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闘病記(40) 「いやだよ。」

 この「闘病記」が40話目を迎えた。書き始めた当初は、ただただ自分のために書いていたような気がする。
 やがて、「自分と同じ境遇にある誰かの目に触れて、少しでも気持ちが軽くなってくれればいいなぁ。」と思いながら書くようになった。
 それに加えて、今では「自分のために(仕事とは言え)一生懸命リハビリをしてくれたり、ケアをしてくれたりした人々に、スポットライトが当たるような内容になればいいな。」と思って書いている。
 読んでくださっている皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします。
 
 さて、第40 話。それは、看護師さんの一言から始まった。
「赤松さん、明日泌尿器科の先生が来られるので、診察してもらいましょう。順番が回ってきたら呼びにきますね。」
「ずいぶんと急な話だなぁ。でも、おしっこが出にくいこともあるし、バルーンも早く取れてほしいし、色々と相談に乗ってもらおう。」と思い、
「はい。よろしくお願いします。」
と、答えた。
 そして当日。自分の順番が回ってきた。車椅子を押してもらい診察室に入った。挨拶を交わした後、医師が、
「おしっこが出にくいんだって?」
と声をかけてきたので、チャンスだと思い、自分の悩みを話そうとしたところ、
「エコーを診るからそこに横になって。」
と指示された。言われた通りにベッドに横になった。エコーをとっている間、何とか自分の悩みを話すきっかけを作ろうとしたが、できなかった。(この辺の事は、後に起こったことに対する怒りのようなもので吹き飛んでいて正直あまり覚えていないので、多くは書けない。)
 
 エコーによる診察が終わった。
 
「うーん。みたところ、前立腺も小さいし、右半身に感覚の麻痺があると言うことだから尿意も感じにくいだろうし。家族さんにも協力してもらって、バルーンをつけたままの生活になるかな。」
 
「それは、自分が四六時中バルーンをつけて、外側の袋がいっぱいになったら家族に取り替えてもらったりしながら生活していくと言うことですか?」
 
「そういうことになるね。もしくは自己導尿かだね。」
 
 導尿は、バルーンをとっておしっこが出なかった時に2度ほど経験していた。性器から、尿道に細い管を入れ、尿意を感じ、尿が出る場所を刺激する。そうすることによって、膀胱内にたまっている尿を半ば強制的に排出するのだ。看護師さんが、
「ごめんね、赤松さん。ちょっと痛いし、気持ちが悪いよ。我慢してね。」
と、声をかけ、緊張して行うような、する側も、される側も決して楽ではない医療行為だった。
 
「自己導尿と言うのは、まさか自分で導尿をするって言うことですか?」
 
「そう。右手のリハビリの調子はどうなの?進んでる?」
 
「いいえ。自分で導尿ができるほどには回復していません。」
 
「そう。じゃぁ、リハビリ頑張って。」
 
「あの、何とかバルーンが取れるように水分を余分にとって、何時間かおきに必ずトイレに行くと言うようなトレーニングみたいなものはないんでしょうか?」
 
「ないねぇ。まぁしばらくは、今の生活続けてみて。家に帰るまでには右手のリハビリも進むだろうし。」
 
「いやだよ。」
 
 自分が、そう言ったことまでは覚えている。あとは全く覚えていない。次の記憶は病室のベッドの上だ。あるのはただ絶望だった。
 
 「家族さんに協力してもらって、バルーンをつけたままの生活」「自己導尿」
 いびつな形をした2つの言葉の塊が、頭の中をごろごろと転がり、様々なイメージを呼び起こした。どれもろくなものではなかった。「自己導尿」のイメージに至っては、恐怖しか感じなかった。
 歩けるようになるかどうかもわからないし、利き手は使えない。耳も片方はろくに聞こえないし、目はガタガタだ。その上に、「自己導尿」だと?  
 何をどうしていいかわからず、ただ心臓が大きな音を立ててその鼓動を速めた。それはどんどん大きく速くなり、体全体が1つの心臓という臓器になったかのようだった。 
「もういい。この先には何もない。死のう。死にたい。」
他には何も思いつかなかった。
 そんな状態から、自分は1人の介護福祉士を中心とした看護、介護のチームに救われることとなる。
それについてはまた次回以降で。

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