闘病記(30)「じょうず、じょうず。」
このテキスト「闘病記」が30回目を迎えた。何につけ「継続」することが苦手な自分にとっては驚くべきことだ。これもひとえに読んでくださっている人がいること、メッセージやサポートを通して励ましてくださった皆さんの温かさが、折れそうになってしまう心を支えてくれたおかげだと思う。心から感謝しています。
「闘病記」と銘打ちながら、苦しんだり辛そうだったりする場面が少ない日記になっているのは、できるだけそうしたい気持ちが自分の中にあることと、療法士さんや病院スタッフの皆さんが日々してくださっている事で心に残っているについて、彼らの紹介も兼ねて伝えていきたいと思っているからだ。実際には毎日痛いし、辛いし、苦しい笑。でもそれだけではないことを伝えられたらと思う。飽きずに、読んでやってもらえたらと思います。
というわけで30回目の今回、キーワードは「じょうず」。
療法士、特に理学療法士の皆さんは「じょうず」と言う言葉をリハビリの際によく用いる。それは、「赤松さん、今のタイミング良かったですよ。とてもじょうずでした。」
のように具体的で冷静なものから「赤松さん、じょうず、じょうず!すごいすごい!じょうずです!」(音が控えめの小さな拍手とともに)のような、小さな子供を相手にしたときのようなものまで、いくつかのパターンがあり、療法士の方はそれを使い分けているようだ。
自分は最初、この子供に向けられたような「じょうず」が苦手だった。心の中で、「もう50歳も過ぎて赤ちゃんや幼児じゃないし、そんな励まし方してくれなくても、やることはやるよ。」と思っていた。当時は何もかもにどこか投げやりで、気持ちも荒んでいたのだろう。
しかし、何度も「じょうず」と褒められ、理学療法士Tさんの屈託ない、打算もない笑顔を見るにつれ、赤ちゃんや小さな子供のように褒められる事が嬉しくなってきた。特に、歩く練習のような高い集中力を要求される場面では、冷静に具体的に褒められるよりも、子供の様に褒められた方がわかりやすく、モチベーションも上がった。こうして、「じょうず」と褒められる事は、日々のリハビリで大切な動機付けの1つとなっていった。
ある日の作業療法の時間、作業療法士のNさんに、自分の心の移り変わりを軽い気持ちで話してみた。
「最初は、すごく嫌だなぁって言う感じがしたんだけど、今は、褒められるために頑張ってる気がするんですよね。」
するとNさんが言った。
「我々療法士にとって、患者さんができないことができるようになったり、何かがうまくできたりすることはとても喜ばしいことなんです。私たちが子供のように褒めている時は、赤松さんの上達ぶりを見て、子供のように喜んでいるのかもしれないですね。」
退院後に読んだ電子書籍の内容によると、リハビリにおいて褒められてた人たちの方が、褒められなかった人たちよりも大きな回復を見せるのだそうだ。今になって考えてみると、自分は小さな子供や赤ちゃんのようになりたかったのかもしれないと思う。30年近く教師と言う立場で人にものを教えることばかりしてきた自分が、リハビリを通して今後の生活や命に関わる大切なことを学ぶ時、1人の生徒になる位では、気持ちの切り替えが足りなかったのかもしれない。
退院後に自宅を訪問してくれているリハビリテーションのスタッフもたくさんか褒めてくれる。
いろんな「じょうず」の声も聞けるし、
「赤松さん、今日の赤松さん、ヤバいっす。」
といったカジュアルなものまで様々だ。
そんなわけで、今日も自分は褒められるためにがんばるのだ。
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