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この家も、風のとおり道に沿っているんだと父が話していた

TEXT&PHOTO BY MOMOKA YAMAGUCHI
※フリーペーパーSTAR*18号掲載記事より

青い空と風に合わせて揺れる緑。穏やかな田園風景の中につくぼ片山家住宅は建っている。敷地内には茶室や能舞台など趣にあふれた先人たちの人生の痕跡が残されている。先人たちの痕跡とともに生きる現在の家主・滝口美保(たきぐち みほ)さんはどのような思いを持ち暮らしているのか、お話を聞きました。

先祖が愛した風がとおる家
つくぼ片山家住宅

つくぼ片山家住宅は、元禄15年(1702)に高沼村(現:倉敷市の早高・帯高地区)に移住し、当地方の豪農として知られていた片山家の南分家初代当主・片山信成(かたやま のぶなり)氏によって1805年に建てられました。

信成氏は、家の中でも特に庭造りに強いこだわりを持ち、庭造りの勉強をしに京都へ何度も通う程だったそうです。つくぼ片山家住宅の庭について、滝口さんは微笑みながら語ります。

「信成さんは庭そのものだけでなく、庭が屋敷からどう見えるかも意識していました。この家は庭がより開放的に見えるように本来は縁側の角に立てる柱をなくし、建物のバランスが保てるよう、屋根裏の木組みで調整されています。父はこの家が大好きで、柱がないのが自慢でした。夏に風が吹き抜けるのも好きでした。3年前に直島で瀬戸内国際芸術祭の「風の通り道」を意識した建築を見たとき、『帯高の家と同じ!』と思いました。父が亡くなる前、夏の座敷で『この家も風の通り道に沿っている』と話していたことを思い出します。きっとこの家は夏向きの家で、ご先祖が研究して建ててくださった家なのだろうなと思います」

「片山家は芸術関係に興味がある家」と話す滝口さん。家の中には先人の作品やコレクションを綴じた本が多く残されています。
滝口さんの曽祖父・片山貞太郎さんが書かれた家系図。滝口さんのお父様の代まで書かれています。

「実際に家に入って昔の生活の手触りを感じる」
家が残っている限りは
そのようなことを伝えていきたい。

滝口さんが代表をされている「NPO法人つくぼ片山家プロジェクト」では片山家住宅の保存・活用を通して伝統芸能をはじめとした文化芸術の継承や地域活動によるまちづくりを目指しています。
主に、つくぼ片山家住宅に戦後建てられた能舞台を活かした能の体験教室やイベントを不定期で開催しています。

滝口さんは、1952年に片山家で生まれ、24歳から65歳まで大坂で暮らした後、再び倉敷に戻りました。そして、片山家を保存・活用しようというメンバーと出会い2017年に「NPO法人つくぼ片山家プロジェクト」を始めました。
「弟は二人とも県外にいるので、私は家を継いだというより管理人みたいなものかなと思っています。この家を管理して記録を残していく。ですが、ただ守るのではなくて、いろんな方が来ていただいたほうが家も喜ぶかと思い、地域の方の集まる場として活用しています」
一方で、「記録を残す」ことの難しさについて滝口さんは話します。

「父がいた頃はまだ家族で集まる機会があったので、いつかこの家について教えてもらおうと思っていました。
ですが、実際は目の前のことに追われて大事なことを話す機会がないまま月日が過ぎてしまいました。もう誰も教えてくれる人がいないので、片山家について書かれた書籍を読んだり、残された資料を見ながら学んでいます」

他にも滝口さんは片山家の方々の写真を見せてくださいました。
滝口さんは大事にアルバムをめくりながら話します。


「もっと記録を残してほしかった」
「その記録を誰が見るのだろうか」
それでも自分の出来る限りは残したい

「こういう写真を見て、『これは誰だろう?』『この美人さんはどこの親戚?』と聞いても答えてくれる人がいないので、私に近い親戚以外は、ほとんど登場人物が分からないんですよね。残された写真を見ても説明が無いので知りたいのに全然分からない。だからもうちょっと記録を残してほしかったなと少し残念に思います。
また、こういう写真や先人が残していった原本などもデータ化して残す道がありますが、どのようにして残せばいいか、そのデータを誰が見るのだろうかという思いもあります。
ですが、目先の価値では測れないですし、もっと先になって昔の暮らしの意味が見直される時がきっと来るだろうという思いもあります。この家が残っている限り、実際に家に入って昔の生活の手触りを感じるそのようなことを伝えていきたいです。
家は、土地や気候があってこその家だと思っています。そして、この家もこの土地の良さを活かしてご先祖が建てられたものです。だからこそ、近所の方の役に立てるような場所でありたいですし、この土地ならではの文化芸術の継承と上手く両立できる道を探したいと思っています」

セピア色の写真には綺麗な着物に身を包んだ女性や 制服を着た男性の姿が写っている。
昔の片山家住宅を映したガラス乾板写真。乾板写真はネガフィルムが普及する昭和初期まで普及されていた。

***

未来の幅は
どうすれば広がるのか

先人たちから「記憶」を残された者としての声、
先人たちの「記憶」を未来に残す者としての声、
滝口さんのお話からは今を生きる者として、
苦悩を感じながらも自分が今できることに取り組む姿を見た。

文字にして残すのか、映像にして残すのか、
関わりを通して誰かの記憶のなかに残すのか。

残していった者は残された者の思いを知ることはできない。
残された者は残していった者がどのような思いで残したのか分からない。

「残す」ということはもしかしたらどこか一方的な行為で、
未来を生きる人間が結果をつくる、
何十年もかけた「賭け」のようにも思えてくる。

それでも「賭け」をする人たちが増えることで
未来の幅は確実に広がっていくと信じたい。


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