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一時は月収2万、不安と孤独で涙したことも…壁を突破したきっかけは~新卒でフリーランスになったコピーライター 中新大地さん~

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方をご紹介する「働き方の挑戦者たち」。
今回ご登場いただくのは、岡山市在住のコピーライター、中新大地さん(29)です。
大学卒業後に就職せず、大学2年で始めたライターを幅を広げながら今日まで続けている中新さんは、いわゆる「新卒フリーランス。会社員経験がないことから回り道をしたこともあったといいます。
ライターとなって10年目を迎える中新さんに、新卒フリーランスのリアルについてお聞きしました。

就活での違和感からフリーランスに

中新 大地(なかにい だいち)さん
コピーライター/新しい働き方LAB Empowered by Lancers公式エバンジェリスト

1994年岡山県岡山市生まれ。 大学在学中の2014年より企業・個人の広報やブランドに携わる。ネーミングやキャッチコピー制作、ホームページのコピーライティング、SNS運用等を担当。”新卒フリーランス”という特異な経歴から、中学生から社会人まで幅広い層へのキャリア関連の講演も。人々の「選ぶ」の裏にある「選ばない」選択肢を増やすためにも、多様な生き方と働き方を発信している。
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新卒から就職せずにフリーランスとして働き始める「新卒フリーランス」が注目を集めています。中新大地さんもその1人。在学中から始めていたウェブライターを大学卒業後も継続し、現在はコピーライターとして活動しています。

中新さんが新卒フリーランスになったのは、就活で感じた「違和感」がきっかけでした。岡山県内の大学に通っていた中新さんは大学3年のとき、初めて合同企業説明会に参加します。そこで企業の数や職種が都市部に比べて少ないと気づきました。

「企業数が少ないのはもちろんですが、業務内容も営業や事務などが大半でバラエティに乏しかったんです。仕事の選択肢があまりにも少なすぎる。自分で選んでいるようで、選ばされている。そんな違和感がありました

就活の自己分析を通して「時間を柔軟に使える働き方をしたい」と気づいたことも、就職せずフリーランスになることを後押ししたそうです。

「実家は母子家庭で、3人きょうだいです。看護師だった母は多忙で、一番下の弟は母親と出かける機会が特に少なく、寂しかったと思います。自分の子どもにはそんな思いをさせたくなかったので、時間を柔軟に使える働き方をしたいと思いました。でも、会社員だとそうはいきません。そこで就職はせず、ウェブライターの仕事を続けてはどうかと考えたんです」

中新さんは、大学2年の夏からウェブライターの仕事を始めていました。大学入学当初は学芸員を目指していましたが、学芸員はポストが少ない上に大学院まで進学しなければならないとわかり、学芸員になることを断念。すでに大学進学時に奨学金を借りており、これ以上の借金を背負って大学院に進む熱意は自分にはない、と気づいたといいます。

その後、学芸員に代わる資格や職種について調べる中で「クラウドソーシング」を知った中新さん。もともと、文章を書くのが苦ではなかったため、クラウドソーシングでSEO記事の作成を請け負うようになります。

始めは、時給換算すると300〜500円しか稼ぐことができませんでした。しかし、クライアントが増え、キャッチコピーやネーミングなどのコピーライティング、企業のSNS運用も手がけるようになると、時給は3000〜5000円に上昇。本屋でのアルバイトをやめ、学業と並行してライターを続けてきました。

「このままいけば、何とか食べていけるんじゃないかと楽観視する気持ちもあったと思います」

中新さんが大学を卒業したのは2017年3月です。ライター1本で食べていけるか、不安がまったくなかったわけではありませんでした。大学のキャリア相談員からも「厳しいと思うよ」と難色を示されたそうです。それでも新卒フリーランスになろうと決意した背景には、次のような思いもありました。

「僕がうまくいけば、地方で暮らす若い人たちの働き方の選択肢が増える、と考えたんです。僕を見て『やっぱりフリーランスは大変そうだから自分は会社員にしよう』と思ってもらってもいい。まずは、自分が『ファーストペンギン』になってみようかなと

単価の低い仕事に追われ疲弊も

「しんどいときは自然の中にある展望台に登り、遠くの景色を眺めて気分転換をしていました」(中新さん)

ついに中新さんは、地方で働く新卒フリーランスの「ファーストペンギン」として歩み始めました。ライターとしては3年目に入り、着実に経験を積んでスキルを上げ、仕事の単価も上げていきました。仕事の幅が広がったことからコピーライターを名乗るようになっていきます。

ただ、悩みもありました。受注量の頭打ちです。提案をしてもなかなか受注につながらない。東京出張までして臨んだプレゼンで自分の案が通らない、苦い経験もしました。

「僕の案を聞いて、場の空気が凍りついたことを今でも覚えています。イラストを描く漫画家さんは『これ、どうします?』と困り顔。帰り道では、僕に声をかけてくれたクライアントから『ちゃんと準備しないと』と叱られました」

