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育児と親の介護をするフリー通訳者が、自分の人生を取り戻すまで~映画『それでも私は生きていく』

フリーランスで働く大きな魅力は、自分の裁量で働く時間や仕事のボリュームを決められること。たとえば、シングルマザーが育児と親の介護のWケアに迫られた場合、会社勤めで乗り切るのは相当ハードルが高いですが、フリーランスなら何とかやり繰りできるかもしれません。

今回ご紹介するのは、フランス映画『それでも私は生きていく』(公開中)です。『007』シリーズでボンドガールを務めるなど、フランスを代表する人気俳優レア・セドゥが、通訳者として働きながら子育てと介護に奮闘する主人公を演じています。

夫を失い5年、自分のことは常に後回し

サンドラは、通訳や翻訳で生計を立てながら、パリで8歳の娘と暮らすシングルマザー。彼女にはアルツハイマー病由来の神経変性疾患を患う父ゲオルグがいて、仕事と子育ての合間に世話をしています。決して1人で介護しているわけではなく、25年前に別れて別居している母フランソワーズ、恋人レイラもゲオルグのもとを訪ねて面倒を見ているのですが、父はレイラのことだけを気に掛け、娘の自分と元妻のことは忘れている。父を愛しているサンドラですが、何とも言えない無力感を覚えています。

サンドラは5年前に夫を亡くし、それ以来ずっとシングル。自分のことを考える余裕も無く多忙な日々を送ってきました。「恋愛は終わった気がする」。そう感じていた彼女はある日、旧友のクレマンと再会します。彼に妻子がいることを知りならが、久しぶりに胸のときめきを覚えるサンドラ。彩りを取り戻した自分の人生と、これから死に向かう父の人生。2つの人生の交差点に立ち、複雑な感情に苛まれて葛藤する彼女は、自分の心にどう折り合いをつけるのでしょうか。

仕事でもプライベートでも、ひたすら耳を傾け続ける主人公

サンドラは非常に献身的な女性です。支離滅裂な発言を繰り返す父の声にじっと耳を傾け、意図を聞き取ろうとします。ゲオルグはもともと哲学の教師で、言わば“思考すること”が仕事だった人。そんな父が言葉を失っていくことにもサンドラは胸を痛めています。

娘のリンに対しても、サンドラはしっかり耳を傾けます。この娘の言葉が非常にしっかりしていて、サンドラも“子供”ではなく“1人の人間”として対話しているところが、なんともフランスっぽい。さらにクレマンに対しても、宇宙科学者である彼の仕事の話に関心を示し、妻子がいる彼の苦悩もちゃんと聞いてあげるのです。

一方で、彼女が自分のことを語るシーンはあまり出てきません。

サンドラの仕事である「通訳」もまた、相手の言葉に耳を傾ける能力を必要とされます。私生活でも、仕事でも、ひたすら人の思いに寄り添うサンドラ。本作のミア・ハンセン=ラブ監督は「サンドラには逃げ場がない」と解説しています。「サンドラが自分の気持ちを表現できる機会はほとんどありません。献身的な彼女は父を訪ねれば会話を促し、恐怖や苦しみの感情を吐き出させようとしますが、彼女自身の苦悩を語ることはできない」という状況なのです。

実は筆者も通訳学校で学んだことがあるのですが、通訳というのは、ただ相手が発した文章を訳せばいいというものでもなく、相手の話を理解し、訳出する言語で再構築して正しく伝える仕事。サンドラの職業を通訳にしたのは、うまい設定です。

サンドラが通訳として出向く現場がちょっと変わっているんです。通訳ブースに入って行なうイメージしやすい会議通訳の他にも、戦争の追悼式典で退役軍人のスピーチを通訳したり、サイレント映画の上映で、ブラックアウトしたスクリーンに表示されたセリフなどを別室で通訳したり。まるで失われようとしている声をサンドラが代弁しているようで、映画のストーリーやサンドラのキャラクターに照らし合わせると、非常に象徴的だと思いました。

自分のための人生をどう取り戻すのか

自分の人生を生きるとは、自分の「意思」を示せること、そしてそれが尊重されること。これはすべての人に与えられた権利であるのに、現実の社会においては、さまざまな要因で簡単に奪われてしまう。この映画は、そんな現実の厳しさやフランスが抱える高齢者介護の問題を盛り込みながら、家族のために生きてきたサンドラが自分の人生を取り戻していく姿を繊細に描きます

シリアスなテーマを扱った作品ではありますが、35ミリフィルムで撮られた映像はどこか懐かしく暖かい。そして何と言っても、繊細な演技を見せるレア・セドゥのナチュラルな美しさに引きつけられます。

『それでも私は生きていく』
5月5日(金・祝)より 新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中
配給:アンプラグド  R15+
公式サイト:unpfilm.com/soredemo

新田理恵
ライター・編集・字幕翻訳者(中国語)
大学卒業後、北京で経済情報誌の編集部に勤務。帰国後、日中友好関係の団体職員を経てフリーに。映画、ドラマ、女性のライフスタイルなどについて取材・執筆している。
Twitter:@NittaRIE
Blog:https://www.nittarie.com/


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