から

IT村構想以外に、これからやっていきたいことは「中長期で滞在できるようなシェアハウスやアパートを運営すること」と増田さん。

「大三島に興味を持ってくれた人が、半年くらい手軽に住めて、大三島での暮らしをより検討できるような場所を作りたいです。
空き家は多いものの、さまざまな事情で市場に出回らないものも多いんです。家探しをしている人が腰を据えて家を探すためにも、中長期の滞在をサポートできるようにしたいですね」

IT村構想、シェアハウス、アパート運営。次から次へとやりたいことが湧いてくるという増田さん。「新しいことをするのに、清水の舞台から飛び降りる勢いは必須ではないと思う」と言い切ります。

「むしろ僕は、慎重にやったほうがいいと思っています。副業も、例えば本業をやりつつ、スキマ時間に趣味でつくったものをECで売るところから始めてみてもいい。すべてを切り捨てて新しいことにチャレンジするとなかなか後戻りできないし、それがうまくいかないことで、好きなことを好きじゃなくなったり、これって本当に自分に合っているんだろうか……と悩みすら生まれてくると思うんですよ」

一方、「メイン×新しいこと」の掛け算で希少性が生まれると増田さんは言います。

「エンジニアは全国に数多くいるけれど、『エンジニア×宿のオーナー』は全国でも少ない。例えば僕が『自分の運営する宿の予約システムを自分でプログラミングした』と発信すると、注目される可能性もあるわけです。希少性を高めるうえでも、新しいこと、今までやってきたことのどちらも大事にするのがいいんじゃないかと思います」


聞き手にわかりやすい言葉を選びながら話してくれる姿が印象的だった増田さん。技術を磨き続けるスペシャリストでありつつ、常に他者への視点があり、多くの人へ価値を届けようという中高時代から一貫した姿勢が、増田さんならではの生き方を形作ってきたように感じました。

これからの働き方・暮らし方を検討中の方、オオミシマスペースでワーケーションしながら、考えを深めてみるひとときはいかがでしょう……?

取材・文/渡邉雅子
PR会社勤務、フィジー留学を経て豪州ワーホリ中にライターに。帰国後ITベンチャー等々を経て、2014年に独立。2016年より福岡在住。現在は糸島界隈を拠点にフリーライターとして活動。2023年は写真、絵本、日本茶、ZINE制作など新しい活動の種も少しずつ育てている。海辺とおいしい野菜が好き。
Web: https://masakowatanabe.themedia.jp/

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