受注量が増えず、仕事が少ない時期には、単価の安い仕事をたくさん引き受けました。その結果、仕事と時間に追われて疲弊。収入が安定せず、月収が2万円だったことも。1人で仕事をしていて相談相手がいなかったため、自分の仕事の仕方が正しいのか、料金は適正なのか、と悩むこともたびたびでした。

会社員になった友人たちが活躍する姿を見て焦りも感じました。「中新はかっこいい仕事をしているよね」と言ってくれる友人たちのイメージと現実とのギャップに苦しんだこともあったといいます。

「フリーランスが時間を柔軟に使える働き方なのは確かです。ただ、何もかも自分でしなければなりませんし、自分なりの働き方を実現できるようになるまでには神経をすり減らすことも多い。僕も卒業してからの2年ほどはなかなか思うようにいかず、夜、布団に入ってから涙したこともあります。でも、つらいからやっぱり就職しようとは思いませんでした。時間を柔軟に使える働き方がいいという思いはどんなにつらくても変わらなかったですね」

理論や裏付けが欠けていた

自宅の仕事場

一時期、自分の提案がなかなか通らず受注量が頭打ちになっていたことを、中新さんは今、次のように振り返ります。

「当時は、なぜこのコピーなのかという明確な理論や裏付けがないまま提案していました。そのため、クライアントが僕のコピーを採用するメリットを感じられず、結果として商談が不成立となることが多かったのだと思います」

それに気づいたのは、あるクライアントとの商談でした。商談相手から、「上司の決裁をもらわないといけないので説得できるような材料をください」と言われたのです。そのとき初めて、「目の前にいる商談相手が決裁権を持っているとは限らない。その上にいる上司にも納得してもらわなければならない」と気づきました。

「商談で自分が話す相手は、会社に帰ったら上司におうかがいを立てて決裁をもらわなくてはいけません。その上司が見るのは、『このコピーを採用すれば、うちがどれだけ数字を取れるのか?』ということ。なぜこのコピーなのかという理論、その裏付けとなる数字やデータまで用意しなければ提案に納得いただけず受注にもつながらないのだ、と初めて気づきました。会社員の経験がないから、そんな当たり前のことに気づくのも遅れてしまったのだと思います」

ただ、何をするにも失敗を恐れず、フットワークが軽いのがフリーランスの強みだ、と中新さんは考えています。

「僕に限らず、新卒フリーランスやフリーランス歴の長い人はフットワークが非常に軽い印象です。聞いた話はすぐ実践。話したほうが早いと判断すれば、すぐにZoomミーティングが立ち上がります。会社員経験の中で明確な失敗というものをしたことがなく、上司や先輩に叱られたことがない。だから失敗を恐れず、スピード感を持って動けるのかもしれません」

スキルアップはもっぱら実地で

2023年ランサーズにて、年間表彰にあたる”Lancer of the Year 2023”を受賞。右から2番目が中新さん

商談のコツにしろ、仕事で必要な技術にしろ、会社員であれば上司や先輩からの指導、研修など、学びの機会はたくさんあります。しかし、新卒フリーランスにそのような機会はありません。中新さんはどのようにして学びを深めてきたのでしょうか。

「書籍で独学したわけでもなく、講座に通った経験もありません。もっぱら実地で、仕事を通して学んできました。クライアントの反応を見ながらひたすらPDCAを回して次の仕事に活かすことをくり返していましたね。ビジネスマナーや敬語の使い方、メールの書き方は、ネット検索して見つけたウェブ記事を参考にしました。SNSで自分の少し前を走っているようなライターさんを探してベンチマークにして、その方が実践していることを真似たりもしました」

仕事が途切れたり、継続案件が突然終わったりするのはフリーランスにはよくあることです。そんなときには営業を増やしたり、仕事の振り返りをしたりして次に活かすことを考えるようにしていた、といいます。

「始めのころは仕事がなくなるたびにいちいち落ち込んでいました。今は『そういうこともある』と気持ちを切り替えて、自分の力を伸ばすことに時間を使うようにしています。本を読んだり、記事の分析をしたり。すると“捨てる神あれば拾う神あり”で、新しいお仕事が回ってきたりするものです。フリーランスには、適度な大らかさも必要だと思います」

フリーランスにとってお金は大事なものです。しかし、お金だけにとらわれない機会や出会いも大切にしたほうがいい、と中新さんは考えています。

「僕は偶然を大切にしています。そのほうが運をつかみ取りやすいと考えているからです。例えば、報酬はそれほど高くないけれど、毎回の打合せで有益な情報をもらえる仕事は大切にする。ご近所を散歩している人と世間話をしてみる、SNSをやってみる──。お金にはならない『余白』も大切にすることで、意図したわけでもないのに仕事のアイデアが生まれたり、新しい仕事につながったりすることがあります

2020年、中新さんは利用していたクラウドソーシングサービス、ランサーズの「新しい働き方LAB」で岡山エリアのコミュニティマネージャー(当時。現在は「新しい働き方LAB Empowered by Lancers公式エバンジェリスト」)に就任します。そのコミュニティを通してさまざまなクリエイターや会社員、経営者と交流し、協業するようになると、自分の立ち位置や強みを客観視できるように。自分に自信がつき、他人と比べて卑下することも少しずつなくなっていきました。

