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5年半スタートアップで猛ダッシュで働き、退職急停止で2ヶ月全く働かなかったら、人はどうなるのか、有休消化終わり際に考える。

5年半勤め、最後には執行役員をしていたベンチャー企業を辞める決意をし、有休消化中の夏休み。こんなに長く何もしない(無職)なのは久しぶりなので、自分に何かを課す意味も込めて、心境の変化や日々の過ごし方について書いておこうかと思ったり、今だけ思ったり。

タイプミスが増えた。これは確実である。今まさに、それを感じている。

もっと内面的なことでいうと、スッキリしている。自分でもそう思うし、久しぶりに会った同僚にもそう言われた。

人のことでモヤモヤ・クサクサ・イライラすることがなくなった。前は仕事でのモヤモヤを引きずって、テレビ番組を見ていてもぼやいていたが、それがなくなった。人がどうしてようと、どんな考えで、どんな話し方をしていようと、良い意味でどうでもよくなった。ふーん、そういう人もいるよね。感情がフラットになった。

考えることに時間が使えるようになった。前は時間に追われていたため、まるでピンポンのように、とにかく目の前のことにいかに早く対応するかばかりだった。考えるのは数秒、早く脳内整理して、発言。何か言わなきゃ、まともなことを。そんなことがなくなった。

日常で、仕事に関連することを考えなくなった。電車に乗っていて、テレビを見ていて、街を歩いていて、「ああこれは仕事のあれに参考にできるな」「うちのサービスだったら」とかいうことを考えなくなった。考えなくて良いのだから当然なのだが、これはすっぱりなくなった。

喪失感はない。寂しくもないし、働きたいともまだ思っていない。定年退職後に仕事をしなくなった人がボケるとかいう話をよく聞くが、本当だろうか。定年まで頑張った人は、その分気分スッキリで、ゆっくり人生に突入するんじゃなかろうか。今のところ、ボケる気配はない。

生活スタイルも乱れてないし、不規則になるということもなかったな。昼夜逆転した日もない。起きるのがちょっと遅くなったとか、昼寝しすぎちゃった、とかはあったけど、丸っと乱れる、とかはなかったな。これはよかった。

時間があっても、やらないことはやらないもので、もっと料理をするかと思ったら、全然であった。忙しくても時間があっても自分で作るより美味しいものがたくさんあることには変わらないし、作りたいときは作ればいい。作らない自分はダメっぽいという劣等感が消え失せた。何をするのも自分の自由。

どんなにコミットした仕事でも、離れれば割とすぐに何でもないものとなり、関係ない世界となり、自分の本質はたいして変わっていないことに気づいた。

仕事は人生や生活の一要素であるにすぎず、仕事が自分の全部に影響を及ぼすわけではない。
スタートアップでの仕事や日々は、間違いなく今までの仕事の中でいちばんの充実感を与えてくれたけど、それが全てでも、これで終わりでもない。
これからまた、同じような世界はあるだろうし、それ以外に大事な世界もきっとある気がしてる。

この2ヶ月間、何もしてなかったけど、充実してたな。何かをしていること、バリバリ働くこと=充実、ではないことを知れたのはよかった。

もうすぐ新しい仕事が始まるが、果たしてどうなるだろうか。
やはりちょっとボンヤリモードで、パフォーマンスが落ちているのか。それとも、ハイスピードだった分、ちょっとボンヤリでちょうど良いくらいでやっていけるのか。

スタートアップの退職有休消化はそろそろ終わりだ。
スタートアップから、大企業様に転職をする。
なぜスタートアップを選ばなかったのか、というのは明確な理由があるけれど、また書くことにしよう。
大企業転職話は、そう言えばあんまり聞かないなあ。
タイトルも、変えなきゃなあ。



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