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罪悪感に疲れていた頃【電子書籍「反対側へのダイアリー」制作日誌】

ふれるま たみ子初めてのエッセイ「反対側へのダイアリー:わたしが見つけた、もうひとつの世界」についての制作背景や想いなどを書き綴っています。

第2章 心に抱えていたもの(2017年10月 前半)
■ 8 罪悪感を逮捕する / 10月11日(水)

 猫さまの召喚から数日が過ぎた。私は粛々と自分に課せられた猫さまからの最初の宿題に取り組んでいる。私への宿題、それは“罪悪感を逮捕”すること。心に罪悪感を感じた時、その気持ちを現行犯逮捕し、罪悪感から起こそうとする行動を一旦見直すこと、という指令である。
 
罪悪感…。
 
 心の状態は目には見えないので、周りの皆がどれほど感じているものなのか、私が感じる罪悪感の頻度や大きさは周りと比べてどの程度のものなのか、そんなことは確認する術もない。敢えて言葉にすると、私の行動のほぼ「全て」が罪悪感によるものだった。
 
例えば、
「夫に洗濯物を干してもらうこと、雨が降りそうだから部屋干しにしてもらうこと、ゴミを出してもらうこと、息子を保育園に送ってもらうこと」
「息子に保育園に行ってもらうこと、遅くまで園にいてもらうこと」
「人にプレゼントをもらうこと、食事をおごってもらうこと、アドバイスをしてもらうこと、相談にのってもらうこと、時間を共有してもらうこと、お金をもらうこと、褒めてもらうこと」
…挙げればキリがない。

 その全てに対して「お礼をしなくちゃいけない」という気持ちがまず生まれる。そして受け取ってしまったという罪悪感から、提供された以上の行動でお返しをしようとする。
 
 私は、自分自身が生み出す罪悪感によって、身も心も疲れ果ててしまっていた。
(本文より)

制作背景:罪悪感に疲れていた頃

昔から遠慮しがちな子供だったと思います。遠慮することが美学だと思って育ってきました。謙遜もそうです。割と勉強も出来たし手先も器用で、お友達や先生からよく褒められていたけれど、「ありがとう」と受け取ったことはなかったように思います。何かをしてもらうのも、お願いするのも下手な人間でした。

だけど正直「それがなんだと言うのだろう」と思っていたんですね。良いことをしているつもりで生きてきましたから。誰かに「悪いなぁ、申し訳ないなぁ」と感じることは善いことだと思っていたので、「猫さま」からの最初の宿題にはとても驚いたし、横柄な考え方になってしまうのでは、という懸念があったのが正直なところでした。


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