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「今ここ」に集中し、軸を立て、心と意識のズレを正す

TEXT BY MOMOKA YAMAGUCHI
PHOTO BY TAKAHIRO MIZUKO

※フリーペーパーSTAR*15号掲載記事より

 松本 宣秀(マツモト ノブヒデ・僧侶としてはセンシュウ)さんは、岡山にある遍光山蓮華院千手寺(へんこうざん-れんげいん-せんじゅうじ)の住職をされる傍ら、ブータンやチベット、インド、ネパールを訪ね、真言密教の原点を探しています。
 千手寺は高野山真言宗を宗派にしており、仏教の根本にある教え「色即是空」は、「この世の全ては形を持つが、その形は仮のもので本質は空(くう)であり不変のものはない」と言うことを表すそうです。

 では、仏教の表す「空」とはなにか、「悟り」とはなにか、そして仏教から見た個人と世界の関係について松本さんの体験談を通してお話を聞きます。

仏教の空の思想と悟り

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Q.仏教の視点でいう「空」とはなんでしょうか

 仏教の教義にとっての「空」は大日経ではないかと思っています。大日経は密教の根本経典の一つで弘法大師の空海は大日経を学びに中国へ行きました。
 大日経の教えには「否定」があります。「〇〇は〇〇である」と定めるのですが、次の文では「〇〇は〇〇でない」というように否定に入る、「言葉では悟りの境地を表せないが、言葉で悟りの境地を表せる。だけど…」を繰り返していきます。
 つまり、人生は 言葉/教え だけでは成り立たず/理解出来ず 、生きて/実践して みないと分からない、ということです。

 例えば、私が訪問したブータンの高山地帯にブルーポピーという花が咲いているのですが、言葉では表せないほどの美しさを持っています。
「言葉ですべて表すことは出来ないけど、この感動を伝えたい」この思いが言葉の出発点なのかもしれません。それでも言葉では伝えきれないし、知ることはできないのだからやはり実際に見に行かなければと思うのです。
 心で感じたことをどうやって意識するか、人間は俳句や芸術、写真など様々な形で見えない心の動きを形にしますが、できたものを改めて見てみると、また違ったものが見えてきます。それを再び形にしてみる。この繰り返しが悟りであり、空の境地なのです。

心と意識のズレを正す

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Q.空を詠うためには何が求められますか

 空について考えさせられたきっかけが、大学で東南アジアの文化人類学を研究されていた岩田慶治先生のお話でした。
 内容としては、東南アジアの文化について禅問答のようにやり取りをしながら学んでいくのですが、ある時先生から「夜の鴨川に黒い魚が泳いでいる。それが見えますか。」と問われました。
 その晩、鴨川に行き、川を見ているうちに段々と無心になり、最初は何も見えなかった水面にピカピカと動いているものが見えたんです。無心になったとき、感覚は研ぎ澄まされ、普段では気にも止めない空気の流れや気配のようなものを感じることができ、これが「空になる」ということなのかときづかされました。

 無心になるためには「今ここ」に集中し、軸を立て、心を満たさなければいけません。心と意識のずれは不安を招き、空の状態にはなれないのです。
 座禅や仏教では「念」という言葉がありますが、念とは「今」ここに集中し、「心」を空にするということ。悩みは過去から来る後悔か、何が起こるか分からない未来から来る不安がほとんどです。今に集中することで、今まで不安や悩みで見えなかったものが見えるようになり、心と意識のずれが正されていきます。しかし、ずれを正すにはなによりも自分自身を受け入れる心が求められるのです。

Q.松本さんにとっての「空」とはなんでしょうか

「空」と聞いて真っ先に思い浮かべたのは真言密教の原点を知るために訪れたラダックの空でした。ラダックは標高が高いので青空が濃く、まちは一日中コーランが流れ暮らしの中に仏教がありますが、現在は宗教上の紛争のためまちを巨大な軍用トラックが通っています。
 私が普段触れている仏教の御経は中国漢文で作られていますが、この御経はオリジナルの言葉ではなく、本当はインドから様々な国を通して伝わってきた言葉なのです。
 明治時代に日本人が仏教を学びにインドへ行ったのですが、その時すでにイスラム教の占領下に置かれており、偶像崇拝ということで寺は破壊され、オリジナルの仏教はすでになくなり、僧侶はチベットへと逃れていました。
インドからネパール、チベットへと渡り、日本へたどり着いたのです。
 チベット語とサンスクリット語は言葉が似ていることから復元をしようと現在は北村大道先生がオリジナルの仏教の研究をされています。
 私も毎年チベットやネパール、インドに訪問しています。
 失われたオリジナルの仏教を辿り、復元し、教えを知ること。それが僧侶でもある私の大きなテーマであり、私にとっての「ずれを正す」ということ、空を詠うということなのです。

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インダス川の合流地点(松本さん撮影)

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チェレラ峠/ブータン(松本さん撮影)

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へミス寺院より/ラダック(松本さん撮影)

ラダックのへミスゴンパ(ゴンパ=寺)の法螺の音(松本さん撮影)

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「感じたことを形にして伝えたい」という思いから「人の表現」は始まった。形にすることで自分から離して見ることができ、視点が変われば今まで気づかなかったものが見えることもある。
 また、人間は自分が思っているよりも自身を知らない。何かの兆しがないと自分の感情にも気付かず、積もりきったものが症状として身体に出ることもある。自分を知るためには言葉でも絵でも写真でも良い、まずは出力することが大きな一歩となるのだ。
 学びと出力を繰り返しその道中で人と出会い刺激を受ける、より多くの学びを得るためには些細な変化も感じられるよう感覚を研ぎ澄まさなければならない。学びは日常の中に溢れている。今という時間に軸を立て、丁寧に生きることが空を詠うことに繋がるのだろう。

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遍光山 蓮華院 千手寺
〒701-0165 岡山県岡山市北区大内田581
TEL :086-293-0713
URL :http://senjyuji.web.fc2.com/
宗派 :高野山真言宗
御本尊:千手観世音菩薩
開山 :752(天平勝宝4)年


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