【献体への選択】


叔母の葬儀は親族のみで、終始穏やかなひと時だった。
生前の彼女は痴呆が酷くなる前に公証役場に弁護士と行き、自らの意思で遺言を作成した。

その一部に、自らを献体として提供すると書かれていた。

彼女が息を引き取った数時間後には、親族で手分けをしてバタバタを動き回りながら葬儀の段取りをした。納棺師が準備をする前に、藤田医科大学病院の若い医師2名は角膜を葬儀場で採取していった。

そして翌日。叔母を乗せた霊柩車は名古屋市立大学病院へ向かった。

火葬場には行かない葬儀。
朝は激しく降っていた雨も出棺時には梅雨の合間の青空に移ろいでいた。彼女はこの先、医学生の学びの時間が終われば火葬されて遺骨となる。その後は散骨を希望していた。その時は葬儀場の計らいで、遺骨を2度焼きしてパウダー状にして頂く。

独身で子どもはいないので、お墓はいらない。お手数をおかけしますが綺麗な外海へお願いします、と。50年近く看護師として医療関係者として尽くした彼女は最後の最後まで自らの役目を果たそうと考えていたようだ。

葬儀場のエントランスに飾られた写真に
叔母さん、またね。と声を掛けて会場を後にした。

自宅に帰ってから、自分のエンディングノートにプリントアウトした献体を扱う不老会の資料を挟み込んだ。明日、電話をして会員登録をしようと思う。

死へ向かうヒトが決して美談では決断できない献体への選択。

またひとつ…先人からの教えを頂いた。
その残してくれた静かな教えに、感謝し尊敬してます。

ありがとう、お疲れ様でした。


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