フリーランスは「柔軟だが自由ではない」

「これからの時代をつくる若い人に、新しい働き方について伝えていきたい」と、中学校や高校にて講演も行う

近年、フリーランスは右肩上がりで増えています。フリーランスのための情報やツールもどんどん増え、働きやすさは年々増しています。だからこそ、「今のフリーランスには、ツールや情報を精査する力が求められる」と中新さんはいいます。

「GoogleやSlack、Zoom、ChatGPTのような便利なツールがどんどん出てきています。フリーランスのロールモデルも増えて、さまざまな人がいろいろなことを発信するようにもなりました。ただ、気をつけなければ、ツールや情報に振り回されて、自分が大切にしたいものを見失ってしまう。情報やツールを精査し、自分に必要なものを選んで駆使する力が今後ますます求められると思います」

組織という後ろ盾がある会社員とは異なり、フリーランスは自分の身は自分で守らなくてはなりません。しかし、リスクヘッジだけを考えていては新しいことへの挑戦がしづらくなり、レベルアップが難しくなるのも確か。フリーランスは「リスクを主体的に取ることが大事」と、中新さんは考えています。

「受動的にリスクを負うのは精神的につらいと思います。けれども、自分で納得して次はこういうことにチャレンジしてみようと能動的、主体的にリスクを取っていくと、困難があっても次のアクションを前向きに考え、乗り越えていきやすい。自分の人生のハンドルは自分で握る、という意識が薄い人は、ひょっとしたらフリーランスをしんどく感じてしまうかもしれません」

中新さんのもとには、若者から「フリーランスになりたい」という相談が寄せられることがあります。そんなとき、中新さんが必ず聞くことがあります。

「『そもそもなぜフリーランスになりたいの? どういう生き方をしたいの?』と聞いています。フリーランスになりたい理由として『自由だから』と答える人は多い。でも僕は、フリーランスは自由ではないと思っています。正確に言えば、フリーランスは『柔軟ではあるけれど、自由ではない』。フリーランスは上司におうかがいを立てることなく、どんな行動を取るかを柔軟に決められますが、自由に好き勝手できるわけではないんですよね」

大切なのは、“自分がどのように生きたいか”。フリーランスや会社員という働き方は、自分の目指す生き方を実現するための手段に過ぎないのだ、ということを中新さんは自身の経験から実感しています。

地域で活動するロールモデルとして

中新さんは2021年に結婚しました。2023年には新居が完成し、長男が誕生。今は自宅で仕事をしながら、家事・育児を担っています。

「日中は仕事をしていますが、子どもの泣き声が聞こえたら駆けつけられますし、子どもを病院に連れて行くこともできます。夜は基本的に仕事をしないようにしていて、土日も休めています。ただし、いいアイデアを思いついたら、家事や育児の最中であってもスマホでメモを取ったりはしていますね。妻が職場復帰して忙しくなったら、自分が代わりをつとめることも増えていくんじゃないでしょうか。自分が家事・育児に柔軟に関与できる環境に身を置くことで、妻をはじめとした家族全体が体力的にも精神的にも、無理なく柔軟に生活できるといいなと思っています」

学生時代に思い描いた「時間を柔軟に使う働き方」ができていてありがたい、と中新さんは目を細めます。

「家族と向き合う時間はこれからも大事にしていきたいですね。独身のころは、車中泊で移動しながら北海道を旅して仕事をしていたこともあるんです。子どもが大きくなったら、家族でキャンピングカーに乗ってワーケーションもいいなと。二拠点生活もしてみたいですね」

地方で活動するフリーランスとして、中新さんはフリーランスでも生計を立てて子どもを育てていけることを示していきたいと考えています。そのためにも今後は、若年層を対象にした講演活動を強化していきたい、と語ります。

「時代をつくっていくのは若い人たちです。学生さんたちにはこんな働き方もあるんだよ、地方でもできるよ、ということを見せていきたい。すでに中学校や高校、大学で話をする機会をいただいています。講演や取材は、今後も積極的にお引き受けしていくつもりです」

コピーライターとしては、まだ社会に知られていない商品のよさを伝えることをライフワークにしていきたい、と中新さん。その仕事は、企業だけでなく、アーティストの発信の支援にまで広がりを見せています。

「企業もアーティストも、自分の商品や作品に対する熱量は非常に高いと思います。けれども、それをそのままユーザーにぶつけても響くとは限りません。僕の役割はそのことを指摘し、正しい方向性を示してあげることだと考えています。

僕は、クライアントにとって耳の痛いこともはっきりと指摘します。人によってはクライアントの機嫌を損ねたくないとか、面倒な工程が増えるからやめておこうとか思うようなことでも、臆することなくお伝えする。それが自分の強みだと思っています。自分の作るキャッチコピーや記事で、これからも企業やアーティストと社会とのあいだの橋渡しをしていきたいですね」

取材・文/横山瑠美
鹿児島在住。印刷会社勤務を経て、2017年にフリーランスのブックライターに。書籍の原稿を著者に代わって作成するブックライティングのほか、ウェブメディアや雑誌でも活動しています。X:@rumiere

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